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2 王子様なんて聞いてない

『おい、またアイツら学園内で堂々とイチャついてやがるぞ』


 不意に、キルシュより一段低い声がその場に落ちる。続けて頭上から降りてきたのは、これまた美しい毛並みの三毛猫だった。当たり前のようにキルシュの隣に座ると、早く報告したくて仕方ない、と言わんばかりに藍色の瞳をきらりと輝かせてこちらを向き直る。

 そんな彼の様子に、私は本日何度目かわからない沈鬱なため息をついた。


「……どこ?」

『美術室近くの渡り廊下』

『毎度、人前でよくやるよねぇ』

「ハァ……せめてもうちょっと人目の少ないところでお願いしたいものだわ……別に仲良くするのはどうぞご勝手にって感じだけど」


 思わず片手で眉間を抑えて唸ると、報告を終えたゼーゲンは満足したらしく呑気に毛繕いを始める。

 彼は三毛猫のゼーゲン、私のもう一人(匹)のお喋り友達である。

 出会ったのは半年ほど前と比較的最近だが、キルシュとは元々顔見知りらしい。そして野良猫のキルシュとは違い、ちゃんとした主人がいるそうだ。


 ちなみにキルシュと出会ったのは五年前。その頃からよく私と一緒にいるし、学園に入学して寮生活になってからは毎日のように私の部屋に入り浸っているが、飼っているわけではない。(そんなことをしたら継母やフローラに何をされるかわかったものじゃない)


『ねぇ、レベッカ。本当に婚約解消できないの?』


 微かに心配を滲ませた声色でキルシュに尋ねられた私は、首を横に振って肩をすくめた。こればかりはどうしようもないのだ。


 キルシュの言う婚約解消とは、私とパトリック・シャーマン侯爵令息の婚約のことである。というのも、今しがたゼーゲンからの報告に上がっていた、フローラがイチャコラしている相手こそがそのパトリックなのだ。

 つまり、私の婚約者は私の異母妹と恋仲。どこぞの泥沼恋愛小説にありそうな設定である。


 正直な話、私としてはパトリックに対し何の感情も抱いていない。正確に言えば情を抱く前にフローラに全部持っていかれたので、傷つく傷つかない以前に本当にどうでもいいのだ。さっさと私と婚約解消してフローラと婚約すればいいものを、と思うのだが、そう簡単にいかないのが我がコリンズ伯爵家だ。


 そもそも何故、落ちこぼれの私に一丁前に婚約者がいるのかというと、簡単に言えば父の思惑である。


 父は恐らく、卒業と同時に私を勘当するか、もしくは適当な貴族と結婚させて遠い地へ追い出す予定なのだろう。本当は母が亡くなった時点で追い出したかったのだろうが、変なところで外聞を気にする父は、落ちこぼれとはいえ正統な血筋の貴族である私を学園に通わせないわけにはいかなかったらしい。


 加えて自分で言うのも何だが、私は母に似てそこそこ容姿が整っている。ブルーグレーのストレートヘアに、色素の薄い水色の瞳。事情を知らない他国の人間が見れば、儚げな印象を与える美女と言えないこともない、らしい。そのため、落ちこぼれでももらってやってもいい、という気のいい男性(しかし高確率で変態)が一定数いるのだ。


 父としては、追い出す予定の人間宛に来る婚約をいちいち断るのが面倒だったのだろう。そこで考えたのが、後継者として考えているフローラの婚約者候補を一時的に私の婚約者としておく、というふざけた案であった。


 恐らくパトリックもフローラも、このことについて父から直々に話を聞かされている。それゆえに学園内で白昼堂々イチャコラしているのである。


「私としては、今すぐ勘当してほしいくらいなんだけどね。こういう地味な嫌がらせも飽きたし、寮を追い出される長期休業期間は苦痛すぎるし」

『でも今勘当されたとして、行く当てあるの?』

「街の人は平民としての私なら仲良くしてくれてるし、多分何とかなるわよ」

『お気楽なもんだな、落ちこぼれ令嬢ってバレたら一気に手のひら返されるぜ』

『ちょっと、ゼーゲン!』


 ゼーゲンの言葉をキルシュが厳しく咎める。

 若干心が抉られたが、本当の事なので苦笑いで誤魔化すと、キルシュがゼーゲンを尻尾で叩いた。


『イテッ!……悪かったよ。けどお前、勉強は好きなんだろ?辞めちまったらできねーぞ』

「そうなのよねぇ……お母さまの血だと思うんだけど、経理や語学の授業はすっごく楽しいのよ。平民になるとこんなにちゃんと学べないから、惜しくはある……」

『レベッカ、魔術学以外の成績はめちゃくちゃ優秀だもんねぇ』

「まあね。……はぁ、遠い他国でも貧乏でも何でもいいから、心優しくて変な趣味のない貴族の方に見初められて嫁入り……なんて、できないわよねぇ……」


 遠い目をして、どうせ叶いもしない願望を口にするだけしてみるも、逆に虚しくなってしまった。


 母の生家であるセルヴァン伯爵家は、当主が代々宰相を務めており、母も政治や経理の話にはとても詳しかった。幼い頃は難しい単語が多いと感じていたが、今思い返すとなかなか興味深い話をたくさんしてくれていた気がする。

