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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
5.人間の国で(結)
29/32

29.あなたの番になりたかった(了)


「もちろん家族として、そういうこともあるでしょうが……。私より、姉を守ってもらわなくては」

「なぜだ」

「なぜってその……そういうもの、です、よ、ね?」


 慌てて自分の知る限りの常識と照らし合わせたが、間違ってはいないだろう。姉達との会話を思い返しても、「妻を守らない男は滅べ」だった。もしくは「ひねり潰されるか握り潰されるか選べ」だ。何をと聞いたら、二人そろってうふふと笑った。過激な姉で何よりだ。


「意味が分からない。お前を一番に守らなくてどうする」

「守られても困ります。そんなことになったら、家庭不和じゃないですか」

「どうしてそうなる。人間の習性か」

「違いますよ。普通はそういうものです」

「なぜだ」

「なぜって……」


 むしろなぜそんな事を聞く。


「理由が分からない。なぜ姉を優先する?」

「当たり前じゃないですか。優先してくれないと困りますよ」

「どうしてだ。理由を話せ」

「理由も何も……」


 姉の夫が、特別な事情もなくアイナを優先したら問題だろう。夫婦喧嘩まっしぐら、場合によっては離婚である。いや、その前にひねり潰されるかもしれない。そもそも、別に暮らす事は決まっているので、優先したくても無理だろうが。


 言いたい事は多々あったが、ギルフェルドの表情を見て口をつぐんだ。

 ギルフェルドは理解しがたいという顔をしていた。


「お前は、その男がお前より姉を優先するのを認めると?」

「それはそうですよ」


 姉の夫なのだから当然だ。


「理由があるのか」

「ありませんよ」


 むしろないからそうなるのだ。


「それならば、どうしてそんな横暴を許す?」

「横暴じゃないですよ。当然です」

「なぜだ。お前の夫になる男だろう」

「姉ですよ!」


 思わずアイナは叫んだ。


「姉?」

「姉の夫になる人に、一番に守られるわけにはいかないじゃないですか。姉を優先するのも当然です。もしかして、竜人は違うんですか?」


 だとすれば、種族の違いは大きすぎる。

 何か言おうとしたアイナは、ギルフェルドの様子に気がついた。

 彼は大きく目を見開き、ぽかんと口を開いている。そんな表情を見るのは初めてだった。


「……姉? では、今日の婚礼は」

「花嫁は姉で、私は花嫁の妹です。……え、あれ? もしかして、私が花嫁だと思ってらしたんですか?」


 ギルフェルドは何も答えない。呆然と、というのがぴったりな表情で、アイナの顔を見つめている。「ジェイドめ…」と呟いた声は空耳か。次の瞬間、息を呑むような変化が起きた。


