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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
4.番の資格

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21.怒り※


「アハハハハ! いい顔ね。その顔が見たかったのよ」

「や……」

「もっとわたくしに見せてちょうだい。そのみすぼらしい顔が苦痛と羞恥に歪むのが、今からとても楽しみだわ」

「アイナにひどい真似をする気はない」


 ガルゼルが口を挟んだが、「お黙り」と撥ねつけられる。


「お前が今からどんな目に遭うか、じっくり教えてあげましょうか? わたくしの目の前で、お前はこの男のものになるのよ。どんなに嫌がっても許さない。この男はお前を逃がさないし、わたくしも逃がすつもりはない」

「やめ……」


「どれだけお前が(よろこ)んだか、あの方に報告してあげる。心配しなくても、泣き叫ぶ声は聞こえないわ。ここは禁じられた奥庭の先。誰も助けには来ないもの」

「やめて、嫌……」


「最初は痛くて怖いでしょうね。でも、すぐに慣れるはずよ。だってお前たちは、運命で結びついているのだから」

「いや……っ」

「この男のものになりなさい。そうすれば、命だけは助けてあげる」


 みっともない小娘、とレフリレイアが吐き捨てる。


「下等な人間の小娘が、あの方のおそばにいるなんて。最初から許されないことだったのよ。それをわたくしが正してあげる」


 扇を閉じ、その先でアイナの頬を軽く打って。


「泥棒猫にはお似合いでしょう? ああ、狼だったかしら。どちらにしても、同じことね」


 ふふ、と意地悪く含み笑う。

 そんな事を企てる者がいるという事実に、アイナは目を見開いた。


 人間でも、竜人でも関係ない。

 種族は違えど、相手は意思ある者なのだ。その思いを無視し、尊厳を傷つけて、自らの望みを叶えようとする。


 そしてその相手が望むのは、ギルフェルドの番の座だ。

 彼の番となるために、邪魔なアイナを追い落とす。そのためには手段を選ばない。それどころか徹底的に追い詰めて、取り返しのつかない事をしようとしている。


(……こんな人が……)


 彼の番になるというのか。

 運命に導かれず、互いに想い合う番。そんなものになろうというのか。


 ――嫌だ。


 その瞬間、胸の中の怒りが燃え上がった。


「……あなたはギルさまにふさわしくない」

「なんですって?」

「あなたはギルさまの番じゃない。番になんか、なれるわけがない」


 怒りが胸を燃やしていた。


 竜の城で過ごしているうちに、体の傷は癒された。それと同時に、心もゆっくりと癒えていった。こうして怒れるようになったのは、助けてくれた人々のおかげだ。アイナを案じ、気遣ってくれたからこそ、こうして立ち直る事ができたのだ。


 それをふたたび踏みにじろうとする人が、あの人の番のはずがない。


「ギルさまはあなたの番じゃない。私があの人の番じゃなくても、あなただけは違う。だってあなたは、ギルさまの隣にふさわしくない」

「何を……小娘が」


 ガルゼルの腕から抜け出し、よろけつつ身を起こす。立ち上がる事はできなかったが、それでも今は十分だった。


「あなただけは番になれない。どんなに望んでも、手に入るはずがない」


 何があろうと、絶対に。


(だって)


