3 はじめての「味方」
「……なるほど、"祝福"か」
「ええ……母に、誰にも言うなと言われておりまして」
「御母上は賢明な方のようだ。基本的に"祝福"はあまり言いふらすものではない、悪用しようと企む輩もいるだろう」
隣を歩きながら小声で真剣に話すギルバート殿下に対し、いえ、母は恐らく父に仕返ししてやりたかっただけだと思います、という言葉はかろうじて飲み込む。見かけによらず子供っぽいところがあった母を思い出し、思わずふっと小さく笑ってしまった私を見て、殿下は不思議そうにまばたきをした。
あの後、雲行きがさらに怪しくなってきていたため(※天気の話)、私たちは屋内へ場所を移して話をすることになった。
ただ、一応とはいえ婚約者(仮)のいる身分である私にとって、屋内、特に密室で男性と二人きりという状況は大変よろしくない。そのことを告げると、殿下はしばし考えた後、猫たちがいるから大丈夫だろうと真顔で言い切った。
いえ、全く大丈夫ではないです。猫はノーカウントです、殿下。
天然……?もしかして天然なの……?と絶句していると、見兼ねたゼーゲンが代わりに苦言を呈してくれた。殿下は本当にゼーゲンの言葉がわかるらしく、微妙に渋い顔をしていたが、納得はしてくれたらしい。結局、殿下とゼーゲンのことを知っている人物のところへ行くことになり、現在はそこへ向かう道中である。
放課後でも学園に残り勉強をしている生徒もいるため、できる限り人通りの少ない廊下を選んで進む。ただでさえ殿下と歩いているだけで目立つというのに、その後ろから黒猫と三毛猫がてくてくとついてきているのだ。謎すぎる光景である。見られたら瞬く間によからぬ噂が広まるだろう。
ポツポツとお互いの話をしつつ、歩みを進める私たち。
しかし私は内心全く穏やかでなかった。これから行く先を察した時点で、それはもう一刻も早く寮へ引き返したくて仕方なかった。
そんな願いも虚しく、私たちは無事に目的地へと辿り着いてしまう。
目の前のドアを半目で見つめていると、『面白くなってきたねぇ、レベッカ』と言葉通り完全に面白がっている声色でキルシュが話しかけてくる。しかし今の私に彼女の相手をする余裕など残されていない。ねぇねぇ、と話しかけながら私の足を軽く叩いてくる黒猫にろくに反応できないまま、無情にも開かれていくドアを呆然と眺めていた。
「おや、何だか珍しいお客人だね。こんにちは、コリンズ伯爵令嬢」
そう言って完璧な王子さまスマイルを披露したのは、レオンハルト・ヴォドリング殿下。この学園の生徒会長であり、この国の第一王子。紛れもない本物の王子さまであった。
ギルバート殿下の秘密を知る人、という時点で薄々そんな予感はしていたが、全然当たって欲しくはなかった。
「お忙しい中、申し訳ございません。第一王子殿下におかれましては……」
「ああ、大丈夫。ここは学園だから、そういうのはなしでいいよ。気楽にして」
「そ、そういうわけには……」
そう言って微笑みつつヒラヒラと手を振るレオンハルト殿下に困惑していると、真ん中の応接ソファに腰掛けていた一人の令嬢が「殿下」と窘めるように声を上げた。
「いきなりそんなことを言われては、コリンズ伯爵令嬢も困惑してしまいますわ。もう少し、ご自分の発言力を自覚なさって下さい」
「はは、リアの言う通りだな。急に申し訳なかった、コリンズ嬢。だけど本当に緊張することはないよ。私もこんな感じだし」
「だからそれが逆効果だと申し上げているでしょう、まったく……」
ラベンダー色の柔らかそうな髪を揺らし、困ったように息を吐く仕草まで洗練されていて、同性でもときめいてしまう程の美少女。そして、この部屋にレオンハルト殿下と二人きりでいても咎められない人物。
彼女こそ、才色兼備で淑女の鑑と噂される、名門カレンベルク公爵家のご令嬢、アメリアさま。誰もが認めるレオンハルト殿下の婚約者である。
