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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
4.番の資格

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20/32

20.ガルゼル※


    ***



「どうして、ガルゼルさまが……?」

「迎えに来たのだ。共に狼の国へ帰ろう」


 ガルゼルは少しやつれているようだった。頬がこけ、伸びかけた髪もぱさついている。けれど真紅の目はぎらついたまま、アイナを熱っぽく見下ろしていた。


 どうして彼がここにいるのか。ガルゼルはこの城に近づけないはずなのに。

 そもそも、なぜアイナがここにいる事が分かったのか。


 ギルフェルドがアイナを連れ帰ったのはずいぶん前だ。とっくに場所を移したと思ってもおかしくない。平民である自分がこの城にいる事を知っているのは、ごく一部の人だけだ。ガルゼルはどうやってそれを知ったのだろう。


 それに――先ほど感じたあの感覚は。

 色々と疑問はあったが、アイナは反射的に答えていた。


「帰るって、どうして? 私はもう、あなたの番ではないんでしょう?」

「間違いだったのだ。調べた結果、香水はお前と無関係だった」

「えっ……」

「見つかった香水も、使われていたのは前王の髪だった。俺に使うなら、俺の髪や血を用意しなければならない。つまり、お前は無実だったのだ」

「…………」


 今さら? とアイナは思った。


 あれだけ言ったのに、調べてほしいと頼んだのに。

 誤解だとも言った。何も知らない、信じてほしいと、どれだけ彼に訴えただろう。

 そのすべてを黙殺し、あるいは口汚く罵って、アイナを虐げたのは目の前の彼だ。


 なぜ今になってそれが分かったのか、分かったから何なのか、アイナの思いはひとつだった。


 ――それが何?


 思った以上に冷静な自分に驚いたが、それを当然と思う気持ちもあった。


 どうして分かったかなんて、今さらどうでもいい事だ。大方、ギルフェルドに言われた事がきっかけとなり、調べてみる気になったのだろう。もしくは竜人であるギルフェルドの不興を買ったと思い込んだ周辺の者が気を利かせたのかもしれない。


