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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
4.番の資格

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24/32

24.番だった娘


    ***



 それから二日、アイナは熱を出して寝込んだ。


「ひどい目に遭われて、心労が大きかったのでしょう。お気の毒に……」


 ファナが付きっきりで世話を焼いてくれたが、ろくにお礼も言えなかった。

 熱にうなされている間、昔の夢をいくつも見た。ほとんどは辛い記憶だったが、中にはなつかしいものもあった。



 ――アイナ。ほら、ザクロをやろう。お前が好きだと言ったから、取り寄せたのだ。



 ああ、これはガルゼルの声だ。

 記憶の中のガルゼルの声。



 ――アイナ、うまいか? 一番良いものをと命じたのだ。一番大きくて、一番甘いのだ。すごいだろう!



 真っ赤なザクロの実と、それを差し出すガルゼルの手。



 ――俺にも一粒分けてくれ。お前の手からもらいたい。



 そう言って、アイナが手渡すザクロの粒をぱくりと食べた。

 指先に唇が触れ、アイナは思わず手を引っ込めた。

 それを見て笑ったガルゼルの顔は、ひどく幸せそうだった。


(そうだ)


 出会ったころのガルゼルは、いつでもこんな顔をしていた。

 赤く輝く瞳がこちらを見ている。

 ザクロとよく似た、宝石のようなガルゼルの瞳。


 あの色が、アイナはとても好きだった。

 この人とずっと一緒にいるのだと、そう思った時もあったのに。


「……あ……」

 目を開けると、そこは自分の部屋だった。


「アイナ様、お目覚めになられましたか?」

 すぐにファナが駆け寄ってくる。


「こんなにやつれて、お可哀想に……。何か召し上がりたいものはありますか? 飲み物は?」

「いえ、大丈夫……です」

「では、せめてお水を」


 口元に差し出された水を、アイナは一口飲み込んだ。

 レモンを絞っているらしく、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。喉を通った心地良さに、思わずほっと息がこぼれた。


「おいしい……」

「それはよかったです。本当に……あのクソ狼……ぶち殺してやる……」


 アイナの意識が戻ったせいか、ファナの口癖が復活している。それには触れず、アイナは一番気にかかっていた事を口にした。


「……ガルゼルさまは……どうなったんですか?」

「アイナ様が気になさる必要はありません。あんな男、八つ裂きにしても足りないくらいです」


 相当腹に据えかねたのか、ファナの目が据わっている。一応狼の国王なのだが、それは関係ないらしい。あんな男、と吐き捨てる口調には凄みがあった。

 それ以上聞き出す事もできず、アイナは追及をあきらめた。


「すぐに第一王子殿下をお呼びします。アイナ様がお目覚めになる直前まで、ずっと付き添っていらしたんですよ」

「そうですか……」


 そういえば、夜中に何度か目覚めた時、ギルフェルドの姿もあった気がする。

 ツキン、とアイナの胸が痛んだ。


「アイナ様?」

「……なんでもないです。もう少し寝てもいいですか?」


 もちろんですという声を受け、アイナはふたたび横になった。

 心の中でいくつもの感情が生まれて消える。

 泡のように浮かび上がり、パチンと弾けて消えていく。


 どうしよう、とアイナは思った。

 誰にも言えない。言えるはずがない。

 今になってこんな事、知りたくなかったのに。






 翌日もアイナの体調はすぐれず、食欲もあまり湧かなかった。


 ファナはガルゼルのせいだと思ったらしく、「クソ狼」が「どクソ狼」に進化していた。止めるのも変なので放っておいたが、さすがに周囲に止められていた。止めたところで「どクソ狼」が「クソ狼」に戻るだけなのだが。


 ギルフェルドも毎日見舞いに訪れ、アイナの様子を確かめている。ガルゼルの話は出たものの、詳しい話は聞けなかった。


 誰もが皆、ガルゼルのしでかした事に憤り、アイナに同情を寄せている。


 レフリレイアの処分も決まった。ギルフェルドの言った通り、王家との絶縁は決定的となり、ザグートの一族もかなりの責を負ったようだ。レフリレイアの暴走はもちろん、一族の者が竜の城を襲撃したのだ。そうなるのも当然だろう。


