7 それぞれの思惑
※焦点を当てている登場人物の都合上、このお話のみ第三者視点となっております。
――卒業パーティーを一ヶ月後に控えたある日、コリンズ伯爵家のとある一室にて。
「お嬢さま、お茶が入りました」
「……そこへ置いておいて」
普段の可愛らしい様子からは全く想像できないほどに冷め切った声を聞き、給仕の侍女は思わず表情を強張らせた。
テーブルにカップとお茶菓子を置き、そそくさと退散していった侍女を横目で睨みつつ、フローラは苛立ちを表すように右手の人差し指でトントンと一定のリズムを刻む。
彼女の不機嫌の理由は大体いつも同じだ。
(……本当に煩わしい。我が家の恥晒しのくせに)
脳裏に浮かぶのは、ほとんど魔力を持たない一つ上の異母姉の顔。学園に入る前、この屋敷では生気の抜けた人形のような無表情であることが多かったが、気のせいでなければ、ここ最近妙に明るい表情をしている。
それが無性に苛立たしくて、わざわざ直接出向いて脅してやった。というのに、次の日に見かけた姉は、どういうわけか昨日よりも晴れやかな表情をしていたのだ。
(何なのよ、吹っ切れたような顔して……アンタはもっとジメジメして陰気な雰囲気の方がお似合いなのよ)
思い出す度、はらわたが煮えくり返りそうになる。人差し指で刻むリズムは自然と間隔が狭まっており、眉間には深く皺が刻まれていた。
「……さっさと追い出したいわ。お父さまは何をしているのかしら?あんな女、これ以上うちに置いていても何の価値もないのに」
「……あ、あの、お嬢さま」
ポツリと漏らした呟きに、意外な方向から反応があった。不機嫌さを微塵も隠そうとしないまま、睨むように鋭い視線を向け「何?」とだけ尋ねると、壁際にひっそりと控えていた侍女がびくりと肩を震わせ、そして恐る恐る口を開いた。
「僭越ながら、申し上げますと……旦那さまは随分と前から、レベッカさまの貴族籍、家名剥奪のための書類をご準備なさっておられると思われます」
「……何故それを知っているの?」
思わぬ報告に手が止まる。それでもまだ半信半疑といった眼差しを向けてくる主人に、侍女は少し怯えるように肩を窄めながら言葉を続ける。
「え、えぇと……以前、旦那さまが執事頭とそのようなお話をされているところを、見かけたことがあるのです。私以外の者も、何人かは同様の話を聞いたことがあるそうで……」
「ふぅん……でもそれが本当なら、お父さまはどうしてそれをさっさと提出しないのかしら」
「レベッカさまの卒業と同時に提出するのではと、皆推測しておりますが……」
「……ハァ?」
一気に声のトーンが降下したフローラに、侍女は文字通り震え上がった。目尻を吊り上げギリギリと歯軋りをするフローラの様子に、そのまま無意識に一歩後ずさる。
そんな侍女の様子に気づかないほど、フローラは怒りで目の前が真っ赤に染まっていた。
「あの女が卒業するまで、ですって?わたしに、あと一年もこの状況に甘んじろっていうの?……ふざけんじゃないわよ」
憤怒を滲ませた声色でそう吐き捨てたフローラに対し、侍女はぶるぶると身体を震わせていた。が、しばらくしてぎゅっと拳を握り締めると、意を決したように再び主人へと声を掛ける。
「……で、では、フローラさまがご提出されればよろしいのでは?」
「……アナタ、馬鹿なの?そんなことできるわけないでしょう、お父さまの許可がいるもの」
「しかし、もう準備なさっているということは、旦那さまも追放する意思がある、ということですよね?遅いか早いかの違いなのでは……?」
「……」
侍女の言葉に一瞬賛同しかけたフローラだったが、すぐにその考えを振り払い、苛立たしげに首を横に振った。
「……そうだとしても、無理よ。その書類をお父さまが持っている時点で、わたしにはどうしようも……」
「執事に頼めば、持ち出せると思いますが……」
「……え?」
今日何度目かの予想外の返答に、フローラは今度こそ目を丸くした。
先ほどより多少とはいえど和らいだその場の空気にホッと胸を撫で下ろし、侍女はここぞとばかりにフローラへ進言する。
「他の使用人たちも、正直あの方には辟易しているのです。その、扱いが面倒なので……いなくなってくれた方がスッキリする、と、皆言っています」
侍女の言うことはもっともだった。今や家族だけでなく、屋敷の者全員から蔑まれているレベッカは、使用人たちからしても相当目障りな存在なのだろう。
フローラはいつの間にか身体ごと侍女の方へ向き直り、その話にじっと聞き入っていた。
「フローラさまがもし、そうしてくださるなら。私たちは喜んでご協力いたします」
いやにはっきりと言い切った侍女に若干の違和感を覚えるフローラ。しかし、疎ましい異母姉の追放に関しての思わぬ朗報に気分が良くなってきていた彼女は、それ以上は気に留めることなく話を続けた。
「……確かに、それは一理あるわね。お父さまのサインさえ入っているのなら、執事に頼んで提出してもらえば、きっと受理されるだろうし」
ブツブツと呟きながら、フローラは自身の内側から喜びの感情が迫り上がってくるのを感じていた。自然と口角が上がり、あっさりと気分が向上する。
そうして次に顔を上げた時には、不気味なほどに愛らしく完璧な笑顔を湛えていた。
「いいわ、わたしがやってあげる。アナタたちのためでもあるものね。ふふ、感謝なさい」
「あ、ありがとうございます……!」