 あれだけ言っても無駄だったのに、竜人が関わるとこうなのか。

 その変わり身の早さには、もはや感心するしかない。


「お前は俺の番だった。それが分かったのだ、アイナ」

「……そうですか」

「もう二度と離さない。今度こそ幸せに暮らそう。俺がお前を幸せにする」


 ガルゼルの口調は熱を帯び、アイナを情熱的に見つめていた。以前なら気恥ずかしかったはずのそれを、アイナは冷静に受け止めた。少しも嬉しくないのが不思議だった。


 アイナの顔には笑顔がなかったが、ガルゼルは気づかないようだった。


「ひどい目に遭って傷ついただろう。俺がその傷を癒し、お前を守る。誰からも傷つけさせないと誓おう」

「……私を奴隷にしたのは、あなただったと思いますけど」

「だから、誤解だったのだ。誤解が解けた以上、俺たちを阻むものは何もない。今度こそ幸せになろう、アイナ」


 ガルゼルは迷いのない瞳で言った。

 自分は悪くないのだと、心から思っている目だった。


 ざわり、と胸が波立った。


 アイナは彼を見上げた。体の奥から込み上げてくる感情があった。


「もう一度言います。私を奴隷にしたのはあなたです」

「アイナ……?」

「私は何度も違うと言った。信じてくれって言いました。聞いてくれなかったのはガルゼルさまです」

「聞こえなかったのか? それは誤解だったと言っただろう。お前は本物の番だったのだから、俺と一緒に国に帰……」

「嫌です」


 彼の言葉を遮る事など初めてだった。

 要求を()ねつけられ、ガルゼルがぽかんとした顔になる。

 心の中に、小さな熱が生まれていた。

 狼の城では考える事もできなかった、それは確かな怒りだった。


「私はあなたの番じゃない。あなたがそう言いました。本物かどうかなんて関係ない。今さらどうでもいいことです」

「アイナ……何を言って」

「あなたは私を信じなかった。私の声を聞かなかった。番だと言ったのに、勝手な思い込みで私を拒んだ。全部、あなたがしたことです」

「だから! 俺の部下が間違えたのだ。責められるべきはそいつだろう!」

「それを信じたのはあなたです!」


 叩きつける声に、ガルゼルは引っぱたかれたような顔をした。


「……『何も知らない、本当に知らない。どうか調べて、話を聞いて。』。……何度も何度も、あなたに訴えた言葉です」



 ――どうか、どうか。お願いだから信じてほしい。



「改めて調べることになった理由は知りません。もちろん、知りたくもありません。でも、それで分かる程度のことなのに、私がいくら頼んでも調べてくれなかった。どんなに訴えても、あなたはそれを黙殺した」

「だから、それはっ……」

「私の匂いが香水と似ていたのは、運の悪い偶然でした。でも、その後のことは全部、ガルゼルさまの選んだ結果です」


 アイナを偽物と断罪したのも、奴隷に落とすと決めたのも、苛烈な罰を与えたのも。何もかも、ガルゼル自身の判断だ。

 その結果、アイナを手放す事になり、彼は番を失った。


 ああ――とアイナは思った。


 こんなに簡単に解けた誤解を、この人はまともに取り合わなかった。

 騙されたと思い込んだにせよ、確認すらしなかったのか。

 怒りに我を忘れ、冷静さも失った。

 その結果、自分が何をしたのかも分かっていなかったのだ。


「自業自得です。あきらめてください」


 ガルゼルの手がゆるんだのをきっかけに、アイナはようやく身を起こした。立ち上がろうとして、「待ちなさい」と声がかかる。


「本当に生意気な小娘ね。お前をこのまま帰すわけがないでしょう」

「レフリレイアさま……」

「せっかく苦労して忍び込ませたのに、何もせずに終わると思うの? あの方の威圧を解くのは苦労したけれど、その分は働いてもらうわよ」


 レフリレイアは酷薄な顔でアイナを見下ろしていた。

 それを聞き、アイナは瞠目した。

 竜人同士ならそんな事もできるのか。いやそれどころか、今の話によれば、彼女はこの状況を作り出した首謀者という事になる。


 先ほどの騒ぎはもしかして、ガルゼルの侵入を許したせいか。それならあれだけの騒ぎになっているのも頷ける。


(でも、どうしてそんな真似……)


 そこまで思った時、レフリレイアが動いた。

 アイナの前に歩み寄り、服装の乱れたアイナを睥睨する。フンと鼻を鳴らし、手に持っていた扇を広げた。


「余興はもういいわ。いつまでもこんな下等な生き物と同じ部屋になどいられない。さっさと目的を済ませなさい」


(目的?)