 藍色の瞳に光が宿り、金色がまばゆい輝きを帯びる。大空の星々が一斉に騒ぎ出すように、きらめきが一気によみがえった。


「私に夫はいませんし、結婚の予定もありません。誤解してお祝いにいらしてくださったんですか? それは……申し訳ありませんでした」

「いや……」


 曖昧に首を振り、ギルフェルドは胸を押さえた。


 その目はアイナを見つめたままだ。瞬きもせず、食い入るようにアイナを見ている。揺らめいていた瞳の奥の炎が消えて、別の炎が点ったように見えた。


 執着。未練。哀しみ。慟哭。――そして、希望。


「構わない。お前に会えてよかった」

「ギルさま……」

「次はきちんと確認しよう。今度こそ、あふれるほどの花を贈る」


 約束する、と穏やかに告げる。炎はすぐに形を変えて、瞳の底に閉じ込められた。


 この人は、と思った。

 本心を隠すのがうまいのだ。瞳以外、すべて。


 その瞳さえ、ずっと見ていなければ分からなかった。理由は不明だが、彼はひどく悲しみ、その後喜ぶべき事が起こり、なぜかそれを隠そうとしている。


 理由を考えようとして、アイナはそれを放棄した。


 思考はまるで働かない。彼はアイナから目を離さず、アイナも彼から目をそらせない。この目を離したら消えてしまうとでもいうかのように、ひたすら互いを見つめている。


 胸から一本の糸が伸びて、彼の心臓とつながっている。理由もなく、そんな想像が浮かんだ。


 この糸を切ってしまったら、彼は死んでしまうだろう。体ではなく、心が。

 そしてアイナも無事ではいられない。それなのに、実際は目に見えず、手に取る事もできないのだ。ある事さえ気づかない、細い細い、頼りない糸。


 その糸だけをよすがに、アイナは彼を見つめ続ける。


 永遠と呼べるほどの時間が過ぎ、やがて片方が均衡を崩した。

 先に動いたのはギルフェルドだった。


「邪魔をして悪かった。元気で暮らせ、アイナ」

「あ……」

「本当に、会えてよかった」


 会いに来て悪かった、と聞こえた気がした。


 背中を向けようとして、ギルフェルドは手にした花の存在を思い出したらしい。少し笑い、アイナの髪にそれを挿した。

 しなやかな指が髪に触れ、耳の脇をかすめる。以前にも似たような事があったと思い出した。


 ふわりと甘い香りがする。

 体温を感じたのは一瞬、すぐにそれは離れていった。


「よく似合う。祝いの花だ」

「ありがとう……ございます」


 どうしよう。


 このままだとギルフェルドが行ってしまう。


 引き留めたくても、どうしたらいいか分からない。彼は小さく顎を引き、今度こそアイナに背を向けた。ためらう様子はなく――少なくとも表面上は――見えない翼をはためかせるために顔を上げる。


(待って)


 何か、何か方法は。


(行かないで)


 だって、まだ。


(ここにいて)


 まだ――何も。


 ギルフェルドの上体が動き、空に飛び上がろうとした――その時。


「……ギルさま!」


 アイナの声が、彼の動きを縫い止めた。

 ギルフェルドが驚いたように振り返る。


「ギルさまは……竜人の、番の方が、見つかりましたか?」

「……いや」


 浮かんだ表情をすぐに消し、ギルフェルドが首を振る。


「じゃあ、今はご自分で番を探していらっしゃるんですか?」

「いや、そのつもりはない」


 必要もない、と後を続ける。それを聞き、胸がしくりと痛んだ。


「どなたか……心に決められた方がいらっしゃるんですか?」

「……そうだな」


 頷いた彼に、先ほどよりも鋭い胸の痛みを感じた。


 それはそうだろう。彼ほどの人ならば、いつまでも独り身というわけにはいかない。きっとその恋はうまくいく。新たな番をわざわざ探そうとしないのも、その人がいるからに違いない。


 それでは、彼は番を手に入れるのだ。

 本能と運命に導かれる番でなく、自らの意志で選び取る、己自身の番を。


 そうか。

 そうなのか。


(そうなんだ……)


 よかったと、言わなければならない。


 うまくいくといいですねと、笑って背を押さなければ。

 幸せを祈っていますと告げて、今度こそ決別しなければいけない。


 それなのに、どうしてだろう。

 勝手に涙が込み上げてきて、笑顔さえうまく作れない。


(待って)


