【短編】変装した幼馴染が他人のフリをして接してくるので、気づいてないフリのままベタ褒めして赤面させる
幼馴染ラブコメが嫌いだ。
世間じゃ幼馴染という存在は可愛くて尊くてラブコメチックな夢存在として語られているが、そんなものは現実を1mmも反映していない虚構だ。
「話しかけないでよ、クズ!」
甲高いアニメ声が教室に響き渡る。
クズ。普通の高校生活じゃめったに耳にできないワードを恥ずかしげもなく口にしたのは、僕の幼馴染──町田マリナだ。
「いや……教科書忘れたから、見せてもらおうとしただけなんだけど」
「はぁ? 別にあたしじゃなくてもいいでしょ」
「いや、僕の席窓際だし。マリナ以外に見せてもらうことなんて……」
「窓の外から見せてもらえばいいじゃない。バカなの?」
無茶言わないでよ。
周りのクラスメイトは『はいはい、いつものねー』みたいな呆れ半分、生暖かさ半分の目で見てくる。
皆からしたら他人事かもしれないけど、僕としてはたまったもんじゃない。
僕──十日市 翔太とマリナは幼馴染だ。親の職場が同じで家も近所。
昔のマリナは今と違って内気で、よくクラスの男子にイジメられていた。そんな彼女を近所のよしみで助けてから懐かれ、一緒に遊ぶようになったのだ。
『泣かないでよ、マリナちゃん』
『うぅ……でもぉ』
『ほら、僕が一緒にいてあげるから』
『……ほんと?』
『うん。ずっと一緒にいるよ』
『え、ほんとに? ……やくそくだからね』
小学生の頃は毎日のように遊んでたし、中高だって同じ一貫校に進学した。
『しょーくん、あそぼー!』
『しょーくん。一緒の学校だねっ』
『しょーくん。明日、どっか遊びにいこーよ。ねね、いいでしょ?』
おかしくなったのは中学2年の頃だ。初めは話しかけて避けられるだけだったけど、次第に態度がキツくなっていった。
『……なに?』
『いや、話しかけないでよ』
『死ねば? いっそのこと』
理由なんてわからない。本人に聞いても「自分で考えたら?」と罵られるだけ。心当たりがあるとすれば、ちょうどそのぐらいの時期に金曜ロードショーで放映されていた某新世紀アニメにどハマリしたことをきっかけに、僕がアニオタになったことぐらいか。とはいえマリナはクラスのオタクにも優しいので、それも理由としては弱い気がする。
今じゃ顔を合わせただけで睨まれる。
「ねぇ、マリナちゃん」
「んー? どしたの」
そのくせ他のクラスメイトには友好的なのだ。僕だけに当たりが強い。
(どーしてこうなったのかね……)
ため息をついたら睨まれた。不快だったらしい。
「うっざ……」
時々ボソッと日本語で罵倒してくる隣のマリナさん。嫌すぎる。
──────
放課後。僕は一人でゲーセンにいた。
今どきゲーセン? と思うかもしれないが、僕はゲーセンが好きだ。雰囲気が好きだし、なにより据え置き機にはないドキドキというか……うまく言語化できないけど、金を払ってプレイすることによる背徳感のようなものがあるからだ。
ただ、ゲーセンは年々衰退している。据え置きでハイクオリティなゲームが遊べようになったこともあってか、客の数は年々減るばかりだ。
今だってほら、僕以外に客なんていない──
「えっ」
僕の真横、肩と肩が触れ合いそうな距離に見知らぬ男が立っていた。黒いパーカーに黒マスク。そして足を覆う黒スキニー。ちゃらちゃらとつけたシルバーアクセが金属音をたてている。
(半グレの兄ちゃんじゃん)
どうしよう。あまりに反社会的な見た目なものだから、少し、というかかなり怖い。
「……」
「……」
目が合った。そのまま立ち去ってくれるかと思ったが、彼は僕の横から動こうとしない。どうやらゲームをプレイするわけでもないらしい。
「な、何か用ですか……へへへっ……」
ビビり散らかした僕は音ゲーを中断し、ライオンに媚びへつらうシマウマのように卑屈な笑みを浮かべて半グレの兄ちゃんに向き直った。
カツアゲ? でも現金ほとんどないんだよね。カツアゲってPayPayでもいいのかな。
「あの、PayPayでも大丈夫ですか? au Payもいけますけど」
「え?」
「え?」
「……なんの話、だよ?」
半グレの兄ちゃんの声は思いのほか可愛かった。耳がとろけるようなアニメ声だ。少しマリナに似てる。
イメージと違う声に不覚にもちょっと萌えた。ギャップ萌えってやつ? いくらなんでもギャップ激しすぎるだろ。
…………。
……というか、待て。
なんかこいつ、マリナに似てね?
