第1話 父の跡を継ぎ、立派な(悪徳)領主になろう!
新連載です。
本日は4話更新します。
12時、18時、20時、22時更新予定。
ヴァルモン領の城内は、重苦しい沈黙に支配されていた。
先代領主、その悪名で知られた男が、昨夜、自室で事切れているのが発見されたのだ。
暗殺。
その言葉が、広間に集められた家臣たちの間を声なく漂う。
誰もが口には出さない。
しかし、内心では様々な感情が渦巻いていた。
長きにわたる圧政からの解放を願う者、領地の未来を憂う者、そして、新たな時代の幕明けに微かな希望を抱く者……。
古参の宰相であるコンラートは、胃のあたりをそっと押さえながら、深く息を吐いた。
先代の悪政にどれだけ心を痛めてきたことか。
これで、ようやく……。
だが、その淡い期待は、広間の扉が開き、新たな領主となるべき少年が現れた瞬間に打ち砕かれた。
ゼノン・ファン・ヴァルモン。
十六歳。
先代領主の唯一の息子。
父から受け継いだ黒髪と、意志が強そうに見せようと意識的に吊り上げられた目が、広間を見渡す。
まだ少年の面影を残す顔には不釣り合いな、尊大な表情が張り付いていた。
高価だが着慣れない衣装が、彼の線の細さをかえって際立たせている。
「父上が……亡くなる、なんてな……」
ゼノンは内心で呟く。
突然の父の死に、動揺がなかったと言えば嘘になる。
だが、感傷に浸っている暇はない。
「今日から、私がこのヴァルモン領の領主だ。偉大なる父上の統治を見習い、この私が、父上のような立派な領主として、この領地を支配してみせるぞ!」
父の背中を見て育ったゼノンにとって、父のやり方こそが唯一絶対の「真の貴族の姿」であり、「力ある領主の統治術」なのだ。
恐怖をもって民を従わせ、富を集め、力で他者を圧倒する。
それこそが、ヴァルモン家の当主たる者の理想像だと、彼は固く信じていた。
「静まれ」
ゼノンは、父の口調を真似て、努めて低く、威圧的な声を出した。
家臣たちの間に、さっと緊張が走る。
その反応に、ゼノンは内心で満足した。
(そうだ、それで良い。私を恐れよ。敬え。父上がそうであったようにな)
コンラートは、ゼノンのその様子を見て、今度こそ本当に胃がきりきりと痛み出すのを感じた。
(ああ……終わった。このヴァルモン領は、若様の手によって、先代と同じ道を……いや、あるいはそれ以上に酷い道を辿るのかもしれない……)
他の家臣たちも同様だった。
希望の光は、現れた瞬間に闇へと変わったのだ。
絶望が、再び城内を覆い尽くそうとしていた。
ゼノンは、居並ぶ家臣たちを一瞥すると、最初の命令を下すことにした。
父上に倣った統治の、記念すべき第一歩だ。
「聞け。領主となった私の最初の命令である」
家臣たちが息を飲む。
「父上が行っていた通り、速やかに領内から税を徴収せよ。父上が定めた通りの税率で、だ」
やはり、と家臣たちの間に諦めの空気が流れる。
先代が定めた税率は、法外と言って良いほどに高い。
ゼノンは続ける。
「良いか。納めぬ者、ごまかそうとする者は……どうなるか、分かっているな?」
父ならば、ここで具体的な脅し文句や、見せしめのための処罰を口にしただろう。
だが、ゼノンはそこまでの具体的な「威厳の示し方」を熟知しているわけではない。
ただ、父の威圧的な態度を真似るだけだ。
そして、こう付け加えた。
「ただし、徴税吏どもよ。ごまかしは一切許さんぞ! 正確に、正直に集めてくるのだ!」
これはゼノンなりに「不正を見逃さない厳しい領主」を演じたつもりだった。
父もよく帳簿を睨みつけて「ごまかしは許さん」と言っていたのを思い出したのだ。
(父が自分の不正をごまかすために言っていたとは、ゼノンは知らない)
その言葉に、コンラートは思わず顔を上げた。
隣に立つ税務担当の家臣と顔を見合わせる。
(……ん? 今、若様はなんとおっしゃった? ごまかしは許さん、と? それは……徴税吏の不正を許すな、という意味か?)