 お願い。

 どうか――どうか。


「……決めないで」

「アイナ?」

「番……まだ、選ばないで……」


 小さな小さな、声だった。


 あまりに小さくて、自分の耳に届くのがやっとなほど。それなのに、ギルフェルドは正確にそれを聞き取ったようだった。


「勝手なことを言ってごめんなさい。でも……でも、お願いします。少しだけ、もう少しだけ、待って……」


 お願いだから――。


「種族が、違うと……駄目ですか」

「アイナ、どうした」

「寿命が違うと……無理ですか」

「どうした、何かあったのか」

「ギルさま……ひとつだけ、私に聞いてないことがあります」


 こぼれ落ちる涙をぬぐい、アイナは小さくしゃくりあげた。


「幸せかって……聞いてない」

「――――」

「家族もいて、周りはみんな人間で、ご飯もちゃんと食べてます。平和で、にぎやかで、幸せで……。そんな、幸せな、はずなのに……」


 いつもどこかが空っぽで、少しだけ寂しかった。

 家族と笑っている時も、ぐっすり眠った翌朝も、お腹いっぱい食べた日も。

 ふとした時に浮かぶのは、いつも同じ姿だった。


「……家に戻ってからずっと、同じことを考えてました」

「…………」

「ギルさまのことを、思い出していました」


 あの人はどうしているだろうか。

 今も仕事に追われているだろうか。疲れてはいないか、何か困った事はないか、命を狙われたりはしていないか。


 たまには庭を眺めたり、空を見上げたりしているだろうか。もしかして、同じ時刻に同じ空を眺める事もあっただろうか。


 ――幸せで、いるだろうか。


 遠く離れていても、彼が幸福であるようにと願った。誰よりも幸せであってほしいと、毎日のように祈っていた。


 届かないと分かっていても、元気だろうかと口にした。

 会いたいと、顔が見たいと、何度も何度も思っていた。


 種族の違い、寿命の違い、身分と立場の違いに、背負うべき荷物の重みと価値。それらを突きつけられてもなお、あきらめられなかったのだ。


「行かないで」


 ぼろぼろと涙がこぼれていく。ひくっとしゃくりあげ、みっともなく袖口で涙を拭く。ギルフェルドは困惑した顔でそれを見ていた。


「……お前は、家族とともにいるだろう。人間の世界で生き、人間とともに暮らす。それがお前の幸福のはずだ」

「そうだけど……そうじゃない」


 それでは足りない。決定的に足りないものがある。だって――だって。


「ギルさまがいない」

「…………」

「一番会いたい人が、いない……」


 瞬間、ギルフェルドがきつく拳を握ったのが見えた。


「……竜の国に行けば、家族と離れることになる。今までのように一緒に暮らすことは難しい。私は国を離れられない。お前を家族と引き離したくない」

「兄は出稼ぎに行ったりするし、姉もお嫁に行きます。弟も妹も、ずっと一緒にいるわけじゃない。それが隣村でも、別の国でも同じです」


「だが、竜の国は遠い。お前が望むなら、できる限り里帰りさせよう。それでも、お前が家族から引き離されるのは変わらない」

「違いますよ、ギルさま」


 すんと(はな)をすすり、アイナは笑った。


「離れていても、家族です。どこにいても、何をしていても、家族は私のそばにいます。ひとりぼっちなんかじゃない」


 ここに、と自らの胸を示す。そこにはギルフェルドからもらった竜の鱗がきらめいていた。


「だが、それでは」

「家が花なら、家族は種です。ずっと同じ場所にいたいけど、いつかは旅に出るんです。そこで新しい場所を見つけて、新しい家を作ります。みんなそうやって、家族を作っていくんです」


 小さな種が芽吹くように、新しい暮らしが息づいていく。

 知らない土地に根を張って、新たな日々を歩み出す。

 試行錯誤を繰り返し、喧嘩や仲直りを繰り返し、少しずつ思い出を積み重ね。

 そうやって、新しい世界で花開く。


 だから。


「新しい家族を作ることも、できるんです」

「……!」

「これから家族になることだって、できるんです」


 そこには血のつながりも、種族のつながりも関係ない。

 ただ、家族になりたい。そう願うだけで生まれる絆を、どうか消さないでほしいと思う。互いの覚悟ひとつでちぎれてしまう脆弱な糸。それでもそれは、何よりも強い絆だった。


 ごめんなさい、とアイナは言った。


「勝手なことを言ってごめんなさい。幸せじゃないなんて言ってごめんなさい。でも……でも、私……」


 ――今のままじゃ、幸せになれない。


 声にならない響きに、ギルフェルドは眉を寄せた。苦しげに息を吐き、囁くように告げる。


「……私のそばにいることで、お前は苦労するだろう。竜人の影響を受ければ寿命も変わり、いずれは家族を見送ることになる。愛する人に先立たれ、取り残される哀しみを背負わせたくはない」