「いや……俺は……」


 ガルゼルは衝撃を受けた顔をしていた。だが、「何をしているの」という声を受け、はっとしたように身じろいだ。


「いいから、早く目的を済ませてしまいなさい。薬の効果は切れているわ。騒がれると厄介よ」

「あ……ああ。だが……」

「まさか、ムードを気にしているというわけ? お笑いね。下等な狼と人間風情、床でもどこでもいいでしょう」

「それはっ……」


 プライドを傷つけられたと思ったのか、ガルゼルが怒りの混じった表情を浮かべる。だがすぐに「早くしなさい」と命じられ、悔しげに歯噛みした。

 こちらを見つめられ、アイナはびくりとした。


「アイナ……。愛している」

「何、……」

「ひどいのは今回だけだ。次からは羽根を敷き詰めた敷物を贈ろう」


 じりっと近づいてくるガルゼルに、わけも分からず不安になった。

 逃げ出そうとして、素早く足首をつかまれる。床の上に引き倒され、ふたたびガルゼルがのしかかってきた。


「やだ、何っ……」

「おとなしくしてくれ。お前を傷つけたくはない」

「何して、やめてっ……」

「あの時のやり直しをしよう。今度こそお前を幸せにする」


 顔を近づけられ、アイナは必死に抗った。

 あの時という言葉に心当たりがあった。


 狼の国を出る直前、この城に連れてこられるきっかけとなった出来事。

 八つ当たりで呼び出され、気まぐれを起こして襲われた。二年後には娼館送りになるのだから、同じ事だろうとせせら笑われて。


 あの時は怒りで濁っていた目が、今は熱情で濁っている。どちらも欲望をにじませた、傲慢で身勝手な色だった。


「嫌です! 私はあなたのものにならない。そんなの絶対にごめんです……っ」

「分からないことを言うな。お前は俺の番なのだ」

「それを捨てたのはあなたです。あの瞬間、私は番じゃなくなりました」


 自分のどこからこんな力が湧いてくるのか分からなかった。


 この城に来てしばらくは、平穏なだけで満たされた。それ以外に望む事はなく、嫌な事は忘れてしまいたかった。


 戦うよりも目を閉じて、過ぎ去る事を選んだ。怒るのは苦手だし、争うのは怖かった。


 人を傷つけたくはなく、ひどい事も言いたくない。意気地なしと言われようと、それがアイナの性分だった。


 そんな気持ちは今でもある。


 多分このまま離れていたら、アイナは彼を忘れただろう。完全に忘れ切る事はできなくとも、過去の悪夢にしてしまえた。誰かを憎み続けるのは体力がいる。恨むのも、嘆き悲しむのも。それとは逆に、自分を(あわ)れむのも嫌だ。


 ほんのわずかに残ったやさしい記憶が、かろうじてそれを支えてくれた。


 けれど、今。


 彼がここにいて、ふたたび身勝手な行為に及ぼうとしているのを目の当たりにして、初めて正当な怒りが湧いた。


「あきらめろ、アイナ。お前は俺の番なのだ」

「そんなの、違うっ……」

「違わない。番は共にいるべきだ」


 ガルゼルの力は強かった。どんなに抗っても、体の下から抜け出せない。けれどあの時と違うのは、彼がアイナに怪我をさせないよう細心の注意を払っている事だった。


「お前の気持ちが整理できないのは仕方ない。だから今日は、先に形だけ与えておこう」

「何を……」

「本当の意味で番になるのだ。心は後から添えばいい」


 さらに力を込められて、アイナは身をこわばらせた。


「……やめて……」

「心配せずとも、ひどくはしない。二人きりでないのは申し訳ないが、それが城に入れてもらう条件だった」

「……条件?」

「俺たちの営みを見たいそうだ。確実に最後までしたと分かるように、間近で見物したいと。それを了承するのなら、お前に会わせてやると言われた」


 信じられない言葉に息を呑むと、おかしそうな笑い声がした。


「あらあら、そこまで話す許可は与えてなくてよ」

「レフリレイアさま……」

「お喋りな狼だこと。まあいいわ、教えてあげる」


 扇を口元にかざしたまま、レフリレイアが目を細めた。


「お前が狼の番になれば、あの方もあきらめるでしょう。それには既成事実が一番よ」

「きせい……事実?」

「たとえ嫌だったとしても、他の男のものになったお前など、あの方のそばには置けないわ。周りもきっと許さない。その相手が番というならなおさらよ」


 ガルゼルの番であるアイナが、肉体的にも結ばれたなら。

 そこにギルフェルドの入る余地はない。どれだけ望んでも不可能だ。


 そもそも、アイナがそれを望まない。ガルゼルのものになった後、どんな顔をして彼に会えというのだろう。あれだけの事をしてくれた彼に、二度と顔向けできない。


 肉体的に汚されても、アイナは何も変わらない。ガルゼルを拒む事だってできる。

 でもその時、あの人は。


(……ギルさまは)


 どんな顔でアイナを見るのだろう。

 そう思っただけで、全身から血の気が引くようだった。

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