あいつのトレードマークともいえる欧州生まれの母親譲りのブロンドヘアーとか、特徴的なヒスイ色の瞳とか。声も低くしてるけど、めちゃめちゃマリナっぽいし。
疑いの目を彼(彼女?)に向けると、びくりと体を揺らし
「な、なぁに? じゃなくて……なんだよ、おい」
いやこれ本人だろ。僕は確信した。
指摘すべきか……? いや……
不確定要素が多すぎる。変に対応をミスって罵られるのも怖いので、とりあえず知らんぷりをすることにした。
「えっと、なにか用ですか?」
「い、いや。ダチが急に帰っちまったんだぜ。暇だから、一緒に遊ばない?……だぜ」
失敗したゆっくり魔理沙みたいな口調で喋るマリナの額には脂汗が浮かんでいた。相当ムリしてるらしい。演技下手すぎだろ。
マジでなにしてるの。男装のつもり? それにしてはツッコミどころが多すぎる。
まず声。あの聞いてるだけで癒されるアニメ声を隠せていない。
次に香り。明らかに女物の香水の香り。どこの世界にストロベリーの香り(ほんのりミントっぽい)をまき散らすヤンキーがいるの。可愛すぎるでしょ。
つーか一番ヤバイのはパーカー。真ん中に白文字で『漢』って書いてある。バカ?
あまりの意味不明な状況に変な汗が出てきた僕は
「じゃ、じゃあ遊びますか……」
わけがわからないまま、そう言うしかなかった。
僕とマリナ、二人でゲーセン内を歩く。
それにしても不思議だ。マリナの身長は160もないのに、今は170ある僕と同じ目線に立っている。底上げ靴かな。どうやって人権を得たのか疑問に思って足元を見ると、普通に背伸びしてた。
「っ……」
ぷるぷる。
相当キツいらしく、顔を赤くして足を小刻みに揺らしている。適当にクレーンゲームでもやるつもりだったが、なんだかいたたまれなくなったので座って出来る格闘ゲームに移動した。僕が中学の頃からプレイしてるやつだ。
「あ、これ……」
彼女は少し明るい声を出した。興味があるのかもしれない。
「対戦しますか?」
こくり。半グレのゆっくり魔理沙は頷いた。
格ゲー台に100円を入れてから気づいたが、マリナはゲームをやらない。いや、小学生の頃はよくやったけど、僕と険悪になってからはそういう「男っぽい遊び」をやらなくなったのだ。
大丈夫かな? と思って台の向こうを覗き込むと……
「だ、大丈夫。一緒に遊ぶために練習したんだから…………!」
聞いちゃだめなタイプの独白を聞いてしまった。タバコ臭いゲーセンでけほけほせきこみながら健気に練習するマリナを想像してほっこりしたのもつかの間、疑問が頭を満たす。
僕と遊ぶために練習した? わけがわからない。マリナは僕のことを嫌っているはずなのに。
疑問に気を取られていると、彼女と目が合った。画面越しにのぞき込んでくると思わなかったのか、まんまるお目目をぱっちりと開いて驚いている。
「……」
「……」
しばし沈黙。そして彼女は口を開く。
「げ、ゲーム開始だぜ!」
闇遊戯かよ。ここまできたら女口調の方が自然まであるだろ。
そして闇遊戯は負けた。めちゃめちゃにボロ負けした。それはもう、コテンパンだった。
「ぅっ……えぐぅっ…………うぇぇぇん……」
え、ガチ泣き? 嘘だろ。僕が悪いみたいじゃん。
というかたかがゲームに負けたぐらいで泣くなんて、大げさすぎじゃないか。普段のマリナじゃ考えられない。まるで昔の──性格がキツくなる前の、泣き虫だったマリナみたいだ。
どう反応していいかわからず、台の向こうのマリナを見れずにいると……
「こんな弱かったら、しょーくん、遊んでくれないよぅ……」
そんな、涙交じりの声が聞こえてしまった。
……マリナは僕を嫌ってるんじゃないのか?
