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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
3.芽生え
18/32

18.企み


    ***

    ***



「兄上っ! どういうこと!?」


 駆け込んできたジェイドに、ギルフェルドはちらりと目を上げた。


「騒々しい。どうした」

「それはこっちのセリフだよ。アイナを帰すって、どういうこと?」

「言葉通りだ。人間の国に戻す準備は進めていたが、それがようやく整った。遅すぎたくらいだ」

「そういうことを言ってるんじゃない。兄上、気づいてないの? あの子は多分、兄上の……」

「気のせいだ」


 取りつく島もない返答に、ジェイドは「はぁっ?」と目を剥いた。


「そんなはずないよ。だって、分かってる? 兄上があの子を見る目、いつもすごくやさしいんだ。そもそも助けたのが本当でも、ここまで面倒を見る理由がない。それってアイナのこと、特別だって思ってるからじゃないか!」

「違う」

「違わないよ!」

「アイナはあの男の番だった。私の番ではない」

「そんなの、僕とシェーラもそうだったじゃないか!」


 ジェイドの叫びに、ギルフェルドは嘆息した。


「……お前たちとは違う。あれは奇跡と呼んでいい」

「同じことが起こっても不思議じゃない。僕と兄上は血がつながってるし、シェーラとアイナも人間だ。条件は変わらない」

「なんと言われようと、私の気持ちは変わらない。話がそれだけなら、もう行け。私は忙しい」

「兄上の……分からず屋!」


 もういい、と部屋を出ていくジェイドを見送り、そばにいたファナが眉を下げた。


「……よろしいのですか?」

「ああ」

「私の目から見ても、アイナ様はこの城で幸せそうに見えますが……」


 言外に、無理に帰す必要はないのではと告げる。それに首を振り、ギルフェルドは口を開いた。


「アイナから家族の話を聞いたことはあるか」

「家族……ですか?」

「仲の良い家族だったそうだ。狼の国にいる間、くり返し思い出していたと。虐げられ、尊厳を傷つけられてもなお、忘れられなかったのだと」


 故郷に帰りたい、とアイナは言った。

 家族に会いたい、帰りたい、と。

 それだけを心の拠り所にして、アイナは辛い日々を過ごしていた。


 竜の城に連れてきて、衣食住を与えた。元の暮らしよりよほど贅沢なものを差し出しても、彼女は帰る事を望んだ。少しも迷う事はなかった。



 ――嫌だと思ってるわけじゃないんです。でも、ここは私のいる場所じゃないから。



 どんなに手を尽くしても、一番の望みは与えられない。

 アイナを家族の元に戻し、平穏に過ごさせる。そうする事が彼女にとっての最良なのだ。


「私といれば、寿命も変わる。家族と引き離し、別れを告げる。それを何度も繰り返す。最後にはひとり残される。無理に引き留めたとしても、アイナを悲しませるだけだろう」

「そんなことは……」

「国も違う。種族も違う。立場も違う。寿命も違う。私の何もかもが、アイナを縛る枷となる」


 そんな事は断じて認められない。

 あの娘を不幸にするくらいなら、そもそも言わない方がいい。


「それに、あの娘の番は狼だ。ジェイドの時とは違う」

「でも、ギルフェルド様はアイナ様がお好きでしょう?」


 番でなくとも、愛しく思う気持ちがあるのだろう、と。

 ギルフェルドは答えなかった。

 藍と金の瞳が揺らぎ、深い影が落ちる。ファナはなおも言いつのった。


「あなたに番が現れないのは、アイナ様がいるからではないですか。それに気づいていても、あの方を手放されるのですか?」

「それがアイナのためになる」

「そんなの……ギルフェルド様が可哀想すぎるじゃありませんか……」

「そんなことはない」


 ギルフェルドは静かに目を閉じた。


「ジェイドはああ言ったが、アイナは私の番ではない。……だが、幸せでいてほしいと思う。番であろうと、なかろうと、その気持ちは変わらない」

「ギルフェルド様……」

「あるべき場所で、幸せに暮らす。それが私の望みであり、アイナの望みだ」


 だから、決定を覆すつもりはない。


「アイナを帰すのは半月後だ。皆にもそう伝えておけ」

「……かしこまりました」


 ファナは深々と頭を下げた。



    ***

    ***



(家に帰れる、か……)


 最初にその話を聞いた時、喜びよりも戸惑いがあった。

 信じられなかったのが半分、残りの半分は「帰るのか」という気持ちだった。

 そう思った事が信じられない。ここに来るまでは、その事だけを願っていたのに。


 家に帰れると知った時、嬉しさはもちろんあった。けれど、それと同じくらい、寂しいなとも思ってしまった。

 ファナやシェーラ、ジェイドをはじめとした人々に、ここでの穏やかで平和な暮らし。どれを取っても、かけがえのない思い出た。


(それから)


 ――あの人のことも。


 ギルフェルドの事を思うと、胸の奥がぎゅっとする。


 でも、アイナに彼を想う資格はないのだ。アイナはガルゼルの番であり、ギルフェルドの番ではない。最初から無理な想いなら、考えない方がはるかに楽だ。

 シェーラとは違う。あんな奇跡、何度も起こるものじゃない。


(でも……)


