2.ザクロとパルの実
「で、でも」
「しないでいい。二度とだ」
させる気もない、と断言される。
心なしか、眉間にしわが寄っている。無表情なので気づきにくいが、どうやら彼の機嫌を損ねてしまったようだ。狼の城から連れ出される時にも感じたピリピリとした気配が、また彼から漏れている。
――でも、どうして?
「聞こえたか。する必要はないし、させた者は私が直々に対処する。お前は休め。命令だ」
「は、……はい」
「対処する」の内容が気になったが、口を挟んではいけない空気があった。
アイナが頷いたのを見て、彼が小さく顎を引く。ピリピリする感じは大分おさまっていたが、それでも多少は肌をうずかせた。
もっとも、少しも怖くはなかったけれど。
「しばらく休め。部屋の外に人を置く。何かあったら呼ぶといい」
そう言うと、今度こそ部屋を出ていってしまう。部屋に取り残されて、アイナはぽかんとした。
(どうしたんだろう……)
何か変な事を言ってしまっただろうか。
鞭で叩かれると痛いのは本当だし、犬に襲われるのも怖かった。蛇にいたっては、気絶してしまったせいで覚えていないが、思い出すのもぞっとする。
水責めもなかなか辛かったし、他にも色々苦手はある。
しないでいいと言われてほっとしたのは事実だが、怒らせてしまうとは思わなかった。
どうしようと悩んでいると、「失礼いたします」という声がした。
「果物をお持ちしました」
現れたのは長い青髪をひとつに束ねた女性だった。彼女も竜人らしく、涼やかな衣装に身を包んでいる。
高い位置で結った髪を揺らし、女性は人なつっこく微笑んだ。
「お好みが分からなかったので、一通り持って参りました。どうぞ、お好きなものを召し上がってくださいね」
「あ、ありがとうございます……」
彼女が持っていたのは、一抱えほどもある大皿だった。
ずっしりとしたガラスの器に、所狭しと果物が盛りつけられている。
瑞々しい果実はつやつやして、果汁をたっぷり含んでいる。
ザクロやブドウ、スモモに加え、イチジク、杏、リンゴ、梨、それから色鮮やかな柑橘類。名前を知らない果物もかなりある。
硬い皮に包まれた白い果実に、南国のものと思われる黄色い果実。数種類のベリーに加え、見た事さえない不思議な果実。その他にも山ほどあった。
あまりの豪華さに、アイナはくらくらしてしまった。
「どれでもお好きなものをお選びください。召し上がってみて、合わないなと思ったら、残されても構わないんですよ」
「いえ、それは……もったいないので」
ザクロを手に取ると、ひんやりとした感触が心地よかった。
先に皮を剥いてくれていたらしく、「こちらを」と差し出される。アイナは礼を言って受け取った。
「……いただきます」
赤い粒を口に含むと、シャリッとした食感がはじけた。それと同時に、爽やかな甘酸っぱさが広がった。
これは獣人の国に行ってから、ガルゼルに教えられた果物だった。
初めて食べた時、あまりのおいしさに感動したものだ。
目を丸くするアイナに、ガルゼルは愛おしげな笑みを見せ、「では毎日食べさせよう」と約束してくれた。
あれはもう、ずいぶん昔の事に感じられる。
「どうなさいましたか? あ……失礼しました。私はファナと申します」
「アイナです」
「まあ、少し名前が似てますね」
ふふっと笑った顔がやさしくて、アイナの口元にも笑みがこぼれた。
「では、アイナ様。ザクロはお口に合いませんでしたか」
「い、いえ、違います」
「遠慮なさらずとも、残してくださって構わないんですよ。どれもお気に召さなければ、別のものをご用意いたします」
「いえ、そうじゃなくて……。大好きなんです。でも、その、ちょっと昔のことを思い出して」
食べたくないわけではないのだと首を振ると、ファナは思案気な表情になった。
「……そうですか。では、私がお取りしてもいいですか?」
「お願いします」
ほっとして頼んだアイナに、ファナも笑顔で頷いた。
「お任せください。これでも、果物にはなかなかうるさいんですよ」
そう言うと、手早くいくつかの果物を選び、彩りよく盛りつける。「どうぞ」と差し出された小皿には、ザクロの他に、見た事のない果物が載っていた。
真っ赤な実、オレンジ色の丸い果実、透き通った緑の果肉。
その中でもひときわ鮮やかな薄黄色の果実に、アイナは目を惹かれた。
「よかったら、ザクロと一緒にお召し上がりください。種がありますので、こちらに出してくださいね」
どうぞ、と小壺も渡される。
「いただきます……」
言われた通り、ザクロと果物を同時に含む。と、アイナは大きく目を見張った。
「……おいしい……!」
「そうでしょうとも。私のおすすめの食べ方です」
ファナが得意そうに胸を張る。
「ファナ……さん。この果物ってなんですか?」
「どうぞ、ファナとお呼びください。それはパルと呼ばれる、竜の国で採れる果実です。単体で食べてもおいしいですが、ザクロの味わいと最強に合うので、別名『ザクロ殺し』と呼ばれています」
「ぶ、物騒ですね」
「それがあれば、ザクロを根絶やしにしかねないという意味で使われています。それほどおいしい果実なのですよ、アイナ様……!」
ファナがぐっと拳を握る。どうやら果物に詳しいのは本当らしい。
アイナが気に入った事が嬉しかったのか、水色の目が喜びに輝いている。
残りの果物もすべておいしく、食べた事のない味だった。
「あ、あの、私もアイナ様じゃなくて、呼び捨てにしてほしいです」
アイナは昨日まで奴隷扱いを受けていた身だし、獣人のような特殊能力もない。本当に、ただの人間だ。
彼女は竜人であり、お城に仕える身分がある。どう見ても、彼女の方が立場は上だろう。
だが、ファナはとんでもないと首を振った。
「アイナ様は第一王子殿下のお客様ですもの。賓客扱いでいいんです」
「ひ、賓客?」
「竜の城に住まう者一同、同じ気持ちですよ」
いたずらっぽく微笑まれ、アイナはあわあわとうろたえた。
賓客なんてとんでもない。自分は彼に救い出されただけで、相手はアイナの恩人だ。使用人として働くならともかく、客分扱いは話が違う。
懸命にそう訴えたが、ファナは聞く耳を持たず、うふふと笑って流してしまう。駄目だ、話が通じない。
こうなったら、第一王子に直接説明してもらった方がいいだろうか。
でも、これ以上あの人の手を煩わせるのは避けたい。
きっと忙しいだろうし、余計な手間をかけたくない。
でもこのままだと、本当にお客様扱いになってしまう。
どうしようと困り果てた時だった。
「――ねえ、あの子が目を覚ましたって聞いたんだけど、本当かい?」