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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
2.銀の髪、スミレの瞳
12/32

12.シェーラ


    ***



「――さあ、ここならいいわ」


 いくつもの回廊を抜け、小さな扉を開けると、娘はその中にアイナを招き入れた。


「心配しないで。ここは秘密の小部屋なの。知っているのはわたくしと、ここを教えてくれた人だけよ」

「あ、あの……」

「ごめんなさい、驚かせてしまったわね。どうか安心してちょうだい。わたくしは怪しい者ではないわ」


 普通なら信じられないところだが、アイナはぎくしゃくと頷いた。

 改めてみると、彼女は本当に美しい顔立ちをしていた。


 年齢は十代の後半か、二十歳になったくらいだろうか。

 腰まである銀髪に、長いまつげに縁どられた瞳。先ほど脱げてしまったマントは、奥庭に置いてくるしかなかったのだろう。灰色のマントを脱ぎ捨てたその姿は、本当に妖精のように見えた。


「あ、あの、私……」


 驚きすぎて声も出ないアイナに、相手はすぐに気づいたようだった。ごめんなさい、ともう一度言い、そっとアイナの手を取る。


「わたくしはシェーラ。この城に住んでいるの。もしよかったら、あなたのお名前をうかがってもいいかしら?」

「あ……アイナです」

「素敵なお名前ね。アイナさん、とお呼びしてもいいかしら」


 ぎこちなく頷いたアイナに、シェーラと名乗った娘は微笑んだ。

 月の光がこぼれるような笑顔に、はっと胸を射抜かれる。


「ようやく見つけた。あなたのことだったのね」

「え……?」

「まさか、人を隠しているとは思わなかったけれど。この勝負はわたくしの勝ちね」


 ふふ、と小さな声で笑う。

 その響きは銀の鈴を振るように美しかった。


 月光が差し込む室内は、ほのかな明るさに満たされていた。おかげで互いの姿がよく見える。シェーラはアイナから手を離し、少し離れた場所に立った。


「いきなり連れてきてしまってごめんなさい。驚いたでしょう? でも安心して、ひどいことはしないから」

「あ、あなたは……」

 おっかなびっくりアイナは聞いた。


「誰……ですか?」

「わたくし?」

 シェーラは目を丸くして、おかしそうに笑った。


「誰、というのは難しいわ。でもそうね、あなたになら教えてもいい気がする」


 その目にちらりと影がよぎり、瞬きとともに消え失せる。

 微笑を浮かべ、シェーラは背筋を伸ばして立った。

 凛とした雰囲気に、知らず目が惹きつけられる。


(お姫様みたい……)


 物語の中の、王子様を待つだけの姫君ではない。

 自分の脚で立ち、自分の頭で考えるだけの強さを持つ、本物の姫君だ。


 シェーラは耳にかかる髪を払い、しとやかに膝を曲げた。ドレスの布地を軽く持ち上げ、礼を取る。


「改めて、自己紹介を。わたくしはシェーラ・オルゴット。先ほども言った通り、この城に住んでいるわ。そして、あなたのことを探していたの」

「探してたって……どうして?」

「それを今から確かめるの。もしよかったら、わたくしに力を貸してくれないかしら」


 謎かけのようなやり取りだが、シェーラには確信があるらしかった。よく分からないまま、アイナはおずおずと頷いた。


「……私も、あなたのことを探してました。私でお役に立てるなら、喜んで。あの、でも私、ただの人間で、この城に来たのもつい最近なんですけど……」

「まぁ、私も人間よ」

「え、そうなんですか?」


 この城に来てからずっと、周りはすべて竜人だったので、人間に会ったのは初めてだ。よく見ればシェーラの肌や髪は竜人と少し違っているようにも見える。どこを、と聞かれると、うまく説明できないのだけれど。


