第1話
「赤井ぃ〜お前また金賞取ったのかぁ」
冬の寒い中、ヒーターをガンガンに効かせた美術室で室井先生は言う。
室井先生は僕が通う竹波中学の2年D組の担任、つまり僕の担任の先生。なんと奇跡なことに、室井先生は僕が所属する美術部の顧問でもあるのだ。
「うん。すごいでしょ」
「こんな優秀な教え子を持ってぇ、俺は幸せモンだよォ〜...」
泣き真似をしながら室井先生はわざとらしく言う。
僕がコンクールで金賞を取ったことは瞬く間に学校中に広まった。校長先生がつまらない話をするだけのはずの全校集会では全生徒の目の前で表彰された。もちろん友達から色々言われたし、先生からも色々言われた。
実はこの1年前にも金賞を受賞していたのだが、その時は学校に言ったらめんどくさそうという理由で誰にも言っていなかった。今年は室井先生に背中を押されて校長先生に話してみたところ、思いの外広まってしまっただけなのだ。まぁ、悪い気はしなかったからいいんだけど。
「おはざーす」
美術室のドアが開き、1人の女子が入ってくる。
「おう望月ちやぁ〜ん...聞いてよ聞いてよ!赤井がさ、まぁた金賞...」
「あーはいはい、知ってまーす。全校集会でもやってたし。やっ、斗真くん」
「あっ、はい。お疲れ様です」
彼女は美術部の部長であり先輩の望月七海さん。実は美術部は僕と七海さんの2人であり、美術"部"ではないのではとよく言われるけど、響きがいいので僕たちはそう呼んでる。
コンクールが終わって一週間、僕が金賞を取った時、その事を真っ先に伝えたのが七海さんと室井先生だった。後から知った話だけど、その日美術室で結果発表の行方を七海さんと室井先生の2人で見守っていたらしい。休日なのにも関わらず僕のために学校に来てくれたことには今でもありがたく思っている。
「七海さんは、何かコンクールとか出ないんですか?」
「んー私はなんかそういうのめんどくさいし。楽しく描けてればそれでいいかなーみたいな」
同じだ。
楽しく描けていればそれでいい。
芸術には楽しさがなくてはと常に思っている。楽しさゆえの思い入れがあってこその作品だと思う。
「意外ですね」
「ちょっと。どーゆー意味?」
「いや、七海さんて目立ちたがり屋だからなーって」
「ねぇ、潰されるなら右腕が左腕どっちがいい?それとも存在ごと消してやろうか?」
「ヒィ!やめてくださいましぇ...」
「冗談だよ!それに、右腕はなくなっちゃいかんでしょ。ね、赤井"先生"」
七海さんと室井先生は僕のことをよく赤井先生とからかってくる。そこにあるのは尊敬なのか嫉妬なのか、それともただからかっているだけなのか...。
「まだ先生って呼ばれるほどじゃないですよ。技量だってまだのびしろだらけですし」
「へぇ〜、ま、それもプロの謙虚さってヤツですかいな?」
「..........」
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、七海さんを殴り飛ばしたくなった。
冬は日が沈むのが早くなる。そのため、部活が終わる時間も当然早くなる。先生たちは暗くなる前に早く帰れと急かしている。もちろん僕は学校に残る用事なんてないのでそそくさと帰るのだが。
僕の家は学校から自転車で30分弱のところにある。電車代を浮かせるために毎日息を切らしながら学校に通っている。1年生の頃は夜道は暗くて多少怖かったが、2年生にもなればもう慣れた。6時になると完全に陽が落ちて真っ暗になるのだが、ライトをつけてれば大丈夫だし、おまけに街頭まで点いている。
そんなことを考えながら自転車を走らせていると、聴き馴染みのあるメロディーが耳をかすめる。
確か、ジングルベルっていう曲だ。クリスマスの定番曲の一曲。
そうか、もうすぐクリスマスか...。
今年の冬入りは特に早かった。ニュースでそんなことを言っていた気がする。
街やショッピングモールではクリスマスの装飾が施され、クリスマス仕様の商品も増えてきた。
そういうのを見ると心が少しだけ軋むような感じがする。
正直クリスマスにいい思い出はなかった。
僕の家庭は母子家庭で、父親はいない。
いや、正確には、いなくなった。
父親は画家だった。
10年ほど前だろうか。"絵を描く"とだけ言ってクリスマスの日に海外に飛んだ。
それっきり音信不通で戻らなくなった。
事故や事件なら僕らに連絡が来るはずだ。
でも連絡は一切なかった。
父は僕と母さんを捨てたんだ。
僕はそういうやつにはならない。
誰も苦しめない。
苦しませない。
父との目立った思い出は特にない。
ただひとつだけ、鮮明に覚えているものがある。
父は厳格な人だった。
だから、僕のことも一流の画家に育て上げるつもりだったのだろう。
おそらく、父と交わした最後の会話だ。
外に2人で出かけた帰り道の車。
父はバックミラー越しに僕を見て言った。
『死んでも筆を止めるな』
どんな経緯でそんなことを言ったかなんて覚えてない。
ただ、幼い僕は何も考えず、んなことできねーよと心の中で笑ったことだけは、今でもなぜか覚えていた。