なんでそんな反応するんだろう。疑問が濁流のように押し寄せる。でも、今はそんなことに気を取られている場合じゃない。
マリナが泣いてる。今重要なのはそれだけだ。
「い、いやぁ。接戦だったなぁ……」
彼女にも聞こえるよう、少し大きめな声でそう言った。
「えっ……?」
「血湧き肉踊る、っていうのかな? こんな強敵と戦ったのは初めかも。ねぇ、もしよかったら明日も遊ばない?」
「────も、もちろんっ! 絶対だよ……だぜ!」
こうして僕は翌日も闇マリナ(これからはそう呼ぶ)と遊ぶことになった。
翌日。学校。
普段は憂鬱な学校だが、今日の僕は機嫌が良い。もしかすると、マリナと仲直りができるかもしれないからだ。
これまで目を合わせることすら避けてきたマリナが、自分から歩み寄ってきたのだ。もしかすると、これまでのギスギスした関係に終止符が打てるかもしれない。
「おっす、マリナ」
教室に到着しマリナを見つけた僕は、とりあえず普通に挨拶してみる。
「死ねば?」
いつものマリナだ。昨日の出来事は夢だったのかな。
とはいえ僕はめげない。
「いい朝だね」
「そうね。死ねば?」
なるほどね。
一回戦は僕の負けかもしれない。でも、二回戦はどうかな?
僕には秘策があった。
昨日の反応を見るに、マリナは僕とゲームで遊びたいらしい。そこで僕はカバンからトランプを取り出し、マリナに話しかけた。
「ねぇ、一緒にトランプしない?」
「死ねば?」
僕は泣いた。
放課後。闇マリナは約束通り現れた。
「遊ぼうぜ!」
フードとマスクをつけててもわかるぐらいのウキウキしてる。主人にかまってもらえる犬みたいだ。
とはいえ。この駄犬は学校で3度も「死ね」と言ってきたのだ。僕は報いを受けさせたかった。
だから格ゲーでボコボコにした。それはもう、完膚なきまでに。
「ぅぐっ……ふぇぇ……」
マリナが泣いている。僕は胸が苦しくなった。
おい! 誰だマリナを泣かせたやつ。僕か。ならいいや。
「あ、あのー……大丈夫ですか?」
「……だいじょぶ。グスッ。うぐぅっ……おぇっ」
全然大丈夫じゃないよね。
「ゲームはここまでにしますか」
「えっ……そんなっ! まだやれる! 私、まだ戦えるから!」
殺処分が決定した人造人間みたいだ。
「や、休憩するだけです。喫茶店でコーヒーでも飲みましょうよ」
「そ、それならいいけど……いいんだぜ」
ゲーセン横の喫茶店。お洒落で素晴らしい雰囲気なのだが、僕の心は恐怖に支配されていた。
(やっちゃったなぁ……)
僕はマリナをゲームでボコボコにした。それも2日連続でだ。冷静に考えて、マリナはもうガチギレだろう。不思議なことに今はマリナ(やさしい)だから問題ないが、明日教室に行ったらマリナ(きびしい)に何をされるかわからない。
なんとかして機嫌を取らなければならない。
どうしたものか、と考えて、すぐに妙案が浮かんだ。そうだ、甘いもので釣ろう。
「あ、ケーキ食べます? 奢りますよ」
「えっ、いいの!?」
「はい。なんでも好きなもの頼んでくださいね」
「わたし、じゃなくてオレ、ショートケーキがいい! ……んだぜ」
もうやめたら? その口調。
「あっ……ショートケーキとか全然男らしくないじゃん……ううっ」
小声で後悔しているマリナ(アホの子)だったが、ショートケーキが届くとすぐに頬をほころばせた。グラサンかけててもわかるぐらいめっちゃ笑顔。
「しょーくんと♪ ケーキ♪ ん~♪」
とりあえず機嫌を取ることには成功した。
でも、まだ足りない。昼の失敗で僕はマリナの心の複雑さを実感した。あの氷の心を溶かすには、ちょっとやそっとご機嫌を取るだけじゃ足りない。
そこで僕は一芝居打つことにした。
「はぁ…………」
「どーしたんだぜ? そんなため息ついて」
「いや……辛いんですよ、僕」
「つ、辛い? 何が辛いの……だぜ」
「いや、初対面の人に聞かせる話じゃないですよ。忘れて下さい」
「初対面じゃな……あ、いや。えっと……初対面だからこそ気軽に話せるというか。そういうの、ない? あ、ないんだぜ?」
あるある。うん。だからもう変な口調やめようね。
「誰にも言いませんか?」
「も、もちろん。わたしめっちゃ口固いよ!」
本当にやめちゃったよ。
