8 繋がりの証と婚約破棄
ギルと想いを通わせたあの後。
泣き腫らした顔のまま生徒会室へ向かえば、アメリアさまは私の顔を見て勢いよく立ち上がり、何を勘違いしたのかギルの頬に盛大な平手打ちをお見舞いした。
そんなアメリアさまの行動にびっくりして泣き止んだ私は、同じく唖然としているレオンハルト殿下とギルを見遣り、もう一発と手を振り上げたアメリアさまを慌てて制止した。
聞くと、どうやら私がギルに泣かされたか、ギルが守りきれず誰かに傷つけられたと思ったらしい。
一応前者の理由で合ってはいるのだが、恐らく意味がだいぶ違うので、恥ずかしながらも経緯を説明すると、今度はアメリアさまが泣き出してしまった。
あたふたする私をぎゅっと抱きしめ、必死に嗚咽を堪えながら、「よかった、本当に、よかった」と小さく繰り返すアメリアさまに、止まっていた涙が再びせり上がってきたのは仕方がないと思う。
そうやってしばらく泣きながら抱き合っていた私たちを、レオンハルト殿下とギルは微笑みを浮かべながら、静かに見守ってくれていた。
二人ともが落ち着いた後、アメリアさまはギルを引っ叩いたことについて、「レベッカを泣かせたことに変わりはないので謝罪はしない」と悪びれもせずバッサリと言い切っていた。
ギルは引き攣った笑いを浮かべていたが、なんともアメリアさまらしい言い分に、思わず笑ってしまった。
それからギルの言っていた準備について、レオンハルト殿下とアメリアさまを交えて話し合ったり、キルシュとゼーゲンにお願いして学園の情報を集めたりして、その後の一ヶ月は慌ただしく過ぎていった。
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そうして迎えた、卒業パーティー当日。
私はというと、顔面に思いっきり不機嫌を貼り付けたまま、ホールの中心辺りに佇んでいた。
「……ねぇ、どうしてこのタイミングで認識阻害の魔法壁を展開しているのかしら。しかも自分一人だけ。ふざけてるの?」
「まぁそう怒るなよ。すぐにわかる」
「またそうやって濁す……最後まで私を蚊帳の外にして、レオンハルト殿下もアメリアさまも意地悪よ」
拗ねていますと言わんばかりに小さく口元を尖らせる私に、隣からは苦笑混じりの軽い笑い声が降ってくる。それでもこれ以上謝りはしないというところを見るに、反省はしていない、つまりこれが最善策だと言いたいのだろう。
私とてそれくらい頭ではわかっている。わかっていても腹が立つものは立つ、ということだ。
行き場のない苛立ちを持て余していると、突然ふわっと足元に温かさを感じ、ぎょっとして視線を落とす。
よく目を凝らしてみると、さも当然のように私とギルに寄り添うキルシュとゼーゲンがそこにいた。
驚きのあまり声を発せずにいると、そんな私の様子に気がついたらしいキルシュが『やっほ〜レベッカ』などと呑気に挨拶してきた。
「ちょっ……あなたたち、なんで……!?」
『だーいじょうぶ。ギル殿下の魔法壁の恩恵に与ってるから、アタシたちがいると思って見ない限りは誰にも見えないよぉ』
「そういう問題じゃ……」
『……あと忘れないうちに言っておくが、今オレたちが他人から見えねぇのは確かにギルの魔法壁のおかげだが、キルシュが見えねぇのは半分くらいコイツ自身の能力だぞ』
「「……は?」」
ギルと私の声が綺麗にハモったところを見るに、ギルもそれは初耳だったらしい。
どういうことだと目線で促せば、キルシュは気怠げに欠伸を一つした後、あっさりとゼーゲンの言葉を認めた。
『そうだよぉ、アタシが見えなくなるのは、半分くらいアタシの能力。正確には魔力……うぅん、魔法って言った方がいいかな』
「魔力、って……キルシュ、あなた魔法が使えるの?」
『ううん、使えるようになったの。レベッカのおかげだよぉ』
「えっ、私?」
思わぬところで自分の名前が挙がり、素で返事をしてしまって慌てて口元を押さえる。
幸い近くに人もおらず、誰にも聞こえていないのを確認してほっと息をつき、改めてキルシュに視線を戻した。
『そう、レベッカがアタシに魔力をくれた。たぶん無意識に魔法をかけてくれてたんじゃないかなぁ。アタシに側にいて欲しい、でも誰にもバレないように隠さないと、っていう想いが、細い糸みたいになってアタシに流れてきたの。それが温かくてとっても心地良くて、気がついたら身体に馴染んでて、自分でも使えるようになってたんだぁ』
「そう、なの……?」