場違い感が半端でないこの空間、もはや息をすることすら難しく思えてきた。助けを求めるように隣を見上げれば、ギルバート殿下は一瞬目を丸くしたかと思うと、勢いよく顔を逸らしてしまう。
突然の行動にぎょっとしつつ、不躾に見すぎてしまったかしら、と一人青ざめていると、「うん……?」「あら……?」とどこか楽しそうな声が聞こえてきた。
「……何だかものすごく面白いことになっているようだね?お兄ちゃんに詳しく聞かせて欲しいなぁ、ギル」
「訳のわからないタイミングで兄貴面をするんじゃない、というか同い年だろうが」
「わたくしも是非とも聞かせてもらいたいわ。幼馴染として何でも相談に乗るわよ、ねぇギル」
「何の話だ、絶対に勘違いしてるだろう。おい、その意味深な微笑みをやめろ」
三人のやりとりを見ながら、噂に聞いていた仲の悪い兄弟という単語が脳内でサラサラと消えていく。どこが不仲だ、めちゃくちゃ仲良しではないか。
勝手に裏切られた気分になっていると、痺れを切らしたらしいゼーゲンが『おい』とギルバート殿下に声を掛けた。
『いい加減話を進めろよ、ギル。レベッカが困ってるぞ』
「……っああ、そうだな。すまない、コリンズ嬢」
「あ、いえ、大丈夫です……」
にこ…と力無く笑えば、またサッと視線を逸らされてしまう。そんなにひどい顔をしているのだろうかと心配になってきたが、ふと顔を上げると、ニヤニヤと笑いながらこちらを見つめるレオンハルト殿下とアメリアさまの姿があり、お二人が何か盛大な勘違いをしているということは何となく察した。
それから私とギルバート殿下はアメリアさまの向かいのソファへ並んで腰を下ろし、ギルバート殿下は私を連れてきた経緯を、私は自身の"祝福"について説明した。
お二人とも大層驚いていたが、レオンハルト殿下は「君の魔力量が極端に少ないというのも、"祝福"が原因かもしれないね」と母と同じことをおっしゃっていた。やはりこのお方はとても賢い。さすが、入学時から現在に至るまで、常に学年トップの座に君臨し続けているだけある。
また、ギルバート殿下がゼーゲンの言葉を理解できるのは、王族にのみ伝わる一種の契約の魔術によるものだそうだ。そのため意思疎通ができるのはゼーゲンに限り、キルシュや他の動物の声は一切聞こえないらしい。ちなみにレオンハルト殿下は鷹を飼っているそうで、想像するとあまりにも絵になりすぎて、ちょっと見てみたいと思ってしまった。
そうしてひと通り話を終えると、ふと、これまでずっと黙っていたアメリアさまから話しかけられた。
「レベッカさま、とお呼びしてもよろしいかしら」
「は、はい」
「ありがとう。……少しお聞きしたいのだけど、我が国の、今年の小麦の収穫率についてどうお考えかしら?」
「へっ?小麦、ですか?……そう、ですね。収穫率として例年とそれほど変わらない数値ですが、実際は年初の大雨で西側の農地が二割ほど被害に遭っているはずですので、農地毎で見ると収穫量は多少なりとも上がっていると言えるかと……」
突然これまでの話と全く関係のない質問をされ、戸惑いつつも意見を述べると、レオンハルト殿下がおや、と眉を上げるのが視界の隅に映った。
「では……〈つい先々月、同盟国間で行われた国際会議の議題をご存知かしら?〉」
「ええと……〈商流ルートの是正について、でしょうか。これまでの取締り方法と別に、さらに細かな規定を設定したということはお聞きしましたが……詳しいことは存じ上げません。申し訳ありません〉」
続いてとある同盟国の言葉で問い掛けられ、何となく同じ言語で返答すると、今度は隣から凝視されている気配を感じた。
訳がわからず混乱していると、ふとアメリアさまがにっこりと満足気に微笑む。「流石ですわね」という言葉で、どうやら私は試されていたらしいと気づいた。
「驚いたな……コリンズ嬢がここまで博識とは」