 しかも、襲われたのは第一王子が目をかけている侍女と、第七王子の番である。特にジェイドの怒りはすさまじく、一族を壊滅する勢いだった。


 あんなにやさしくて可愛い人が、そんなに怒る姿は想像もできない。

 けれど、その話をした人々は全員遠い目をしていた。



 ――まぁ……番に手を出されたのだから……。そう、まぁ、仕方ない……でしょうね……。



 彼が何をしたのかアイナは知らない。


 アイナの周りは平穏で、静かな時間が流れていた。


 数日もすると、ガルゼルの話題は出なくなった。

 誰もガルゼルの名を口にせず、事件に触れない。ファナもあれ以来、たまに「クソ狼」と呟くだけになった。それはありがたかったけれど、気を遣いすぎだと思った。


 ――本当は、知りたいのに。


 シェーラが訪ねてきたのはそんな時だった。



    ***



「気分はいかが、アイナさん?」

「シェーラさん……」

「顔色はいいみたいね。良かったわ」


 今日もシェーラは美しかった。

 ひどい顔つきに気づかないはずはないのに、シェーラはそれに触れなかった。部屋の外にはジェイドもいて、アイナにそっと手を振った。


「悪いけれど、二人きりにしてもらえるかしら。アイナさんと内緒のお話があるの」

「かしこまりました」

 ファナが部屋を出ていくと、シェーラは寝台に歩み寄った。


「そのままでいいわ。起き上がるのは辛いでしょう」

「いえ、でも」

「気になるなら体を起こして、背中に枕を当てるといいわ。……ええ、それで大分楽なはずよ」


 言われた通りにすると、確かにずっと楽だった。


「熱を出したと聞いたの。もう大丈夫なの?」

「はい」

「こうしているのも疲れるでしょうから、手短にね。アイナさんが心配されている方は、今は地下牢にいるわ」

「!」


 はっとアイナは息を呑んだ。


「処分が決まっていないのよ。狼の国に使いは送ったけれど、尋問が進まなくて。その状態で送り返すわけにはいかないでしょう。あちらも困惑しているみたい」

「どうして、それ……」

「ジェイドに教えてもらったの。アイナさんが知りたいのではないかと思って」


 シェーラのまなざしはやさしかった。


「……どうして?」

「だって、わたくしもそうだったもの」


 知りたくてたまらなかったもの、と。


 それを聞いてアイナは思い出した。

 前王もこの城に忍び込み、シェーラを攫おうとしたのだ。そしてすぐに捕らえられた。今は別の場所にいるらしいが、詳しくは知らない。


 シェーラはその時、一体何を思っただろう。


「それが分かるのは、この城ではわたくしだけだと思ったの。だから、教えに来たのよ」

「……ありがとうございます」

 礼を言うと、彼女は柔らかく目を細めた。


「ねえ、アイナさん。あの方に会いたい?」

「それは……」

「誰にも言わないわ、約束する。だから、正直に答えてね。……会いたい?」


 アイナは信じられない気持ちだった。

 なぜ彼女がそんな事を言うのか分からない。会いたくないと――そう言ってしまうのは簡単なのに、口がうまく動かなかった。


「……どうして……?」

「言ったでしょう。わたくしもそうだったもの」


 だから隠し事はなしよ、と微笑んで。


「わたくしの糸は切れてしまったの。だからあの方を見ても、番という情は湧かなかった。けれど、わたくしはあの方に恋していた。六年の間、ずっと」


 人柄を知り、会話を交わし、思い出を積み重ねていく中で、愛しさは少しずつ育っていった。それは番だからでなく、彼自身を好きになったからだ。


 番の糸が切れても、すべてが消えたわけではなかった。


「……番というのは、本当に不思議ね。わたくしたち人間には感じ取れないはずなのに、それでもどこかが訴える。この人が番だと分かる時がある。獣人よりもずっとわずかで、瞬きのようなものだけれど」

「シェーラさん……」

「行きましょう。ジェイドが時間を稼いでくれる」


 そう言うと、シェーラは手を差し伸べた。


「地下牢の見張りに話もつけたわ。少しの間なら大丈夫よ」

「えっ、で、でも」

「心配ないわ。何かあればわたくしが責めを負う」


 いつの間にか、扉の外に人の気配がなくなっていた。

 ジェイドの姿も消えている。シェーラに付きっきりの彼が、そう簡単にそばを離れるはずがない。


「どちらにしても、尋問ができないと彼らも困るものね。たとえ見つかっても、きっと見逃してくれるでしょう」


 シェーラは晴れやかに微笑んだ。さあ、とアイナに決断を迫る。


「私は――……」


 アイナはごくりと息を呑んだ。

 そして、シェーラの手を取った。

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