まぁ、ここまで引っ張ればいいだろう。僕は用意していた秘策を実行した。
「実は──幼馴染が可愛すぎて辛いんです!」
呆気に取られる闇マリナ。たっぷり5秒ぐらい沈黙してから
「ぽわぁ?」
なにその擬音? まぁいいや。
僕の用意した秘策とはこうだ。闇マリナの状態で、とにかくマリナを褒めまくる。それはもう、徹底的に。
普通だったら露骨すぎてキモがられる。でも、マリナは僕が正体に気が付いていないと思っている。だから嫌味なく、存分に褒めまくることが可能なのだ、
褒められて嬉しくない人間はいない。毎日こうやってダムの放水みたいにドバドバ褒めまくっていれば、流石にマリナも僕への態度を軟化させるだろう。
「幼馴染……あ、マリナって言うんですけど」
「えっと」
「その子、めっちゃ可愛いんです」
「う、うん」
「まず声。アニメ声って言うんですかね。聞いてるだけで癒やされるんです。ただ喋ってるだけなのに、気がついたら聞き入ってしまっていて……休み時間とか、あの子が話していると、他のことなんて聞こえなくなっちゃうんです。お陰で友人と話すのも難しくて」
「……ぁ、ぁい」
マリナの顔が真っ赤になっている。耳まで真っ赤だ。
よしよし。反応は上々。想像していた「え、メッチャうれしい~!」みたいな反応とは違うけど、喜んではいるみたいだ。
ここで手を緩めず畳みかける……!
「次に見たですね目。天使かな? 天使だな。はい、天使なんです」
「天使って……そんなことないよぉ」
闇マリナが小さな声でつぶやいた。所在なさげに視線をうろちょろさせて、ブロンドのサイドテールをいじいじしている。しかもめっちゃ笑顔。
「いえいえ、本当に天使なんです。あの金髪に翡翠色の瞳……美しすぎて、見とれちゃって授業に集中できないこともあるんですよ」
「そ、そんなに見てたの?」
闇マリナの声が少し上ずった。明らかに動揺している。
「当たり前ですよ。あれを見ないのは人生の機会損失です。人生の5割損してますね。あ、残りの5割は均整のとれた体に天使のラッパのような声。それとハイブランドコロンの数段上を行くストロベリーとミントのような香りですね」
「う、うぅ……」
闇マリナはもはや顔を真っ赤にしている。フードとマスクで隠そうとしているが、耳まで真っ赤なのが見えた。
「それに、マリナは性格も素晴らしいんです。クラスメイトみんなに親切で、困っている人がいたらすぐに助けに行く。そんな姿を見ていると、僕まで幸せな気分になるんです。でも……」
「で、でも?」
「マリナはきっと、僕のことを嫌っているんでしょうね」
闇マリナは一瞬固まった。その後、小さな声で言った。
「そ、そんなことないよ。きっと……」
「でも、毎日『死ね』って言われるんですよ」僕は苦笑した。
闇マリナの肩が小刻みに震えた。
「そ、それは……」
「まあ、どうでもいいんです」僕は軽く手を振った。「たとえマリナが僕のことを嫌っていても、僕はマリナのことが好きだから」
「え?」闇マリナが驚いたように顔を上げた。
「マリナの笑顔を見られるだけで、僕は幸せなんです。……それがたとえ、僕に向けられた笑顔じゃなくても」
「しょ、しょーくん……」
闇マリナの目に涙が浮かんでいるのが見えた。
「あ、すみません。出会ったばかりの人にこんな話をして」
よし。演技はこんなもので十分だろう。僕は急に我に返ったふりをした。
「い、いえ! その……お、応援してます」
闇マリナの声は震えていた。
「ありがとうございます。でも、僕とマリナの関係が良くなることはないでしょうね」
「そ、そんなことない!」
闇マリナが思わず大きな声を出した。周りのお客さんが振り返る。
「あ、その……きっと、なにか誤解があるんだと思います」
その言葉に、僕は少し驚いた。
「そうですかね……」
「う、うぅ……」
闇マリナは所在なさげに視線を左右させると──
「ごっ、ごめん! 用事思い出しちゃった! もう帰るね!」
そのまま席を立ち、机にお金を置いて逃げ出した。
が、喫茶店を出る前に何かに気が付いたように足を止めた。そしてこちらを振り向き、一言。
「──帰るんだぜ!」
もうええて。
帰り道。
「やっぱりマリナなんだよな……」
僕は小さくつぶやいた。
でも、なんで男装なんてしてるんだろう?