「筆記試験ではいつも学年上位にいらっしゃるものね。ズルだ何だのと疑う方も多いので、念のためと少し試すような形をとってしまったけれど。杞憂でしたわね、申し訳ありませんわ」
「私も認識違いをしていた。すまない」
「い、いえ。仕方のないことです。私は魔術に関してはからっきしですから……」
ぺこりと頭を下げるアメリアさまにぎょっとしていると、次いでレオンハルト殿下までも謝罪してくるものだから、血の気の引く思いで慌てて弁明する。
私が疑われるのは至極当たり前のことなのだ。実際に入学当初は教師にすら疑われ、二年になった今でも、教科によっては監視魔法をかけられた状態で試験に臨むことだってある。
だから気にしないでほしい、とそんなことを矢継ぎ早に説明していれば、左隣の空気がどんどん重く澱んでいっていることに気がついた。
「……おい、レオン。流石に監視魔法はやりすぎじゃないのか」
「うーん、私もそれは初耳だなあ。これはちょっと監査を入れる必要がありそうだね」
「どちらの先生がそのような措置を取られていたのか、大体の見当はつきますけれど。教師ともあろう方が聞いて呆れますわね」
苛立ちを滲ませた声でそう言ったギルバート殿下に対し、のんびりと答えるレオンハルト殿下だが、その目は完全に据わっている。アメリアさまも微笑みを浮かべてはいるが目は全く笑っておらず、厳しい声でぴしゃりと言い放った。
その後、ギルバート殿下は先ほどの私の教科書の件についても詳しく教えてほしいと身を乗り出してきた。あまりの距離の近さに心臓が口から飛び出しそうになったが、ギリギリで堪えてしどろもどろになりながら話す。途中何度かゼーゲンが補足してくれたのだが、聞かせるほどの話ではないかと私が端折った部分を、私の家の内事情まで交えて事細かにペラペラと喋るものだから、内心冷や汗をかいていた。
何とか話し終えて、そこでようやく生徒会室の空気が死ぬほど重たくなっていることに気がついた。
「……とんでもない妹だな。男に色目を使う女狐という第一印象だったが、間違ってはいなかったようだ」
「姉の婚約者と堂々と行動を共にしている時点で、要注意人物として記憶していたけど……予想を遥かに上回る問題児だね」
「それ以前に問題は伯爵家ですわ。時代遅れの魔力至上主義、前々から危険視はしておりましたけれど、さすがにもう見過ごせませんわよ。こんなのただの虐待だわ」
静かに憤る三人をよそに、当人である私はただただぽかんとその光景を眺めていた。
学園トップレベルの権力者が集うこの場で、まさか三人ともが落ちこぼれである自分の話を信じ、さらには味方になってくれるとは夢にも思わず、目を白黒させてしまう。
ふと足元に温もりを感じて視線を下せば、キルシュが甘えるように身体をすり寄せてきていた。
何となしにその毛並みを撫でてやると、不意にさくらんぼ色がこちらへ向く。
『よかったねぇ、レベッカ』
私を見上げ、穏やかな声で話しかけてくるキルシュ。
その言葉を聞くとともに、赤い果実のような丸い瞳が少しだけ潤んでいるのを見て、私の脳はようやく今の状況を正確に理解し始める。
途端に目頭が熱くなるのを感じ、ハッとしたときには、目の前にいる三人が驚いた表情でこちらを見つめていて。
私の目からは、大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。
「すっ……すみません、何故か、急に……何でも、ありませんので」
そう言いながら乱暴に目元を拭っていると、不意にそっとその手を止められる。
顔を上げると、滲んだ視界の先でギルバート殿下の青い瞳が優しく細められたのを見た。
「擦ってはダメだ、腫れてしまう。……ずっと、一人で頑張っていたんだな。気づくのが遅くなってしまってすまない。……もう、大丈夫だ」
そう言ってふわりと抱きしめられたと気づいた時にはもう、私は情けなく声を上げて泣いていた。
母が亡くなって以来、実に七年ぶりに流す涙だった。