第10話 職人たちの抵抗と領主の威厳
ヴァルモン領では、監察官エリオットが提案したいくつかの計画が、静かに、しかし確実に動き始めていた。
孤児院となる建物の改修は終わり、リリアたちの手によって、少しずつ子供たちを受け入れる準備が整いつつある。
試験農場では、新しい農具や農法が試され、その効果に期待と不安が入り混じった視線が注がれていた。
そして、次なる課題として、コンラートとエリオットは職人たちの組織化、すなわちギルドの設立準備に取り掛かっていた。
領内の主要な職人たち……鍛冶屋、革細工師、木工師、織物職人など、様々な分野の親方や代表者を集めた説明会が、城の一室で開催されることになったのだ。
当日、会場となった広間には、多くの職人たちが集まっていた。
しかし、その表情は硬く、会場には重苦しい空気が漂っている。
彼らの多くは、先代ヴァルモン卿の圧政と気まぐれに長年苦しめられてきた経験を持つ。
領主が何か新しいことを始めるといっても、それは結局、新たな搾取や支配強化の口実ではないか、という疑念と警戒心が根強いのだ。
「本日はお集まりいただき、感謝申し上げる」
エリオットが、壇上から冷静な口調で説明を始めた。
彼は、ギルドを結成することの利点を、論理的に、そして丁寧に説いていく。
技術交流による品質向上、共同での原材料購入によるコスト削減、領外への販路拡大、そして何より、職人自身の地位向上……。
「……このように、ギルドを結成することは、皆様自身の利益となり、ひいてはヴァルモン領全体の発展に繋がるものと、私は確信しております」
エリオットはそう締めくくり、職人たちの反応を待った。
しかし、会場の反応は鈍い。
皆、腕を組んだり、下を向いたりしたまま、押し黙っている。
やがて、ぽつりぽつりと、否定的な声が漏れ始めた。
「ギルドだなんて、面倒なだけじゃねぇか」
「今のままで十分だ。余計な口出しはごめんだね」
「どうせ、また新しい税金でも取るつもりなんだろ?」
その中でも、ひときわ大きな声で反論したのは、恰幅の良い、いかつい顔つきの鍛冶屋の親方だった。
名をボルコフという。
彼は先代に取り入って武器製造を請け負い、他の職人たちを押しのけて甘い汁を吸ってきたという噂のある男だ。
ギルドができて他の職人の力が強まることは、彼にとって都合が悪かった。
「監察官様よぉ! あんたは王都から来たお偉いさんかもしれねぇが、俺たちの仕事に首を突っ込むんじゃねぇ!」
ボルコフは、腕組みをしたまま、ふてぶてしい態度で言い放つ。
「俺たちゃ、先代の頃から、このやり方でやってきたんだ。ギルドなんぞ作って、領主様の言いなりになるなんざ、真っ平ごめんだね!」
その言葉に、他の職人たちの一部も同調するように頷き始める。
コンラートは「まずい……」と顔色を変え、エリオットも眉間に皺を寄せた。
このままでは、ギルド設立の話は頓挫しかねない。
その時だった。
広間の扉が勢いよく開き、若き領主ゼノン・ファン・ヴァルモンが、リアムを伴って姿を現した。
彼は、説明会が難航しているという報告を(リアムから大げさに)受け、「私の領地で、私の決定に逆らう不届き者がいるだと!? 許せん!」と、父ならどうするか考え、乗り込んできたのだ。
「騒々しいぞ! 何事だ!」
ゼノンは、父の威厳ある(と本人が思っている)声色で一喝した。
会場が一瞬で静まり返る。
職人たちは、突然現れた領主に驚き、そして恐怖した。
ゼノンは、ボルコフを睨みつける。
(こいつか、私の決定に逆らおうとしている不届き者は。父上なら、こういう輩は容赦なく叩き潰したはずだ!)
「貴様! 今、何と言った!」
ゼノンは、ボルコフを指さして怒鳴った。
「この、領主たる私の決定に、異を唱えるというのか!? このヴァルモン領の法は、この私だということを忘れたか!」
ゼノンは、父がよく使っていた脅し文句を繰り出す。
「私の決定に逆らう者がどうなるか……貴様なら、よく分かっているはずだな!?」
ボルコフは、ゼノンの気迫(というより、先代の恐怖政治の記憶)に完全に呑まれた。
顔面蒼白になり、ぶるぶると震え始める。
先代ならば、この場で即刻投獄か、あるいはそれ以上の処罰が下されてもおかしくなかった。
「ひっ……! い、いえ、滅相もございません! わ、私はただ……!」
ボルコフは、もはや反論する気力も失い、その場にへたり込みそうになった。
会場の他の職人たちも、ゼノンの恫喝に完全に萎縮してしまった。
(領主様が、これほどまでに強くギルド設立を望んでおられるとは……)
(逆らえば、我々もボルコフの二の舞だ……)
(仕方ない……従うしかない……)
恐怖が、彼らの警戒心や不満を無理やりねじ伏せた。
誰からともなく、「領主様のお考えに従います」「ギルド設立に賛成いたします」という声が上がり始めた。
ゼノンは、その様子を見て満足げに頷いた。
(ふん、やはり私の威厳の前では、愚かな職人どもなど赤子のようだな! 父上のやり方は、やはり間違いない!)
彼は、恐怖で従わせることこそが、領主の正しい統治だと信じて疑わない。
コンラートは、その強引なやり方に内心で頭を抱えつつも、結果的に話が進んだことに、複雑な安堵感を覚えていた。
(ああ……またしても若様の鶴の一声で……。しかし、これでギルド設立への道が開けたのも事実……。これも、若様なりの強力な『リーダーシップ』の表れなのかもしれぬ……)
リアムは、主君の圧倒的な威厳に、ただただ感動していた。
(さすがはゼノン様! 悪しき慣習に固執し、領地の発展を妨げる者どもを、一喝のもとに黙らせた! これぞ真の領主の威厳!)
エリオットは、その一部始終を、冷めた目で見つめていた。
(……なんという強引なやり方だ。恐怖によって民意を捻じ曲げるとは……。これは、父君である先代のやり方そのものではないか。しかし……結果的に、ギルド設立への道が開けた。この領地では、これが『正解』だというのか……?)
彼は、改革が進むことに一定の評価をしつつも、その手法に対する強い懸念と、ゼノンという領主への理解不能感を、さらに深めるのだった。
「よろしい。ならば、ギルド設立に向けて、コンラート、監察官殿、お前たちで滞りなく進めるのだ。よいな!」
ゼノンはそう言い放つと、満足げに頷き、リアムを伴って会場を後にした。
後に残されたのは、恐怖と不満、そして諦めが入り混じった複雑な空気と、今後の調整に頭を悩ませるコンラート、そして眉間に深い皺を刻んだままのエリオットだった。
特に、恫喝されたボルコフは、床に座り込んだまま、悔しさと恐怖に震える拳を握りしめていた。
彼の目には、明らかに不穏な光が宿っているように見えた……。