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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
2.銀の髪、スミレの瞳
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14.前王の番


    ***



 その名前は、狼の獣人なら誰もが知っていた。

 焦げ茶色の髪、黒い瞳。やや浅黒い肌をした、精悍な顔つきの青年だ。


 彼はほんの一年ほど前まで、狼の国の国王だった。


 彼は七年前、人間の番を見つけたという。彼女は大国の姫君で、銀の髪にスミレの瞳を持っていた。

 仲睦まじく暮らしていた二人だが、ある日、彼らの前にひとりの娘が現れる。

 甘い香りをまとった娘は、自分こそが本物の番だと申し出た。


 アイゼル王はあっという間に娘に溺れた。その香りはたとえようもなく強烈で、抗いがたい魅力があった。彼らはすぐに肌を重ね、互いに互いを求め合った。


 娘はまた、アイゼル王に進言した。


 今までの番は偽物で、不思議な薬を使っていたと。

 それは非常に希少なもので、獣人の感覚を狂わせる。

 特に香水に加工すると、狼の獣人を惑わす効果があるのだと。


 必要なものは、相手の血液。もしくは髪の毛や爪でもいい。それを自らの血液を混ぜ合わせる事で、番を偽る事ができたのだと。


 姫君の部屋を調べると、言う通りの薬が出てきた。


 アイゼル王は激怒した。

 すぐさま姫君を奴隷に落とし、苛烈なほどの罰を与えた。姫君は潔白を訴えたが、信じる者はいなかった。


 姫君は来る日も来る日も働かされ、ある日、ふっつりと消えてしまった。


 ちょうど同じころ、とんでもない事実が判明した。

 番を偽る香水を使っていたのはあの娘の方だった。娘はアイゼル王の目を盗み、一本の髪を手に入れたのだ。


 そしてそれで香水を作った。番を偽る不思議な薬を。


 真実を知ったアイゼル王は激昂した。娘を追放し、生涯立ち入る事を禁じた。そして国中に人捜しの触れを出した。

 けれど、姫君は見つからなかった。


 銀の髪、スミレの瞳。

 たおやかな微笑みを浮かべる娘は、この国のどこにもいなかった。


 元の国に戻った様子も、この国を出た形跡もない。それなのに、彼女はとうとう見つからなかった。

 アイゼル王はそれでもあきらめられず、必死になって姫君を捜した。人手も金も注ぎ込み、姫君の行方を捜し続けた。


 やがて、アイゼル王は体の不調を訴えるようになる。

 それは香水の副作用であると同時に、番を失った結果だった。


 途方もない絶望と、底知れない喪失感。

 それをどうにかするために、彼はさらに番を求めた。もはや理性などかなぐり捨てて、ひたすら番を捜し続けた。


 いつしか彼は暴君となり、番を捜すだけの存在となっていた。


 国政を放棄し、国庫を傾け、ひたすら番を追い求める。苦言を呈した人間は排除し、無茶な命令も平気で下した。度重なる暴言に加え、暴力さえ振るうようになり、日増しに症状は悪化した。


 そしてある日、彼は王座から引きずり降ろされ、新しい王が立ったのだ。

 アイゼルは前王と名を変え、暗愚の王とも呼ばれている。


「アイゼル……前王の番が、シェーラさん……?」

 呆然とするアイナに、シェーラは小さく首肯した。


「ええ、そうよ。でも、それはもう過去のこと。今のわたくしはジェイドの番で、あの方とのつながりは切れてしまった」

「シェーラを連れ出したのは僕なんだ。あの国でシェーラを見つけて、そのまま竜の国に連れ帰った」


 ジェイドが手短に補足する。竜の翼を使えば、誰かに見咎められる事はなかっただろう。シェーラが消えたのは、そういう経緯だったのだ。


「とても感謝しているわ。あなたに見つけてもらえて、本当によかった」

 一度ジェイドと微笑み合い、すぐにシェーラは目を伏せた。


「……けれど、そのせいで、アイナさんがひどいことになってしまった。わたくしが何も告げずにいなくなったせいで、あの方は狂ってしまわれた。あの方が破滅したからこそ、新王も疑いの心を抱いた。あなたがひどい目に遭ったのは、わたくしのせいだわ」

