11.銀の姫君
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夜の庭は、昼間とは違う気配に満ちていた。
白い花が闇に浮かび、灯りのようにぼんやり見える。
それとは逆に赤い花は、暗がりに沈んで目立たない。
さらさらと水の流れる音が、静寂の落ちた庭に響いている。
その中に立ち、アイナは胸元を握りしめた。
(……よし)
ギルフェルドに頼んだのは、「夜の庭を見たい」というものだった。
こっそり調べ回るのも、誰かに聞くのも難しい。それくらいなら、正々堂々と確かめたい。
あっさり了承したギルフェルドが、灯りを用意しようと言ったのは全力で断った。
その先に光があるのは困る。できれば暗い方がいい。
ギルフェルドはそれを聞き、それならばと引き下がった。予想に反し、理由を聞かれる事もなかった。
「どこでも好きに見て回っていい」というのは、今思えば破格の許可だ。
それからできれば他言無用で、静かに散策させてほしいとお願いした。
奥庭は最初から誰も立ち入らない。庭に入ってさえしまえば、いるのはアイナひとりだった。
空には月が浮かんでいて、静かな光を放っている。
(綺麗……)
そういえば、こうして夜空を見上げるのは久々だった。
澄んだ紺色の空が頭上に広がり、星が一面に散らばっている。ギルフェルドの瞳の色に似ていると思い、思わずその輝きに見入ってしまった。
彼の瞳は、言葉よりも雄弁に感情を語る。
喜怒哀楽の浮かばない表情の中、唯一動きが見えるものだ。
……問題は、何を考えているのかは分からない、という事だけで。
(それじゃ、駄目だよね……)
がっくりと肩を落とすと、頭上でひとつの星が流れた。
物音がしたのはそんな時だった。
サラリ。
かすかな音が、夜のしじまを縫って聞こえた。
サラリ、シャラリ、サラリ。
上等な布地が擦れる音だ。それと同時に、ごく柔らかな靴音もする。
(来た)
その人物は静かに庭へとやってきた。
手元の灯りが揺れて、わずかに姿を照らし出す。
長いマントで全身を覆った、風変わりな人影だ。極限まで明るさを絞ったランプを手に持ち、ゆっくりと庭を歩いている。時折足を止め、何かを探しているようだ。なんだろうと思ったところで、人影が足を止めた。
「――……」
何か呟いたようだが、よく聞こえない。マントで覆っているせいだろうか。少し距離があるせいか、性別さえも分からない。
息を殺し、アイナは暗がりに身をひそめた。
月の光があるとはいえ、庭園は広く、あちこちに濃い影が落ちている。アイナの姿を見咎められる事はないだろう。
マントの人物は相変わらず、何かを探すように動いている。ここからではよく見えないが、その様子は真剣だ。膝をつき、あるいは背伸びして辺りを探る。
(何を探してるんだろう……)
いつの間にか月は雲の影に隠れ、庭は闇を濃くしていた。
集中していたせいで、足元がおろそかになった。
カサリという音に、人影ははっと振り向いた。
「あっ……」
声を上げたのと、マントの人物が身をひるがえしたのは同時だった。慌ててアイナは追いすがった。
「ま、待って……っ」
「っ!」
マントの端をつかんだと思ったとたん、ずるりとそれが脱げ落ちる。布が引っ張られるのに合わせ、ランプが草の上に転がった。
点っていた灯が消える。
その瞬間、月光が頭上に降り注いだ。
――目の前に、妖精がいた。
長い銀髪がこぼれ落ち、ほっそりとした背中を覆う。
瞳は美しいスミレ色。
白いドレスに身を包み、足元は柔らかな布の靴。月光が形を取って現れたような美しい女性だ。少女といってもいいかもしれない。
妖精にしか見えない美貌だが、おそらく人間なのだろう。
なめらかな肌には染みひとつなく、胸元に美しく輝く宝石がひとつ。あまりに驚いているせいか、瞬きさえも忘れているようだ。
長いまつげが震え、美しい唇がかすかに動く。
「あなたは――……」
その時だった。
「――おい! そこで何をしている?」
遠くで見張りをしていたらしい竜人がやってくる。はっとして、相手はアイナの手を取った。
「――こちらへ」
「え、あの……っ?」
「大丈夫。わたくしに任せて」
そう言うと、銀髪の娘は建物の中へと足を進めた。
そこはアイナのいた部屋とは別の棟だった。
何が何だか分からないまま、アイナは彼女に手を引かれていた。