自分が意図せず魔法を使っていたことを知り、驚くよりも信じられない心地でキルシュを見つめる。
そんな私にキルシュはいつも通り、気の抜けるような声でわざとらしくニャアと鳴いてみせた。
「魔力譲渡や感化といった魔法は、一見簡単そうに見えて、その実細かな制御や技術が必要となる難しい魔法だ。……確か、前伯爵夫人は繊細な魔力操作が得意だったと言っていたな。どうやら君は素晴らしい才を受け継いでいるらしい」
よかったな、と隣から優しい声を掛けられるも、私は泣き出したい衝動を堪えるのに必死だった。
思わぬところに、母との繋がりの証があった。
私は、完全な「落ちこぼれ」ではなかった。
内心喜びに打ち震える私に、ギルはそれ以上何も言わず、ただそっと寄り添っていてくれた。
押し寄せる感情の波を何とか乗り過ごし、少しばかり落ち着いてきた頃、とうとう問題はやってきた。
「レベッカ」
「……パトリックさま、ご機嫌よう」
久しく聞いていない婚約者(仮)の声をすっかり忘れていたため一瞬反応が遅れたが、無理やり取り繕って笑顔を貼り付ける。
振り返るといつの間にこんな近くまで来ていたのか、不機嫌オーラ全開の婚約者(仮)がすぐそこにいた。正直全く気づいていなかった。この方、こんなに影が薄かったかしら。
そこまで考えて、二年になってからよく一緒にいた人々の存在感が飛び抜けていただけ、という当たり前の事実に思い至る。すっかり感覚が麻痺してしまったらしい。いやはや、慣れとは恐ろしい。
そんなことに一人思いを馳せていると、不機嫌そうに歪んでいた目の前の眉間にさらに皺が寄る。周囲の好奇の目に晒されている、というあまりの居心地の悪さに口元が引き攣りそうになっていると、反応の薄い私に痺れを切らしたらしいパトリックさまは、もう一度私の名を呼んだ。
「レベッカ、僕は今、この瞬間をもって君との婚約を破棄し、君の妹・フローラと婚約する」
そう告げられた途端、周りが音もなく騒めき立ち、私はあまりにも予想通り過ぎる展開に驚きを通り越して呆れ返った。
と同時に、隣で静かに肩を震わせている笑い上戸の男に、恨みがましい視線をお見舞いしておく。
(だから言ったじゃない……)
こうなるとわかっていたから、できるだけ目立たない隅の壁際にいたいと散々言ったのに。そうすればここまで大勢の人たちに注目されることもなかったはず。
しかしギルだけでなく、レオンハルト殿下もアメリアさまもこれだけは許してくれなかった。
ちなみに、もう一つ案として上がっていたギルによるエスコートは、初っ端から目立つのだけは絶対に嫌だと言って丁重にお断りしたのだが、恐らく三人ともそれを根に持っている。
「エスコートは仕方ないから諦めてあげるけど、どうせならど真ん中で盛大にやらかしてもらいたいな。今日の主役はギルとレベッカ嬢だから」といつもの如く見事な王子さまスマイルで言い切ったレオンハルト殿下。
ただしその笑顔の裏が真っ黒だということはこの半年で嫌というほど知ってしまっていたため、最近ではその完璧な笑顔にすら薄ら寒いものを感じてしまう。
その隣で同じように淑女の笑みを湛えつつ、聖母のような穏やかな口調で「エスコートは仕方がないので大目に見て差し上げますけれど、本番は存分に煽ってきてね。ただしちゃんと言質を取ってからよ。大丈夫、わたくしたちもこの目でしっかりと見届けるわ。可能な限り近くで、ね」と背筋が凍りそうな励ましの言葉をくれたアメリアさまは、現在既にパトリックさまの死角にてレオンハルト殿下とともに待機している。
私からはバッチリその姿が見えるのだが、気のせいでなければここ最近で一番活き活きとしていらっしゃる。
そんな外野の様子に毒気を抜かれてしまい、思ったより冷静に物事を俯瞰している自分に内心少し驚いていた。
(でも、やっと言ってくれたわ……)
ようやく肩の荷が降りた、と危うく淑女らしからぬ盛大なため息をつきかけ、慌てて咳払いに変換する。完全に攣りかけている表情筋を叱咤して、何とかもう一度笑顔を取り繕うと、目の前の婚約者(仮)(もう元婚約者(仮)と言った方がいいかもしれない)に対して白々しく問い掛けた。
「……申し訳ありません。よく聞こえませんでしたわ。もう一度おっしゃっていただけます?バ……パトリックさま」
「何度でも言ってあげるよ。君との婚約は破棄だ。僕はこの、愛するフローラと結婚する」
声高々にそう宣言したパトリックさまに、呆れも通り越して感心してしまった。