僕にはまだ、マリナの本当の気持ちがわからない。でも、今日の反応から──少なくとも僕への態度が単純な嫌悪感ではないらしいことはわかった。
明日の学校では、もう少し違った目線でマリナを見てみようと思う。もしかしたら、僕が見逃していた何かがあるのかもしれない。
そして翌朝。
「いや、死ねば?」
結論:変わりませんでした。
「あ、ごめん」
僕は素直に謝った。これ以上刺激するのは得策ではない。
教室の隅に座り、僕は窓の外を眺めた。春の柔らかな日差しが校庭を照らしている。のどかな風景とは裏腹に、僕の心は混乱に満ちていた。
(え、絶対解決する流れだったじゃん)
授業が始まり、僕は教科書を開いた。しかし、先生の話は全く耳に入らない。
ま、まぁ。放課後になったら、またゲーセンに行ってみよう。
そう決意した僕は、何とか気持ちを切り替えて授業に集中しようとした。
が、そこで僕はマリナの異常に気付いた。
笑っている。
「は、何見てんの。キモいんだけど。死ねば?」
そういうマリナは、やはり笑顔だった。いや、笑ってるだけじゃない。めっちゃ汗かいてる。教室、涼しいのに。
半グレのコスプレ。笑顔の自殺教唆。大量の発汗。僕はもうマリナがわからなかった。
「はぁ……」
僕はため息をつきながら、ゲーセンに向かって歩いていた。
無意味だ、なにもかも。
いくらここで闇マリナと仲良くしても、教室じゃ「死ねば?」と言われるだけ。そう考えると、こうして律儀に闇マリナとの約束を守るのがバカらしくなってきた。
というか、マリナは何様なんだ。こっちが言い返さないからって罵倒してきて。思い返したら段々腹が立ってきた。
よし決めた。格ゲーでボコして泣かそう。
昼間はマリナが僕を罵倒して。放課後は僕がマリナをボコしてストレスを解消する。永久機関が完成しちまったなアア~!
