第11話 孤児院の日々と拾われた人形
ヴァルモン領に設立された孤児院は、領主ゼノンの関心とは裏腹に、コンラートとエリオット、そしてリリアたちの尽力によって、静かにその運営を開始していた。
城下の空き家を改修した建物は、まだ真新しさが残るものの、子供たちの声が響き始めると、少しずつ温かい雰囲気に包まれていった。
リリアは、母親や他の手伝いの女性たちと共に、朝から晩まで子供たちの世話に追われていた。
最初は、親を失った悲しみや、先代の恐怖政治が残した心の傷から、怯えたり、心を閉ざしたりしていた子供たちが多かった。
ろくに口も利かず、部屋の隅で膝を抱えている子。
些細なことで癇癪を起こす子。
夜中に悪夢を見て泣き出す子……。
リリアは、一人一人に根気強く向き合い、優しく声をかけ続けた。
母親が作る温かい食事は、子供たちの空腹だけでなく、凍えた心も少しずつ溶かしていった。
リリアが教える簡単な読み書きや、庭での追いかけっこ。
他の子供たちとの他愛ない喧嘩や、仲直り。
そうした日々の積み重ねの中で、子供たちの表情には、次第に笑顔が戻り始めていた。
もちろん、全ての傷が癒えたわけではない。
それでも、この孤児院は、子供たちにとって、ささやかながらも安全で、温かい「居場所」となりつつあった。
監察官エリオットは、時折、孤児院を訪れていた。
彼は、子供たちが少しずつ元気を取り戻していく様子を見て、自分の提案が具体的な形となり、良い影響を与え始めていることに、静かな満足感を覚えていた。
それは、これまでの彼の仕事ではあまり感じることのなかった種類の手応えだった。
「順調なようですね、リリア殿」
エリオットは、庭で子供たちと洗濯物を干しているリリアに声をかけた。
「はい、エリオット様のおかげで。みんな、少しずつですが、元気になってきています」
リリアは、額の汗を拭いながら、にっこりと微笑んだ。
その笑顔は、以前よりも少しだけ大人びて、頼もしく見える。
「何か困っていることや、必要なものはありませんか? 領主閣下の許可(という名の丸投げ)は得ています。可能な範囲で対応しましょう」
「ありがとうございます。今のところ、皆さんのご支援で何とか……。でも、やっぱり、この子たちが将来どうなるのか、考えると不安になることもあります。読み書きを覚えても、仕事を見つけられるのか……。女の子たちは、お嫁にいけるのか……」
リリアの声に、わずかな翳りが差す。
エリオットは、彼女の言葉に頷いた。
「ええ、施設の運営だけでなく、子供たちの将来を見据えた支援も必要でしょう。職人ギルドの設立や、農業改革が進めば、将来的には彼らの働き口も増えるかもしれません。……時間はかかるでしょうが」
エリオットは、自分が関わる改革の重要性を、改めて認識した。
そして同時に、この全てのきっかけを作った(ことになっている)ゼノン領主への、複雑な思いを新たにする。
(彼は、この子供たちの未来まで見据えて、私に全てを託したのだろうか……? いや、まさかな……)
一方、城の執務室では、コンラートがゼノンに孤児院の開院と、その後の順調な運営状況を報告していた。
「ふん、そうか。結構なことだ。それで、何か問題でも?」
ゼノンは、相変わらずの無関心さで、窓の外に視線を向けたまま答える。
「いえ、問題というほどのことは……ただ、子供たちも次第に元気を取り戻し、若様への感謝の念も日々深まっているかと……」
コンラートは、何とかゼノンに良い報告をしようと努める。
「感謝? 当然であろう。領主たる私の慈悲によって生かされているのだからな」
ゼノンは、さも当然といった口ぶりで言った。
彼にとって、孤児院は監察官に押し付けた面倒事の一つでしかなかった。
報告を終えたコンラートが下がると、入れ替わるように、一人の訪問者が執務室を訪れた。
パン屋の娘、リリアだった。
彼女は、少し緊張した面持ちで、手に持った小さな包みを差し出した。
「あ、あの、領主様! いつも、本当にありがとうございます!」
リリアは、深々と頭を下げた。
「これは、孤児院の子供たちが、領主様への感謝の気持ちを込めて作ったものなんです。どうか、受け取ってください!」
包みの中身は、子供たちが描いたであろう、お世辞にも上手いとは言えない領主の似顔絵や、森で拾ってきた木の実で作った粗末な首飾り、そして、歪な形をした布人形だった。
ゼノンは、その「贈り物」を一瞥すると、鼻で笑った。
(くだらん……。こんなガラクタに何の価値があるというのだ)
父なら、きっとこう言っただろう。
「ふん。子供の遊びに付き合っている暇はない。こんなものより、もっと私の役に立つものを寄越せ。例えば、金貨とかな」
ゼノンは、父の冷徹な(と彼が思う)態度を真似て、冷たく言い放った。
リリアの顔から、さっと笑顔が消えた。
期待していた反応ではなかった。
やはり、領主様は怖くて、気難しいお方なのだ……。
それでも、きっと心の底では……。
いや、今は落ち込んでいる場合ではない。
「……も、申し訳ありませんでした! 失礼いたします!」
リリアは、再び深々と頭を下げると、しょんぼりとした様子で執務室を後にした。
その際、慌てていたせいか、リリアは手に持っていた包みから、あの不格好な布人形を床に落としてしまったことに気づかなかった。
一人残された執務室。
ゼノンは、リリアが落としていった布人形に気づいた。
歪んだ顔、取れかかったボタンの目、不揃いな手足……。
お世辞にも出来が良いとは言えない、みすぼらしい人形だ。
(こんなもの……)
捨ててしまおう、と思った。
しかし、なぜか手が動かない。
彼は、無意識のうちにその人形を拾い上げると、しばし見つめた後、誰に見られるでもなく、そっと机の引き出しの奥にしまい込んだ。
(……なぜ、こんなことを?)
自分でも理解できない行動に、ゼノンは首を傾げ、形容しがたい奇妙な感覚にとらわれた。
偶然にも、その一連の様子……リリアがしょんぼりと部屋を出ていき、その後ゼノンが人形を拾って引き出しにしまうところを、執務室の扉の隙間から目撃してしまった人物がいた。
監察官エリオットである。
彼は、コンラートに頼まれた書類を届けに来たところだった。
(……今の行動は? あのパン屋の娘を冷たくあしらったかと思えば、彼女が落とした人形を密かに拾う……? 一体、どういうつもりなのだ、この領主は……?)
エリオットのゼノンに対する謎は、また一つ、深まっただけだった。
孤児院は、その後も順調に運営されていった。
領民たちの間では、「領主様が子供たちのために孤児院をお作りになり、時々様子も見に来てくださるそうだ」「パン屋のリリアちゃんも、領主様は本当は優しい方だと信じているらしい」といった噂が広まり、ゼノンの評判は(本人の意図とは全く関係なく)ますます上がっていく。
ゼノン自身は、引き出しにしまった人形のことを忘れようとしながらも、時折思い出しては不可解な気持ちになるのだった。