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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
おまけ:【前王の番】編
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シェーラの悩みごとⅡ:祖国からの手紙


 シェーラはとても困惑していた。



 ――娘よ、何か困ったことはないか。

 ――困ったことがあれば言いなさい。力になろう。

 ――なんでもいいから、困ったことは? ひとつでいいから。頼むから。



 ……父親から届く手紙が、日々切実さを増している。


 先ほどのは要約だが、長くなっても変わらない。一見硬質、かつ流麗な文体で綴られる手紙には、切実さと鬼気迫る迫力がにじみ出ていた。


(……そんなにジェイドのことが気に入らないのかしら)


 確かにアイゼルの事を思えば、獣人を信用できなくても仕方ない。けれど、ジェイドは違うのに。


 わざわざシェーラの願いを聞いて、故郷まで送ってくれたあげく、父親であるオルゴット公爵の説得までしてくれた。


 怒り心頭といった様子の公爵は、彼にずいぶん失礼な事を言ったはずだ。

 けれど、ジェイドは少しも腹を立てなかった。それどころか、謝罪までしてくれた。彼が謝る事などひとつもないのに。


 彼の誠実さと心の広さ、そして懐の深さを感じ、公爵も納得したはずだ。


 父であるオルゴット公爵の了承を得て、シェーラは竜の国に旅立った。そして今でも幸せに暮らしている。

 それなのに、公爵からの手紙が止まらない。


「どうしてかしら……」


 正式な婚礼こそまだだが、今は婚約者であり、何よりもシェーラは彼の番だ。手放すのを渋ると言われても、とっくに手放しているのでは? と思ってしまう。少なくとも、シェーラの方はそのつもりだ。


 けれど、娘を手放す父親というのは、理屈では語れないのかもしれない。


(……とにかく、返事を書きましょう)


 ペンを手に取り、シェーラは返事を書き始めた。


 ――お父さま、いかがお過ごしでしょうか。

 こちらはつつがなく過ごしております。竜の国は平和で、私はとても幸せです。

 どうかお気遣いなく、お心を痛められませんように。


 最初はそれなりに書く事があったが、さすがに今は話題が尽きた。それでもなんとか書き終えて、いつもの通りに封をする。一仕事終え、シェーラはほっと息をついた。


(疲れたわ……)


 ため息をつくなど、淑女として失格だ。

 けれどこの部屋の中では、シェーラはひとりの娘でいられる。


 それに竜の城は、あまり作法にうるさくない。これは種族の差なのだろう。その軽やかさは、実は案外心地いい。


(そういえば……アイナさんの前でも、ため息をついてしまったものね)


 シェーラよりも年若い、人間の少女。


 自分の後に狼の国に連れてこられ、同じようにひどい目に遭っていた。けれどその原因は、シェーラ自身にあったのだ。


 彼女にはいくら謝っても足りない。ジェイドもそれは同じなようで、何かとアイナを気にかけている。もっともそれには別の理由もあるかもしれない。


 竜の国の第一王子、ギルフェルド・ドラクス。


 艶やかな黒髪と藍色の瞳を持つ彼は、ジェイドの実の兄である。冷静沈着、思慮深く穏やかで、声を(あら)らげている姿など見た事がない。そんな彼が気にしているのが、アイナという少女だった。


 恋心という感じではない。けれど、いつも気にかけている。

 アイナはそれに気づいていない。だが、ギルフェルドをよく知る者ならば、その変化は明らかだ。


 アイナを見る時、彼の瞳は柔らかく揺れる。

 折に触れて様子を確認し、体調を尋ね、足りないものはないかと聞く。

 理由をつけては顔を見せ、そのたびに何かしら声をかける。


 何よりも、彼女には自分の名を呼ぶ事を許した。しかも、愛称で。

 これはめったにない事であり、周囲の者が仰天していた。


 明らかに、ギルフェルドはアイナを気にしている。ただし、前述の通り、恋ではない気がする。


(親心、とは違うのでしょうけれど……。保護者のようなものかしら)