フローラの笑顔に一瞬ゾッとしたような表情を見せた侍女は、それを悟られないよう慌てて頭を下げた。
そして緊張のあまり終始震えていた息を整えるため、小さく息を吐いたのだった。
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――同時刻、コリンズ伯爵家の書斎。
硬い表情のまま、机上の報告書を睨むように見つめる男。
その机を挟んで真正面の位置には、これまた不機嫌を露わにして顔を歪める、一人の女性が佇んでいた。
「……まだ、あの能無し女にコリンズの家名を名乗らせるつもりですの?」
「……何度も言わせるな」
ため息とともに淡々と告げられた夫の言葉に、現伯爵夫人――ネビュラ・コリンズは眉間の皺をさらに深める。
先ほどから繰り返されている押し問答、それもやはり、レベッカに関することだった。
ネビュラは元々、今の夫であるリチャードの恋人だった。学園時代の同級生で、出会ってから男女の仲になるまでにそう時間はかからなかった。君だけを愛している、と言って微笑むリチャードに、ネビュラが二人の幸せな未来を思い描いたのは至極当然のことだった。
事態が一変したのは学園を卒業する直前のこと。突然、リチャードの父である前伯爵が決めた相手と結婚することになる、と告げられたのだ。
ネビュラにとっては寝耳に水の話だった。何とかならないのかと泣いて縋ったが、リチャードはネビュラから目を逸らした。
「父の言うことは絶対だ。……逆らうことはできない」
そう苦々しく吐き出した彼を目の当たりして、ネビュラは絶望の底に叩き落とされたような心地だった。
それから間もなく、リチャードはネビュラと別れ、そして見知らぬ女と結婚した。
その相手こそが、セルヴァン伯爵家の娘、レベッカの母であるナディアだった。
ネビュラにとって幸運だったのは、リチャードとナディアの間には恋情が一切無かったことだ。
その事実を知り、期待を膨らませていたネビュラの予想通り、結婚後しばらくして、彼は再びネビュラの前に現れた。そうして二人の関係は密かに、しかし絶えず紡がれていく。
レベッカに望まれていた魔力がほとんど無かったことに憤ったリチャードは、ナディアを強く責め、会話すらほとんどしなくなったという。そんな中、転機が訪れたのは、レベッカが生まれてからおよそ一年後のこと。
リチャードとネビュラの間に生まれた一人の女児。フローラと名付けたその子には、リチャードが求めていた素晴らしいほどの魔力が備わっていたのだ。
「ああ、素晴らしい……この子だ……この子こそ、我が伯爵家を継ぐに相応しい!」
そう言って頬を紅潮させ、満面の笑みでネビュラを振り返ったリチャードを見て、ネビュラは悟ったのだ。
やはり、自分こそが彼の伴侶に相応しい、と。
フローラのことは、遠縁の子どもとして育てた。リチャードに言われた通りに貴族のマナーを教え、人前に出しても恥ずかしくないように、時には厳しく躾けた。
しかしネビュラはずっと、我が子にこう囁いていたのだ。
「あなたは素晴らしい魔力を持った子。他の子とは違う、選ばれた子なのよ。だからいつか必ず、誰よりも幸せになれるわ」
その言葉を信じていたのはフローラだけではない。ネビュラもまた、我が子に言い聞かせることで、無意識のうちに自分にも暗示をかけていたのだ。
それから数年後、ナディアが死んだ。
リチャードが何をしたのかは知らない、けれど風の噂で流行病だと聞いた時、ネビュラは思わず笑ってしまったのだ。
上手くやったのね、と。
それからはトントン拍子に話が進み、正式にリチャードと結婚し、ようやくフローラを我が子として公表できるようになった。
残るはあの、目障りな小娘だけ。
「さっさと追い出してしまえばいいでしょう。何故動かないの?」
責めるような口調で問い掛ければ、リチャードは面倒くさそうにこめかみに手を当てて、重苦しい息を吐き出す。
その態度に少しイラッとするも、ネビュラは何も言わずに先の言葉を促した。
「言っただろう、保険だ。パトリックをフローラの婚約者に挿げ替えるには時期尚早なんだ」
「もう良いのではなくて?既に学園でも、パトリックはレベッカからフローラに乗り換えるだろうとの噂が出回り始めているようですわよ」
「……パトリック以上の人材がいるとしたらどうする」
予想外の返答に虚を衝かれ、言葉を失う。何も返事をできずにいると、ここで始めてリチャードの顔に微かな笑みが浮かんだ。
「数ヶ月前に留学から戻ってきた第二王子、聞けば相当な魔法の腕を持っているらしい。しかも婚約者はいない。これはまたとない機会だ」
「だ……だけど、フローラはパトリックと想い合っているのよ?そんなこと……」
「はっ、そんなもの一時的な感情に過ぎんだろう。学生気分なだけだ。それに第二王子は第一王子に負けず劣らず大層な美丈夫と聞く。フローラも満足するさ」
ばっさりと吐き捨てた夫に、ネビュラは愕然とした。裏切られたような、酷く傷つけられたような心地になる。
(学生気分……?一時的な感情……?あなたが、それを言うの?……では、わたくしとのことは……?)
「しかし、長年国を離れていたセルヴァン伯爵が、遠方から戻ってくるという噂もある……ナディアの生家にレベッカのことを知られれば、何を言われるかわからん。慎重に行動する必要があるが……どうするか……」
リチャードの言葉をどこか遠くに聞きながら、ネビュラは気を抜けば震えそうになる指先に、必死で力を込めていた。