先代の時代、徴税吏が勝手に上乗せして徴収したり、帳簿をごまかして着服したりするのは日常茶飯事だった。
先代自身もそれを黙認、いやむしろ奨励していた節すらある。
それを、正せと? まさか……。
その時、ゼノンの傍らに控えていた若き側近騎士、リアムが、ぱっと目を輝かせて進み出た。
「はっ! さすがはゼノン様! 深いお考えです!」
「……なに?」
唐突な賞賛に、ゼノンは僅かに眉をひそめる。
リアムは興奮した様子で続ける。
「領地経営の基本は、公正なる統治にあり! まずは税制の歪みを正し、民からの信頼を得ようという、その深遠なるお考え! このリアム、感服いたしました!」
「……信頼? 公正?」
ゼノンにはリアムの言葉の意味が分からない。
なぜ厳しく税を取り立てるのに信頼だの公正だのが出てくるのだ?
父上はそんなこと一言も……。
(こ、こいつは何を言っているのだ? 私が父上のように厳しく威厳をもって税を取り立てようとしているのが分からないのか? ……いや、待て。もしかして、これは高度な皮肉か? 私の覚悟を試しているのか?)
ゼノンは一瞬混乱したが、すぐに気を取り直す。
(ふん、小賢しい奴め。だが、その程度で私の決意は揺るがんぞ)
「……ふん。分かっているなら良い。さっさと実行に移せ」
尊大な態度を崩さずにそう命じると、リアムは「ははーっ!」と力強く頷き、コンラートに目配せした。
コンラートはまだ半信半疑だったが、リアムの熱意と、そして何より「不正を正せ」という(と解釈した)ゼノンの言葉を信じることにした。
長年の苦労で擦り切れた心に、ほんの僅かな、蝋燭の灯火ほどの希望が生まれたのかもしれない。
「……かしこまりました。ゼノン様のご命令通り、公正なる徴税を徹底させます」
ゼノンは内心で首を傾げる。
(公正なる徴税……? まあ良い。父上の決めた税率で取るのだから、結果は同じはずだ。これで得た富で、まずは……そうだな、父上が好んでいた宝石でも集めてみるか。父上のような偉大な領主たるもの、威厳を示す振る舞いをせねばな。……ん? 父上はこれを『投資』だとも言っていたな。よし、ならばこれは『領地の威厳を高めるための投資』ということにしておこう!)
一人で納得し、ゼノンは満足げに頷いた。
コンラートとリアムの指示のもと、徴税吏たちは領内を回った。
税率自体は先代と同じく重いままだ。
領民たちは、また過酷な取り立てが来ると身を固くしていた。
しかし、現れた徴税吏たちの態度は、どこか以前と違っていた。
脅し文句は少なく、定められた税額以上のものを要求されることもない。
もちろん、重税に苦しむ声は上がったが、それでも「いつもよりはマシだった」「余計なものを巻き上げられなかっただけ、ありがたい」といった声が、囁かれるように広がっていった。
暴動や逃亡も、予想されたよりずっと少なかった。
数日後、徴税の結果がゼノンに報告された。
「ふむ。当然の結果であるな。次も怠るでないぞ」
ゼノンは尊大に頷き、報告書を一瞥しただけで脇に置いた。
内心では「思ったより反発が少ないな。私の威厳が早くも浸透したか。父上のやり方はやはり正しい」と悦に入っている。
その様子を見て、コンラートは静かに安堵のため息をついた。
少なくとも、徴税における不正が一つ減った。
これは大きな一歩かもしれない。
リアムは、ゼノンの落ち着き払った態度に「やはりゼノン様はすべてお見通しなのだ!」と、さらに尊敬の念を深めていた。
その日の夜。
ゼノンは自室で一人、ほくそ笑んでいた。
「ふふふ……父上のような偉大な領主への道、第一歩は実に順調だ。父上、見ていてください。私は必ずや、父上のような力ある偉大な領主になってみせますぞ!」
一方、ヴァルモン領の城下町では、人々がひそやかに囁き合っていた。
「おい、聞いたか? 新しい領主様、なんだか先代とは少し違うらしいぜ」
「ああ、うちに来た役人も、前より酷くはなかった」
「まさか……少しはマシになるのかねぇ……」
まだ疑心暗鬼の声が大きい。
だが、長らく闇に閉ざされていたヴァルモン領に、ほんの僅かな変化の兆しが見え始めていた。
もちろん、新領主ゼノン・ファン・ヴァルモンが、尊敬する父と同じ「偉大な領主」を目指しているつもりでいることなど、誰も夢にも思わずに……。
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