「し、シェーラさんが悪いんじゃないです」


 慌ててアイナが口を挟んだ。


「私だって言いました。何も知らない、本当だって。でも、ガルゼルさまは信じてくれなかった」

 話を聞いてくれとも言った。ちゃんと調べてほしいとも。



 ――あなたを裏切るなんてしない。どうか、どうか、信じてほしい。



 ガルゼルに恋はしていなかったけれど、嫌いではなかった。

 やさしい声をかけられると嬉しくて、笑顔を見せられれば胸が弾んだ。熱っぽく見る目に応える事はできなかったけれど、彼を嫌った事はなかった。


 あの人なら、アイナの話を聞いてくれる。

 ちゃんと話せば分かってくれる。きっと、きっと。誤解なんて解けるはず。


 けれど、そんな日が来る事はなかった。


 ガルゼルはアイナを拒絶した。一切の訴えを拒み、ためらいもなく奴隷に落とした。それは愛した人でなく、憎むべき敵に対する仕打ちだった。


「……私を信じられなかったのは、仕方ないかもしれません。でも、ひとつの証拠をうのみにして、調べることさえしなかった。それはガルゼルさまの判断です」

「アイナさん……」

「シェーラさんのせいじゃありません。だからもう、忘れてください」


 シェーラの顔を見ると、彼女は心苦しい表情をしていた。その腰をジェイドが抱き寄せて、そっと頭を引き寄せる。一度目を閉じ、シェーラはほうっと息を吐いた。


「……そうね。全部わたくしのせいだという方が、かえって傲慢なのかもしれないわ」

「そんなことは……」

「あなたに会えてよかった。何も知らないままだったら、どんなに悔やんだことでしょう。今夜あなたに会えて、本当によかったわ」


 シェーラはかすかに微笑んだ。


「私も……会えてよかったです」

「それで、ジェイド。あなたがわたくしに隠していたのは、こういうことだったのね?」


 ジェイドから離れ、シェーラがジェイドの顔を見上げた。びくりと細身の肩が動き、おそるおそる頷く。


「……その通りです」

「アイナさんのことを知ったら、わたくしが傷つくと思ったのね。あなたが言い出したことではないのでしょう。そうね――多分、わたくし付きの侍女かしら?」

「その通りです……」

「気を遣ってくれるのは嬉しいけれど、大丈夫よ。皆にもそう伝えてちょうだい。わたくし自身が言うより、話を聞いてくれそうだから」


 そこでシェーラは嘆息した。


「そこまで心配をかけてしまったのは、わたくしのせいね。おそらく、『あの出来事』が関係しているのでしょう?」

「あの出来事?」

「それについては僕から話すよ」


 首をかしげたアイナに、ジェイドがすかさず自己申告した。


「今から少し前の話だけど、竜の城に前王が忍び込んだ。そして、シェーラを攫おうとしたんだ」

「えっ……」

「もちろん失敗して、彼はすぐに捕らえられた。相談した結果、狼の国に引き渡すことになったんだけど……曲がりなりにも王族だろう。あまり公にするわけにもいかないし、かといって、適当な相手にも任せられない。そんなわけで、兄上に白羽の矢が立った」


 そこでアイナは思い出した。



 ――狼の獣人が竜の国に入り込み、騒ぎを起こした。その引き取りと、話し合いだ。



 あれは前王の事だったのか。


 ガルゼルが不機嫌だったのも頷ける。新王への挨拶どころか、身内の恥だ。竜の国に多大な借りを作ったと思ってもおかしくない。プライドの高いガルゼルにとって、相当の屈辱だっただろう。


 その結果がアイナに八つ当たりして、あげくに暴行未遂だ。

 こんな形でつながってくるとは思わず、思わず吐息が漏れてしまった。


「あの……ひとつ聞きたいんですけど」

「どうぞ、なんでも」

「シェーラさんは、前王の番だったんですよね。それをやめて、ジェイドさまの番になったということですか?」


 その問いに、二人は困った顔になった。互いに目を見交わして、首を振る。


「分からないの」

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