それをどう解釈したのか知らないが、パトリックさまは私を馬鹿にするように鼻で笑った後、「今さら同情を引こうとしても無駄だよ」と返してくる始末。
「ごめんなさいお姉さま、わたし、パトリックさまを愛してしまったの……」
極め付けはうるうると瞳を潤ませ、悲劇のヒロイン感満載でひょっこりと現れたフローラ。二人とも、もうすっかり完全に自分たちの世界に酔っている。
「ショックで言葉も出ないようだね。でも元はと言えば君が悪いんだよ、レベッカ。魔力を持たないからといって義妹を妬み、あまつさえ虐げていたそうじゃないか。そんな悪魔のような女、絶対にお断りだよ」
「パトリックさま、それは言わない約束ですっ!」
「大丈夫だよフローラ、僕に任せて。もう絶対に君を傷つけさせたりはしない」
「パトリックさま……」
両手を取り合って至近距離で見つめ合い、全身が痒くなりそうな愛の言葉を囁き合う二人。
この時点で私は(笑いそうで)もう見ていられなくなっており、ついでに言うと未だに笑い続けているギルに加えて、死角にいるレオンハルト殿下とアメリアさまも笑顔は保っていたものの口の端がプルプルと震えていた。
とうとう、私の口から大きなため息が漏れる。
それをまた都合の良いように解釈したらしく、勝ち誇ったような顔でこちらを向いた二人だったが、パトリックさまが次の言葉を発する前に、私は意を決して口を開いた。
「では、パトリックさまは私との婚約を破棄、そして新たにフローラと婚約を結ぶ、ということでよろしいですね?」
急に声を張り上げた私にギョッとして、思わず少し後ずさるパトリックさま。だがまたすぐに嘲笑を浮かべ、「その通りだ」と自信満々に返答する。
ほとんどが学生とはいえ、これだけ大勢の貴族の前で、はっきりとそう言い切った。
ちらりとパトリックさまの背後に視線を遣れば、恐ろしいくらいの満面の笑みを浮かべ、片手の拳をしっかりと握り、その親指だけを真っ直ぐ上に立てた綺麗なグッドサインを私に向けているレオンハルト殿下とアメリアさまがいた。
ここで脱力しなかった私を褒めて欲しい。
ギルにもその様子は見えていたようで、「言質は取れたな」とどこか楽しそうな声が聞こえた後、隣の空気がぐにゃりと歪む気配がした。
「なっ……!?」
「第二王子殿下!?一体どこから……!?」
突然その場に現れたギルに、パトリックとフローラは目を見開き、会場は一時騒然となる。
どう考えても全参加者の注目を浴びてしまっているこの状況に、私はもういい加減諦めるか、と一人遠い目をしていた。
「……さて、これで邪魔をするものは何もなくなったな」
淡々とした、それでいて妙によく通るテノールが人々の耳朶を打つ。
その瞬間、ホールは恐ろしいほどの静寂に包まれた。
たった今婚約破棄をされたばかりの、社交界でも有名な落ちこぼれ令嬢に、まるで寄り添うようにして現れた第二王子。
状況を飲み込めていない者がほとんどだったが、誰もが固唾を飲んで様子を見守っていた。
静まり返った会場内に、不意に声が落ちる。
「……君を、愛している。私の婚約者になってほしい、レベッカ嬢」
「……はい、喜んで。ギルバート王子殿下」
互いに元々決めていたセリフを口にすると、何だか急にこの状況がひどく可笑しく思えてきて、ぷっと吹き出してしまう。
そんな私につられるように、ギルも小さく笑った。
ホール内は未だに沈黙が落ちていた。
第二王子から落ちこぼれ令嬢への婚約の申し込み、絶対零度の瞳に無表情がデフォルトなはずの第二王子の柔らかな笑み、ついでに何故か二人の足元にいる黒猫と三毛猫、怒涛の衝撃的展開に誰も脳内処理が追いつかないらしく、しばらく皆してあんぐりと口を開けて呆けていた。
突如その観衆の中からパチパチと拍手の音が聞こえ、全員の視線が一気にそちらへ集中する。
そこにいたのはこの国の第一王子と、その婚約者である公爵令嬢。二人揃って柔らかな表情で第二王子と令嬢を見つめ、拍手とともに「おめでとう」と祝いの言葉を送った。
その様子にようやく一人、また一人と生徒たちが我に返り始める。よくわからないが、とりあえず祝福しておくべきだと判断した比較的空気の読める者たちは、第一王子と公爵令嬢に続いて拍手を送り始めた。
そうして気がつけば、ホール中に割れんばかりの拍手が響き渡っていた。
「……何よ、何なのよそれ、聞いてないわよっ!!」
突然、ホールの中心から大きな怒声が上がった。
観衆からの想像以上に盛大な拍手に面食らっていた私は、すっと表情を改めて声の主に向き直る。
きっと、こうなると思っていた。
「……フローラ」