「アイナさんも人間だったのね。お会いできて嬉しいわ」

「わ、私もです」

「アイナさんはどちらの国からいらしたの?」

「ええと……」


 正確には狼の国だが、この場合は人間の国で構わないだろう。そう思って村の名前を告げると、シェーラは目を丸くした。


「まぁ。それって、お父さまの領地ね」

「えっ?」

「父はオルゴット公爵なの。こんなところで故郷の方に会えるなんて思わなかった」


 シェーラのスミレ色の瞳は、予期せぬ喜びに輝いていた。

 そういえば、以前に聞いた事がある。


 アイナの村からずっとずっと遠い場所、そこには大きな都があって、その中心には目の覚めるようなお城がある。そのお城には、美しい銀髪の姫君が暮らしているのだと――。


「本当に……お姫様なんですね」

「昔の話よ。今のわたくしは公爵家の娘でありながら、竜の城に住まう者。公爵家の娘であることを忘れたわけではないけれど、それに固執する気はないわ」


 静かに微笑む顔には、確かな意志が宿っている。

 彼女にはきっと、名誉欲も権力欲も存在しない。あるのはただ、自らが持つ誇りと自負。


 狼の国にいたあの時、彼女の強さの半分でもあればよかった。そうしたらきっと、もっとちゃんと立っていられただろうに。


 目を伏せたアイナに、シェーラはすぐに反応した。どうしたの、と気遣わしげに問われて、無言で首を振る。


「なんでもないんです。気にしないでください」

「そう……」

 シェーラはかすかに眉を下げた。


「おかしなことを言っていたらごめんなさい。もしかして、以前に辛いことがあった?」

「…………」

「答えなくてもいいの。でもどうか、ご自分を責めてしまわないで。わたくしに言われても困るでしょうけれど、お願いよ」

「シェーラさま……」

「シェーラでいいわ。言ったでしょう、ここでのわたくしは公爵家の娘であると同時に、竜の城に住まう者。自らの責任は果たすつもりだけれど、それだけよ」


 シェーラはアイナに近づくと、ふたたび両手を握りしめた。


「この世界にはどうにもできないことがあるの」

「…………」

「どんなに願っても、祈っても、叶えられないことがある。どれだけ求めても、手に入らないものだってある。でもそれは、あなたが悪いわけではないの」

「シェーラ、さん……」

「その痛みも、悲しみも、あなたを形作るもの。今は信じられないかもしれないけれど、いつか、それが分かる日が来るわ」


 シェーラの声は静かな悲しみをたたえていた。

 ずっと昔、かけがえのない何かを失くしたような。けれど、彼女はそれについて語らなかった。


「とても難しいことだけれど、すべてを受け止めて、呑み込むことができるようになる。どうしてか、そうなっているの」


 その瞳はいたわりとやさしさに満ちていた。


 何かひどい経験をしなければ――それこそ、アイナが受けていたような――こんな目をする事はできないはずだ。でも、彼女の微笑みはとても綺麗で、苦労など知らないように見える。それとも、努力してそうなったのか。分からないけれど、彼女がアイナを思いやっている事は明らかだった。


 だからアイナは頷いた。


「大丈夫です。……そうなれるように、努力します」

「無理はしないで。そんなことをしなくても、大丈夫。きっと大丈夫よ」


 彼女の言葉は預言者めいていた。まるでかつての自分をなぞるような、確信めいた言い方だった。

 その理由を尋ねる事はせず、アイナは気を取り直した。


「それで、私に力を貸してほしいことって何ですか?」

「答え合わせをしてほしいの。そしてあなたが誰なのか、どうして城に隠されていたのか、わたくしに教えてほしいのよ」

「隠されていた?」


 目を瞬くと、シェーラは小さく頷いた。


「わたくしはしばらくこの辺りに近づかないように頼まれたの。正確に言えば、奥庭の辺りね。事情があって、わたくしもその方がいいと思ったのだけれど……ある時、侍女が口をすべらせて」


 奥庭に近づいてはいけない理由がある。

 それはどうやら、シェーラに関わる秘密だと。


「わたくし、少し前に、この城の方々にご迷惑をかけてしまったの。その時に、大切な方をたくさん傷つけてしまって。本当にやさしい方だから、結局はわたくしのしたいようにさせてくれた。……それでも、後悔しているの」


 スミレ色の瞳が伏せられる。


「素敵な方なの、とっても。やさしくて、夢見がちで、可愛らしくて。何があってもわたくしのことを気遣ってくれる。いつでも、どんな時でもよ。この城に来てから、わたくしとても幸せなの」


 でも、とシェーラは目を上げた。


「あの方がやさしすぎるからこそ、わたくしを傷つけまいとする。それは嫌なの。傷ついても、悲しくても、それはわたくしが負うべき痛みで、負うべき傷よ。あの方に背負わせるものじゃない」

「シェーラさん……」

「――そして、誰かを傷つけたとしても」


 それも自分が負うべき痛みで、負わなければならない後悔なのだと。


 その出来事が何かは分からない。けれど、シェーラの目には決意があった。

 だからこそ彼女は真夜中に奥庭へ忍び込み、あれこれ探っていたのだろう。まさか、その「秘密」が人間の少女だとは思いもしないで。


 だけど、とアイナは困惑した。


「私、秘密なんて知りませんけど……」

「そうみたいね。けれど、あなたを隠そうとしていたのは間違いないわ。そうでなければ、人間の女の子をわたくしに紹介しないはずがない」


 まして、アイナはシェーラと同じ故郷の出身だ。何か事情がなければ、二人を引き離す理由がない。


「この城へはどうやっていらしたの?」

「は……運ばれてきました。ギルさま、じゃなくて、ええと、ギルフェルドさまに」

「ギルフェルド……まさか、第一王子殿下の?」

「は、はい」


 アイナが頷くと、シェーラは目を丸くした。「まぁ…」という吐息が漏れる。


「ジェイド……第七王子ではなく? 第一王子殿下なの?」

「あ、ジェイドさまのこともご存じなんですね」


 ギルフェルドを知っているなら当然だが、ジェイドとも面識があるらしい。名前を呼ぶ時、かすかな親しみを感じさせた。


「ええ、もちろん。面識はあるわ。あるどころか、あの方は、わたくしの……」

 そこで言葉を切り、首を振る。


「今はやめましょう。あとで全部お話しするわ。では、次の質問ね。運ばれてきたというのは、どういう経緯で? わたくしが聞いてもいいことかしら」

「もちろんです。でも、聞いても楽しい話じゃないと思いますけど」

「大丈夫。アイナさんがいいなら、話してくれると嬉しいわ」


 あくまでもアイナに選択権を渡しつつ、よかったら教えてほしいと告げる。その気遣いが心地よく、アイナは少しだけ恐縮した。


 思えばこの城に来てから、やさしい人にばかり会っている。

 例外は少し前に出会ったレフリレイアだが、あれが普通の反応だ。シェーラの身分なら、アイナに命令してもおかしくないはずなのに。


 息を吐き、アイナは改めて目を上げた。


「私は、とある方の『番』だったんです。その方は獣人で……私を番だと言って、獣人の国に連れていきました」


「……番?」

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