「あの人はそれを望まない」


 だって。


「あなたみたいな人、ギルさまが選ぶはずがない!」


 アイナの叫びに、レフリレイアは息を呑んだ。

 じり、とヒールを履いた足が後ずさる。

 肩で息をつき、アイナはレフリレイアを見据えた。


 黒曜石のような瞳がきらめき、まっすぐに彼女を刺し貫く。

 意識していなかったが、それはギルフェルドのまなざしによく似ていた。

 アイナに気圧されたのを知ったのか、レフリレイアの顔が怒りに染まる。


「人間の小娘風情が、生意気なっ……」

 始めなさい、とレフリレイアが命じる。


「その小娘に思い知らせてやりなさい。早くするのよ!」

「!」


 絨毯の上に押し倒され、ガルゼルがのしかかってくる。彼は性急な手つきで肌をまさぐり、アイナの服をたくし上げた。


「やだ、やめっ……」

「おとなしくしろ。お前に怪我をさせたくない」


 アイナの意思を無視している張本人が、そんな気遣いを向けてくる。お笑いだ、とアイナは思った。


「気持ちよくとまではいかないが、痛みを与えるつもりはない。お前は俺の最愛だ」

「だったら、離してっ……」

「それはできない。ここでお前を俺のものにする。今度こそ、本当の番になるために」


 それが番なら、アイナには永遠に分からない。

 分かりたくもない。これは単なる暴力だ。


 見当違いも(はなは)だしい。こんな手段で番になったところで、心がついてくる事は絶対にない。彼にはそれが分からないのか。


 彼も――前王も。

 番という存在さえあれば、あとはどうでもいいのだろうか。

 アイナを傷つけ、無理やり自分のものにしても、心は手に入らないのに。


「愛している、アイナ。俺の番」

「嫌っ……」

「今度こそ大切にする。何があっても離さない」

「やめて――離して!」

「お前は俺の番だ。俺と一生を共にすることが、番であるお前の幸せだ」


 その瞬間、先ほどとは別の怒りが湧き上がった。


「あなたがそれを決めないで!」


 びっくりするほど大きな声が出た。

 ガルゼルが弾かれたように身を起こす。まるで雷に触れたかのごとく、アイナを押さえつけていた手が離れた。


 それを不思議に思う間もなく、急いで彼の下から抜け出す。出口に駆け出そうとして、アイナの全身が硬直した。


(何……!?)


 すさまじい衝撃が足を凍らせる。

 先ほども感じた恐怖と重圧。屈服したくなる衝動に抗いながら、かろうじて踏みとどまる。冷気が体にまとわりつき、足元から震えが湧き上がった。


 動けなくなったアイナを引き戻し、ふたたび床に転がすと、レフリレイアは扇で指先を払った。


「言ったでしょう、逃がさないと」

「なに……を……」

「竜気で威圧を与えたわ。当分まともには動けないはずよ」


 触れてしまったわ、忌々しいこと、とひとりごちる。


「人間の小娘ごときが、竜人に逆らえると思っていたの? お前はもう逃げられない。お前は今日ここで、狼の番になるのよ」


 続けなさい、とガルゼルに命じる。同じく固まっていたガルゼルが、我に返ったようにアイナに近づいた。


「や……っ」

「このまま竜気を浴びせ続ければ、体の自由は利かないはずよ。嫌がって暴れる姿が見たかったのだけれど……仕方ないわ。たっぷり()かせてあげなさい」

「アイナ……大丈夫だ。おとなしくしていれば、すぐに済む」

「わたくしによく見えるようにしてちょうだい。特に、泣き叫ぶ顔が見えるようにね」

「嫌、誰か……!」


 ふたたび冷気が吹きつけて、アイナの抵抗を封じてくる。

 これが竜気なら、とんでもない代物だ。


 ガルゼルが腰を抜かしたのも頷ける。こんなものをまともに浴びたら、竜人に逆らう事はおろか、顔さえまともに見られない。


 ギルフェルドからたまに漏れていたピリピリとした気配。あれは竜気だったのだろうか。一度もアイナを傷つけた事のない、アイナを案じるあの気配は。


(ギルさま)


 首筋に顔を近づけられ、アイナは懸命に抗った。

 こんなところで彼らの思うようにはさせない。たとえ無理でも、限界まで抗ってやる。最後の瞬間まで、絶対にあきらめてたまるものか。


 その強さをくれたのも、この城にいるやさしい人々――そして、ギルフェルド本人だった。


「私に、触らないで……っ」

「おとなしくしてくれ、アイナ。これで何もかも元通りだ」

「元通り?」


 何を言うのかとアイナは思った。こんな時なのに、笑ってしまいそうだった。


「私は……変わりました。多分もう、元に戻ることはありません」

「何を……アイナ……」

「あなたへの気持ちは、恋じゃなかった。でも、寄り添うことはできると思った。私には番が分からないけど、そばにいることはできるから」


 そう、彼に対する恋情はなかった。

 けれど、親愛の情は感じていた。多分あのままいけば、やがて恋心に育っただろう。そういう予感は確かにあった。


 ――けれどもう、そんな未来は存在しない。


「あなたが私を捨てた時、私は番じゃなくなりました。本当はどうかなんて関係ない。私はあなたの番じゃないし、番に戻ることもありません」

「何を言っている!? お前は俺の番だ。それは間違いのないことなのだ!」

「私にはそれが分かりませんし、分かったとしても、答えは同じです」


 胸の中がじくじくとうずいている。

 その理由が分からないまま、アイナはガルゼルの目を見据えた。舌は先ほどよりもなめらかに動いた。


「離してください、ガルゼルさま」

「あ……」

「何をされても、元には戻れない。こんなことをしても、ただ嫌いになるだけです」


 知らないうちに、冷気から解き放たれていた。

 胸の中で燃える火が、彼女の威圧を消し去ったようだった。

 それが分かったのか、レフリレイアが眉を吊り上げる。


「さっさと最後までしておしまい! 急ぐのよ、早く!」

「あ、ああ……」


 ガルゼルがアイナの服に手をかけた時だった。

 すさまじい風が吹きつけ、ガルゼルの体を吹き飛ばした。

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