 もし――もしも、許されるなら。


 そう思ったところで現実に気づき、我に返る。

 そうだ。自分はギルフェルドの手配で故郷に帰るのだ。最初から望みのない状況だった。


 それに、とアイナは目を伏せる。

 そんな事がなくとも、彼と一緒にいるのは無理な話だ。


 シェーラの言うように、彼らと自分の違いは明白だ。何もかもが異なっていて、一生を共にするのは難しい。今はよくても、色々と弊害が出てくるだろう。何よりも生きる時間が違う。家族を見送る覚悟なんて、今のアイナにはない。考えたくもないと思う。


 だから、自分には彼の隣にいる資格がない。


 たかが平民の小娘がそんな夢を見てしまうほど、この城での生活は楽しかった。

 やさしくて、あたたかくて、心地よくて。それは家族といる時とは違う、不思議に幸福な時間だった。


 それを与えてくれた彼らには、感謝しかないだろう。

 その時、アイナは胸がざわついた。


(何……?)


 言いようのない不安が胸をかすめる。一瞬で消えてしまったそれは、つむじ風のようだった。

 気のせいだろうか、でも。


 その時、アイナは扉の下に何かが差し込まれているのに気づいた。

 拾い上げてみると、それは小さな紙片だった。

 中を開くと、短い文字が記されていた。



 ――ギルフェルドに異変あり。急ぎ奥庭へ。



(ギルさまが……!?)


 何があったというのだろう。


 ファナは席を外している。いつもならいるはずの女官の姿も周囲にない。

 誰かに聞こうと思ったが、廊下に出ても人の姿はなかった。


 遠くで騒がしい声がする。何かあったのは間違いない。バタバタと駆け回る音がして、「急げ!」「こっちだ」と叫んでいる。


(どうしよう……)


 アイナに何ができるか分からない。けれど、もし、少しでも何かの役に立つなら。

 アイナは奥庭へと駆け出した。


 奥庭へ向かう廊下にも人の姿はなかった。いつもならありえない光景だ。どうやら大部分の人員を割いているらしい。ギルフェルドに何かあったのは、もはや間違いないだろう。それとも別の理由なのか。


 不安が背中を押し、足はもつれるように先を急ぐ。

 奥庭に着くと、そこにも人の気配はなかった。


「誰か……誰か、いるんですか?」

 心がはやり、辺りを見回す。


「教えてください。何があったんですか?」


 答える声はない。いたずらだろうか、まさか。

 その時、草を踏みしめる音がした。


「……本当にあの部屋にいたのね」


 見ると、レフリレイアがそこにいた。

 豪奢なドレスを身にまとい、今日も相変わらず美しい。けれどその表情には険があり、彼女の美貌をわずかに損なっていた。


 彼女はこの奥庭に入れないはずなのに、どうしたのだろう。

 そう思ったところで、忌々しげな舌打ちをされた。


「あそこは特別な客人にしか許されない、高貴な部屋よ。どうしてお前が……まあいいわ。来なさい、こちらよ」

「何があったんですか?」

「それは向こうで説明するわ。お前にも関係あることなのだから」


 それだけ言って背を向ける。だが、アイナは妙な違和感を覚えた。


 彼女は自分を嫌っている。直接話すのも嫌なほど。

 それなのに、こうして会話を交わしているのは不自然だ。

 それほどの緊急事態だというのだろうか。でもそれなら、もう少し焦ってもいいはずだ。


(それに)


 先ほどからずっと、胸の中がざわざわしている。


「あの……レフリレイアさま」

「なぁに?」

「教えてください。私をどこに連れて行くつもりですか?」

「着けば分かるわ」

「先に教えてください。そうじゃないと、一緒には行けません」

「あの方の一大事なのよ。それが分からないの?」


 イライラしたように言われたが、却ってそれで確信した。一歩下がり、アイナはかすかに身構えた。


「教えてくださらないなら、部屋に戻ります。ファナさんか、他の誰かを連れてきます」

「だから、用があるのはお前だけなのよ。他の者は不要だわ」

「だったら理由を教えてください。できないなら、もう帰ります」


 この話には何かある。やみくもに信用する事はできない。


「生意気な……」


 レフリレイアが顔を歪めたが、アイナは一歩も引かなかった。

 彼女は何かを隠している。よく分からないが、あまりいい事ではないだろう。


 こうしていてもらちが明かない。一度戻って、誰かを呼んだ方がいいだろうか。できればファナか、無理なら別の人にお願いして――。


 踵を返そうとした時、背後に人の気配がした。

 振り向くより早く、鼻と口をふさがれる。ツンという匂いがして、ぐらりとアイナの体がかしいだ。


「何っ……」

「奥の部屋に連れ込みなさい。急いで!」


 その言葉に合わせ、軽々と体を抱えられる。抗おうとしても、手足が言う事を聞かなかった。アイナを抱え上げたのは長身の男で、顔を布で覆っていた。


「その薬の効果は数分しかもたないわ。その前に、準備を済ませてしまいなさい」


(準備……?)


「楽しい宴の始まりよ、小娘」


 レフリレイアがふふ、と含み笑う。

 高慢で残酷な声だった。

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