「人間だって同じです。いつどうなるかは、誰にも分からないことだから」

「それでも、お前を悲しませたくはない」

「違いますよ、ギルさま」


 どう伝えたらいいのか分からなかったが、言うべき事は決まっていた。飾る言葉も駆け引きもなく、素直な気持ちを口に載せる。


「私は今、悲しいです」

「……」

「寂しくて、辛いです。苦しいです。――私は今、幸せじゃない」


 だって。


「あなたがいないと、幸せじゃない」


 ギルフェルドがはっと息を呑んだ。


「す……好きな方がいるのに、こんなことを言ってごめんなさい。でも、どうしても……これだけは、ちゃんと伝えておきたくて」


 今言わなければ一生後悔すると思った。


 二年前は言えなかった。口に出すのが怖かった。そんな勇気も覚悟もなく、失う事に怯えていた。

 あきらめて手放したつもりでも、どうしても忘れられなかった。


 本当は、今でも怖い。拒絶されたらどうしよう。もう会えなくなったらどうしよう。なんて馬鹿な事をと思う自分が、胸の中で叫んでいる。それでも言葉は止まらなかった。


「……会いたかった」

「アイナ……」

「ずっとずっと、会いたかった」

「アイナ、私は」

「あなたが好きです、ギルさま」


 最初で最後の告白は、涙に濡れてかすれていた。


 ギルフェルドはどんな表情を浮かべているだろう。そう思うのに、視界がにじんで分からない。


「あなたに会えたら、言いたかったことがあります。もし……もし、まだ、番が決まっていないなら……」


 声が詰まる。涙がこぼれる。


「……私を……番にしてください」


 どうか。

 どうか、叶うなら。


「あなたの番にしてください」


 他には何も望まない。他には何もいらないから。


 私はあなたの番になりたい。


 種族が違おうと、寿命が違おうと、家族をいつか見送り、悲しみに押しつぶされそうな日が来ようと。


 心細さに泣き濡れても、この手を離したくはない。そう思ってしまったから。


「あなたの番に、なり――っ……」


 続く言葉は言えなかった。

 ギルフェルドにきつく抱きすくめられ、アイナは思わず息を呑んだ。


「……竜人は番に執着する。他の種族など足元にも及ばないほど強く、強く。一度手に入れれば、二度と手放さない。死ぬまでずっとだ」


 それでもいいのか、と囁かれる。アイナはこくこくと頷いた。


「お前の苦難は私が払う。邪魔する者は容赦しない。お前が望むなら、どんな願いも叶えよう」

「いらないですよ、そんなの」


 ギルさま、とアイナは笑いかけた。


「一緒に生きていきたいです。嬉しい時も、悲しい時も、ずっと」

「……ああ」


 約束しようとギルフェルドが頷く。


「お前が番だ、アイナ」

「ギルさま……」

「私の番だ。もう二度と離さない」


 ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、さすがに苦しくなってアイナはうめいた。


「ちょっと……ちょっと待ってください、強い、きつい」

「すまない、つい」


 すぐに力はゆるんだが、未だに腕の中に閉じ込められている。髪に頬に口づけられ、ふたたび強く抱きしめられた。


「愛している、アイナ」

「ギルさま」

「お前が、お前だけが……私の番だ」


 間近で見上げたギルフェルドの瞳は、満天の星のようにきらめいている。


 この瞳がこんなに輝いているのを初めて見た。


 番を得た獣人は、皆このようになるのか。

 至上の喜びに満ちあふれ、黄金の輝きに彩られ、尽きせぬ愛しさを捧げ続ける。胸を打つほど切実に、誠実に。狂おしいほどの熱情を秘めて。


(ああ……)


 なんて、愛おしいのだろう。


 ギルフェルドの体から目に見えない何かが湧き上がり、周囲に広がっていくのが分かった。


「アイナ」


 そっと、名前を呼ばれる。

 大切な宝物に対するように慎重に、ひそやかに。

 だからアイナは身を固くして、少し身じろぎ、それからそろそろと目を閉じた。


 たまっていた涙がこぼれ落ちる。

 それと同時に、ギルフェルドの唇が重なった。




    ***

    ***




 それからしばらくして、村からもうひとりの花嫁が出た。


 家族全員に祝福され、色とりどりの花に囲まれて、美しい衣装に身を包んだ花嫁は凛々しい竜人の手を取った。


 二人は幸福そうに微笑み合い、ごく自然に寄り添った。


「忘れ物は?」

「ありません」

「荷物はあるか。大切なものは」

「ありません。もう全部送りました」

「別れを告げたい者はいるか」


 その言葉に、花嫁がくすぐったそうに笑う。


「もう十分言いました。さっさと行けって言われましたよ」

「なるほど」

 それならいい、と竜人が微笑む。


「では――出発だ」


 そして彼らは飛び立った。

 行き先は竜の国。竜人達が暮らす地だ。


 花嫁の衣装がなびき、風を受けてひるがえる。

 その胸には、まばゆい竜の鱗がきらめいていた。


お読みいただきありがとうございました!


*『わたしは番になれなかった』の後日談です。

ブクマと評価とリアクション、どうもありがとうございます。とても励みになりました。またどこかでお目にかかれると幸いです!

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