 保護者というか、庇護者だろうか。

 彼女を慈しんで守る存在。それが一番近いと思う。

 そう思うと、彼もシェーラの父親と同じ立場なのだろうか。だとすると、少し複雑だ。


 ギルフェルドがああなってしまったらと考えると、想像するだけで少し怖い。

 シェーラが身震いした時、小さなノックの音がした。


「シェーラ、ちょっといいかな。兄上が話したいんだって」

「ええ、どうぞ」


 声をかけたのはジェイドだった。すぐに侍女が扉を開ける。ジェイドに続き入ってきたのは、つい先ほどまで考えていたギルフェルドその人だった。


(まぁ……)


「どうした」

「いえ、なんでもありませんわ」


 シェーラの返答に、藍色の瞳が一度瞬く。その中に混じる金色が揺れて、夜空のようにきらめいた。


「オルゴット公爵から手紙が来た。ジェイドにも話したのだが、お前にも見せるべきだと意見が一致した」

「わたくしに?」

「私宛の手紙なので、直接渡す。おそらくそれが正解だろう」


 一体なんだと思ったら、内容を読んでめまいがした。



 ――何度も尋ねて申し訳ないが、もう一度だけ答えてほしい。

 シェーラは幸せに暮らしているのだろうか。それだけが気がかりだ。

 以前、狼の国から送られてきたシェーラの手紙には、何の問題もないと書かれていた。

 文字が少し乱れているようだったが、内容に不審な点はなかった。

 ……なんと愚かな父親だったのだろう。そこに記された偽りに気づかなかったとは。

 今、シェーラの手紙には、心からの喜びが綴られている。

 だがそれが真実かどうか分からない。何度尋ねても不安が消えない。どれだけ幸せだと書かれていても、その真偽を疑ってしまう。

 そこで頼む。もしも貴公の弟君に心変わりがあった場合、必ず私に知らせてほしい。

 このような手紙を出す事の非礼は承知している。だが、それでも伏して願う。

 どうか頼む、竜人の王子よ。

 私は娘の幸せを心から祈っている。



 手紙はそこで終わっていた。続きがあるのかもしれないが、必要な部分はここだけだろう。

 内容を読み終えて、シェーラは額を押さえてしまった。


「お父様……なんてことを」


 下級貴族や平民ではない。相手は一国の王子なのだ。

 そして父親自身も人間の国を背負った大国の公爵だ。こんな事が表沙汰になれば、領地どころか、彼の命が吹き飛びかねない。


 領民に被害が出る事はないだろうが、竜人を怒らせればただでは済まない。それが分かっていないはずはないのに、どうしてこんな真似をするのか。


 頭が痛いのを通り越して、気を失ってしまいそうだ。


 ――けれど、どうしてだろう。


 なりふり構わぬその様子に、胸を打たれてしまったのは。

 ほんの少しだけ、嬉しいと思ってしまうのは。


(いえ、そんなことを考えている余裕はないわ)


 とにかく謝罪しなければと、シェーラが立ち上がろうとする。それを制し、ギルフェルドが無言で首を振った。


「問題ない。これを読んだのは私ひとりだ」

「ですが、ギルフェルド様」

「正確には、ジェイドも見たが。特に問題ないだろう」


 何を考えているのか分からない表情でひとつ頷き、手紙を抱きしめたシェーラを見る。

 ふと、その瞳が和らいだ。


「燃やせばなかったことになるが、その前に見せておこうと思った。胸を打つ、良い手紙だ」

「ギルフェルド様……」


「無礼ではない。人間の国ではどうか知らないが、我々の礼儀には適っている。親が子を心配するのは当然だ。まして、父親が娘を心配するのは当たり前のことだろう」

「ですがこんな、いくらなんでもこれは……」

「問題ないと、私が判断した。それでいい」


 良い手紙だと、重ねて口にする。

 どうやらギルフェルドはこの手紙がお気に召したらしい。その事にほっとしつつも、内心でシェーラは首をかしげる。


 この手紙のどこがそんなに気に入ったのか。

 それに気づいたのか、ギルフェルドはわずかに目を細めた。


「人間の親も、獣人に劣らず愛情深い。貴族や平民に関わらず、どこでもそうかと思っただけだ」

「それは、いったい……?」


 言いかけてシェーラは気がついた。


(そうだわ……確か、ギルフェルド様は、アイナさんの家へ)