……というのは、冗談で。
正直、限界だった。
僕は2年間、耐え続けてきた。どれだけ冷たくされても、「死ね」と言われても、僕がそれに悪意で応じることはなかった。だって、マリナは僕の幼馴染だから。でも……
暗澹たる気持ちでゲーセンに入る。
「おい! どういうことだよ!」
怒声が聞こえた。いつも僕がプレイしている格ゲーコーナーからだ。
嫌な予感がする。
「ちょっと、離してよ!」
「おいおい。喧嘩売ってきたのはそっちだろ?」
「はぁ!? 元はと言えばアンタ達が──」
半グレと闇マリナが喧嘩している。いや、マリナも半グレっぽい格好をしているが、彼女を囲む3人の男は……明らかに「本物」だ。ガタイのいいスキンヘッドの男に、刺青をこれでもかと入れたタンクトップの男。もう1人も鼻や頬にピアスを開けていて、明らかにまともな見た目じゃない。
スキンヘッドの男が、マリナを後ろから羽交い締めにする。
「け、警察呼ぶわよ!」
「両手が塞がってんのにどうやって呼ぶのかなァ」
大方、マナーの悪いヤンキーにマリナが突っかかったのだろう。予想がつく。
自業自得だ。どうせ、いつも僕に向けるような傲慢な態度で話しかけたのだろう。「あんたたち、いい年してゲーセンで何してんの? 早く出てきなさいよ、クズ!」みたいな感じで。それじゃ痛い目に合うに決まってる。
「あれ、ていうかお前、女か?」
「うわ、マジじゃんwww」「どうします?w」
知ったこっちゃない。家に帰ってソシャゲでもやろう。あんな傲慢な幼馴染がどうなろうと、僕には関係ない。いやむしろここで痛い目を見れば少しは教育になるかもね。
……おいおい。
そんな意志とは裏腹に、僕の足は格ゲーコーナーに向かっていた。
やめとけって。後悔する。わかっていても、僕の足は止まらない。
「何やってんの?」
気が付いたらスキンヘッドの肩を掴んでいた。
ぎょろ、と男が振り向く。思わず体が竦む、が、マリナの辛そうな顔を見ていたらそんなことはどうでもよくなった。
「誰だよオマエ」
「そんなのどうでもいいじゃないですか。お前たち、何やってんの?」
「そんなのお前に関係ないだろ。首突っ込んでくんなよ」
「いや、そいつ僕の友人だから。話してくれませんか?」
「友人?だったらなおさら黙ってろよ」
軽薄そうに、こちらを見下した笑みを浮かべるスキンヘッド。
その笑みが。昔、マリナを虐めていた男の子の顔に似ていて。
ぶちり、と頭の奥から嫌な音がした。
「幼馴染が襲われて、黙ってられるわけねぇだろ!」
場末のゲーセンに僕の怒声が響き渡る。
「しょーくん……っ」
マリナの目から涙がこぼれ落ちた。
スキンヘッドの男が僕を睨む。なんだ。やるのか。いいよ、来いよ。
体格差的に僕が勝てる可能性は0だろう。どうせボコボコにされる。でも、せめてマリナだけは──
「襲われる……?」
スキンヘッドは、さっきの軽薄そうな笑みから一転、神妙そうな表情を浮かべていた。
「は? お前たち、その子に難癖つけて襲ってたんじゃ……」
「え、いや、そんなわけないだろ!」
頭をぶんぶんと左右に振る。スキンヘッドがまぶしい。そんなことはどうでもよくて。
なにかがおかしい。そんな僕の違和感をくみ取ったのか、スキンヘッドは必死な顔で訴えてきた。
「こいつ、負けてもゲーム交代しないんだよ!」
「……え?」
うん?
「だからさぁ。ずっと台占領してんだよ。普通、1プレイしたら交代するだろ?」
「僕たちだってプレイしたいのに……」「なぁ?」
うんうんと頷く背後の2人。
「そ、そうなの?」
いやいやまさか。恐る恐る闇マリナに問いかけると……
「だって……負けて悔しかったから」
こいつ……マジか。
話を聞くと、どうやらこういうことらしい。
学校終わりにここにきたマリナは、いつものように格ゲーをプレイしていた。後ろで常連らしいスキンヘッド達がプレイしようと待っていても、熱中しているあまり一向に順番を変わらない。少しぐらいなら、と彼らも多めに見ていたが、流石に1時間も連続でプレイされてはどうしようもない。店員を呼ぶにも、場末すぎて店員は出払っており、仕方なく強制的にどかすことにした……とのこと。
闇マリナの頭をひっつかみ、一緒に頭を下げる。
「あの、ほんとにすみません。まさかそんなことだと思わなくて……ほらマリナ、頭下げて」
「うぅ……ごめんなさい」