 おそらく、そこで家族と会ったのだろう。そしてきっと、彼女の家族もこんな感じだったに違いない。


 あたたかく、愛情深く、少しだけ心配性。

 そこに共通点を読み取ったのだろうか。


(……もう、恥ずかしいわ)


 頬がじんわりと熱くなる。まるで小さな子供に戻ったような、頼りなく心もとない感じ。

 それでも誰かに気にかけてもらう事は、こんなにも嬉しい。


「ギルフェルド様も、このように思われますか?」

「私か?」

「いつか大切な方ができた時、こうやって案じてくださるのでしょうか」


 その問いに、ギルフェルドは目を瞬いた。ややあって、ひとつ頷く。


「そうだな」


 それも悪くない、と口にする。


 その脳裏によぎったのが誰なのか、詮索する事はない。けれどそれは、そう遠い日の事ではないだろう。


「ギルフェルド様、この手紙は燃やしてしまわれるのですよね?」

「ああ、そのつもりだ」

「もしお許しをいただけるなら、白紙の部分をいただけますか?」


 手紙の内容は残しておけないが、父親の愛情が詰まったものだ。きっとそれはこの先ずっと、シェーラを守る(しるべ)となる。

 ギルフェルドは快く許可をくれた。


「では、これをやろう」


 そう言うと、爪の先をすべらせる。音もなく切れた紙の片端には、一行だけ記されていた。



 ――私は娘の幸せを心から祈っている。



「ギルフェルド様、これは……」

「それなら後で読まれても問題ない。取っておくといい」


 構わない、と少し笑う。彼の笑顔は久々に見た。


「それよりも、ジェイドが拗ねている」

「え」

「この手紙がジェイドでなく、私に来たことが不満なようだ。後は頼む」


 慌ててそちらを向けば、ジェイドが「拗ねてないよ!」と首を振っている。珍しく口数が少なかったのに、今まで気づかなかった。


「ごめんなさい、ジェイド。気を悪くしないで」

「しないよ……しないけどさ……」


 悔しいなぁ、とジェイドが呻く。


 彼の気持ちもよく分かる。だが、多分これは、ギルフェルドが相手であっても同じだろう。

 第三者だからこそ、信頼して預けられる。そういうものも存在するのだ。


「わたくしはあなたを信じているわ。いいえ、違う。知っているの」

「シェーラ?」

「あなたが誰よりもやさしくて、誰よりもわたくしを好きでいてくれて、誰よりも信じられるのか。だから、大丈夫よ」


 そう、きっと、公爵も本当は分かっている。

 それでも聞かずにはいられないのだろう。その気持ちも分かるから。


「今度、一緒に手紙を書きましょう。お父さまに宛てて、二人で」

「……そうだね、シェーラ!」


 ぱっとジェイドの顔が輝く。

 視界の端で、ギルフェルドがやれやれといった顔をしている。けれど、その目はあたたかい。


 きっとこうやって、この先もずっと、幸せに暮らしていけるだろう。

 何があっても乗り越えられる。そんな人達と一緒にいる。



 ――だからどうか、お父様。



 心配しないでくださいと、次の手紙には書いておこう。


お読みいただきありがとうございます。シェーラを好きな男達、大体全員めんどくさい(前王、ジェイド、父親のオルゴット公爵)。


(※ギルフェルドは義理の妹として可愛がっているだけなので除きます)

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