「まぁ……わかりゃいいよ。キミたち、ここのゲーセン通ってるでしょ? 最近客減っちゃってどこも大変だからさ。ほら、マナー守って欲しかったから」
「うんうん」「わかる」
うんうんと頷く背後の2人。
まさかこんなオチだなんて。
そこで僕は、見落としていた違和感に気が付いた。
「あれ。でもさっき『女じゃねぇか、どうする?』とか言ってたのは……」
「それはさ。ゲーセン、それも格ゲーの女性プレイヤーって希少だからさ。マナー違反を強く叱ってゲーセン嫌いになられたら悲しいなって……」
あー……。
スキンヘッド's。めっちゃいい人達じゃん……。
聞けば彼らはプロのアーケードゲーマーらしく、メディア露出のためのキャラ付けとしてあんな格好をしていたらしい。僕は彼らと連絡先を交換し(アーケードゲーマーの友達は貴重だ)、ゲーセンを後にした。
とぼとぼと、寂れたアーケード街を当てもなく歩く。
「ねぇマリナさん」
「う……はい」
「なにか言うことあるんじゃないかな」
「その……ご、ごめんなさい」
「ん。いいよ」
「……うん」
こうして並んで歩いていると、昔を思い出す。まだ僕とマリナが仲が良かったころ。よく虐められて泣いていたマリナを慰めながら、こうして歩いていたっけ。
『泣かないでよ、マリナちゃん』
『うぅ……でもぉ』
『ほら、僕が一緒にいてあげるから』
『……ほんと?』
『うん。ずっと一緒にいるよ』
『え、ほんとに? ……やくそくだからね』
でも、マリナはどんどんキレイになって、友達も増えて、虐められることもなくなって……そして、僕に辛く当たるようになった。
どうしてだろう。幾度となく繰り返した問いは、もはや擦り切れた紙のようで、まともな答えは読み取れない。
夕焼けに暮れる商店街。センチな気分に浸りながら、しっとりとした雰囲気で黄昏ていると……
「え、マリナって言った?」
え、やっと気づいたの? さっきゲーセンでも言ってたよ僕。
「な、なんで。うそ。え、どうして。ていうかいつから」
マリナの言葉が慌ただしく重なる。まるでラップの練習でもしているかのようだ。
「初めからだけど」
「初めって」
「『ダチが急に帰っちまったんだぜ。暇だから、一緒に遊ばない?……だぜ』ぐらいかな」
「うわぁぁぁ!」
マリナは顔を両手で覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。
「もう終わった……人生終わった……」
「おいおい、大げさだなぁ」
なんというか、いくら友人が増えてコミュ力が上がっても、抜けてるところは昔から変わらないんだよなぁ。
僕はため息をつきながら、しゃがみ込んだマリナの隣に座る。
そこで、僕は重要な変化に気が付いた。
「そういえば……いつもみたいに罵倒しないの? 『助けてなんて言ってないけど。死ねば?』みたいに」
「う……」
マリナは顔を赤らめ、俯いた。
「それは……もう、やめようと思って」
「え?」
僕は驚いて声を上げた。まさか、マリナが自分から罵倒をやめるなんて。
「なんで急に?」
マリナは小さく呟いた。
「だって……効果なかったし」
「効果?」
僕は首を傾げた。何の効果だろう?
「あの、しょーくん……」マリナが恥ずかしそうに言う。「実は、私……ツンデレのつもりだったの」
「は?」
僕の頭の中が真っ白になった。ツンデレ? あの罵倒が?
「ちょっと待って。『死ね』とかってツンデレだったの?」
マリナは小さく頷いた。
「うん。でも、しょーくんとの距離がどんどん離れていっちゃって……」
「そりゃそうだよ! 毎日『死ね』って言われたら、普通逃げるって!」
やばい。意味がわからなすぎて混乱してる。
「で、でもっ……しょーくん、中学2年の頃にめっちゃロボットアニメにハマってたじゃん」
「うん」
「それで、特にエ〇ァのア〇カみたいな彼女が欲しいって言ってたから……」
は? アス〇は挨拶してきただけの人間に「死ねば?」なんて自殺教唆しねぇよ。あと〇ヴァはロボットじゃねぇから。人造人間だから。まぁこの論争は原作者によって「いや、普通にロボットじゃね?」と結論付けられてしまっているのだが。一応ね? 一応。
おっと、頭の中の早口オタクが活性化してしまった。今はマリナに集中しないと。
「とにかく!」マリナは言った。「私、しょーくんを振り向かせたくて……それで、ツンデレキャラを演じてたの」
僕は唖然とした。まさか、あの2年間の地獄のような日々が、こんな勘違いから始まっていたなんて。
頭の中を走馬灯のように流れる2年間の日々。
とにかく、僕は彼女に伝えなければいけないことがある。
「マリナ」僕は真剣な顔でマリナを見つめた。
「な、なに……?」頬を染め、上目遣いで僕を見るマリナ。
「それはツンデレじゃないよ。ただの暴言」
目をまんまるにして、この世の絶望すべてを知ったような顔をするマリナ。
「……じつは」
「うん」
「薄々そんな気はしてたの……具体的には中3ぐらいから。でも、今更引き返せなくて」
「はい」
「……ほ、ほんとにあれってツンデレじゃないの?」
「そうですね」
「う、うぅ……私、完全に勘違いしてた?」
「らしいです」
「じゃあ、私……しょーくんのこと2年間いじめてただけ?」
マリナの目に涙が浮かんでいる。僕はためらわずとどめを刺した。
「そうなりますね」
「うわぁぁぁ!」
マリナは顔を両手で覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。
「もう終わった……人生終わった……」
「この流れ、さっきもなかった?」
「だって……だって……」
マリナは顔を上げ、泣きそうな顔で僕を見上げた。
「私、しょーくんのこと2年間もいじめてたんだよ? しかも、好きになってほしくて!」
「うん」
「 これじゃ完全にヤンデレじゃん!」
それはちょっと違うんじゃないかな。
まぁ、それは置いておいて。
「好きになって欲しくて……?」
「あ……」
マリナの顔が真っ赤になった。
しばしの沈黙。
そして彼女は目を閉じ、深呼吸をして、そして決意に満ちた表情で僕を見つめた。
「ちがうの」
そっか。違うのか。
「さすがに無理じゃない?」
「だ~か~ら! 違うの! 好きなんて言ってない!」
「『私、しょーくんのこと2年間もいじめてたんだよ? しかも、好きになってほしくて!』」
「ぽわぁ!」
なんなのそれ。
顔を真っ赤にしてぺこぺこ僕の頭を叩くマリナ。
「いや~。まさかそんなに僕のことが好きだったなんて」
「違うってゆってるじゃん! バカ!」
「うんうん」
そんなこんなでマリ虐をしていると、ふと彼女は何かを思いついたように沈黙し、それからニヤニヤといじわるそうな笑みを浮かべた。
「ふ、ふふふ。いいのかなぁ?」
「え、なにが」
「『幼馴染が可愛いすぎて辛いんです』」
「!?」
「『本当に天使なんです。あの金髪に翡翠色の瞳……美しすぎて、見とれちゃって授業に集中できないこともあるんですよ』」
「ぐっ」
「あれあれ~。もしかしてしょーくん。私のことめっちゃ好き?」
一転攻勢とばかりに、ニヤニヤと僕をいじってくる。
僕は……
「そうだよ」
「え」
「好きだよ。昔からずっと」
マリナの目が丸くなり、顔が真っ赤になった。
「好きでもない相手に2年間も罵倒されて耐えられると思う?」
「えっと……思わない、です……」
「昔から──初めて会った小学生1年生の日から、ずっと好きだよ」
「……ぁい」
しばしの沈黙。
「私も……」
「うん」
「私も……ずっと好きだった。ううん、今も好き」
「付き合おう」
気が付いたらそう言っていた。言葉にしてから気が付いたが、後悔はなかった。
2年間、僕たちはすれ違っていた。誤解と分かった今でもその空虚な感覚は僕の中に残っていて、その穴を早く埋めたくて──二度とこんなことが起こらないよう、僕は告白した。
マリナは顔を真っ赤にしたまま、小さく頷いた。
「でも……」
「なに?」
「私、しょーくんのこと2年間もいじめちゃったんだよ? 本当にいいの?」
僕はマリナの頭を優しく撫でた。
「うん、いいよ。だってそれも、マリナなりの愛情表現だったんでしょ?」
「しょーくん……ごめん、ごめんねぇ~!」
そう言ってマリナはわんわんと泣き出した。
──あぁ、本当に元のマリナが戻ってきたんだな。泣いている彼女を見て、そう思った。
「ねぇ、しょーくん」
「ん?」
「また、デートしようね。ゲーセンでも、喫茶店でも……」
「もちろん。あ、でも……」
「?」
「そのパーカーはなしね。流石にダサすぎるから」
「ダサっ……もう! 着ないに決まってるじゃん! しょーくんのバカ!」
あ、今の反応はツンデレっぽいなぁ。
そんなどうでもいいことを考えながら、僕たちは手を繋いで歩き始めた。