 もっと大きくなってから話を聞いてみたかったな、と考えて、慌てて思考を振り払った。こんなことでいちいち落ち込んでいてはいけない。


 そんなことより目下の問題は、目の前にある紙切れと化した物体である。私は無理やり意識をその教科書に持っていった。


「さて、それよりも本当にどうしようかしら、これ……あの先生、絶対ネチネチ言ってくると思うのよね。前回と同じく、朝の予鈴前ギリギリの時間を狙うか……」

『それで前回は、続きは放課後って言われて一時間説教コースだったんだよねぇ』

「ぐっ、そうだったわね……じゃあ、今回は先生の帰宅直前を狙っていくわ。善は急げよ、決行は明日!」

『ちなみに明日は大雨だ。あいつ低気圧に弱いから、機嫌は最悪だろうな』

「……明後日にするわ」


 そういえば確かに雲行きがあまりよくない。もう少しここでぼけっとしていたかったけれど、早めに寮へ戻った方がいいかもしれないなと、私は渋々立ち上がる。


「雨が降ってきても困るし、そろそろ寮へ戻るわ。あなたたちも早めに雨宿りできる場所へ……」

『……げっ、マジか』

「?どうしたの、ゼーゲン」


 私の言葉を遮り、突然ピンと両耳を立てて背筋を正したゼーゲンに首を傾げる。


 その瞬間にザァッと強い風が吹き抜け、次いで聞き馴染みのない声が耳朶を打った。


「……ゼーゲン?」


 心臓が跳ね上がった。

 全く気配がなかったことに驚愕しつつ、声のした方を勢いよく振り返る。


 そこにいたのは、少し切長の目をめいっぱい見開いてこちらを凝視する、ギルバート第二王子殿下その人。


 幻覚だと思いたかった。本当に、心の底から。


 だが現実は残酷である。驚きと絶望で思考停止し固まったままの私をよそに、殿下はその長いおみ足でずんずんとこちらへやって来た。

 何とか我に返った私は慌てて頭を下げ、淑女の挨拶(カーテシー)の形を取る。


 視界の端で焦茶色の靴がピタリと停止し、続けて「顔を上げていい」という冷たい声が降ってくる。

 恐る恐る顔を上げると、予想通りの無表情がそこにあった。射抜くような鋭さを持った真っ青な瞳が怖すぎる。こんなとんでもない美形に真正面から睨まれる機会などそうない。か弱い令嬢なら失神するレベルじゃないだろうか、これ。


「……名は」

「リチャード・コリンズ伯爵が娘、レベッカ・コリンズと申します。第二王子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

「コリンズ伯爵家の令嬢……そういえば、娘が二人いると聞いたな」


 君が姉の方か、と呟いた声には苦虫を噛み潰したような不快さが滲んでおり、フローラの行動を思い出してああ……と半目になりかける。


「ええと、あの……妹がご迷惑をおかけしたようで……大変申し訳ございません……」

「いや……ああいうことには慣れている」


 慣れてるのね……この人、もしかして結構な苦労人なんじゃないかしら。


 そんなことを考えながら、思ったよりも会話が成立していることに内心驚いていた。確かに近寄り難いオーラは全開だが、話を切って捨てるような方には思えない。礼儀正しく、常識のあるお方なのだろう、と私は認識を改める。


 ふと、殿下の視線がチラリと下に移る。つられて下を見れば、興味津々といった様子でこちらを見上げるキルシュと、珍しく所在無さげにソワソワと視線を彷徨わせるゼーゲンがいた。


「その……コリンズ伯爵令嬢は、この猫を知っているのか」

「え?ええ、はい、存じ上げております。私の大切な友じ……友達ですわ」

「友達……」


 その言葉に殿下の瞳の鋭さが少し和らぎ、代わりに信じられないといったような驚きと戸惑いの感情が瞳に乗せられる。

 この辺りで、私は殿下は無表情なのではなく、単に感情が表に出にくい人なのでは?と勘づき始めていた。


「……彼らの名は?」

「?ええと、黒猫の方をキルシュ、三毛猫の方をゼーゲン、と私は呼んでおりますが……」


 何故そんなことを聞くのだろう、殿下も猫が好きなのだろうか、と内心首を傾げつつも二匹の名を答えると、今度こそはっきり驚愕の表情を見せた殿下はガバッと勢いよく私の方へ向き直った。


「えっ……ど、どうかなさいましたか?」

「……何故、知っている」

「は?」


 何だかとても嫌な予感がする。あら?そういえばさっき、殿下も名前を呼んでいた……ような……

 一目散にこの場から逃げ出したい衝動に駆られながらも何とか踏み止まって微笑んでいると、続けて殿下が発した言葉に、私は文字通り凍りついた。


「ゼーゲンは私の愛猫だ。名前は名付け親である私と、そのほか数少ない人間しか知らない。それなのに何故、君が名前を知っている」


 一瞬、時空の彼方へトリップしかけた思考を無理やり引き戻し、キッと恨みを込めた視線を足元の三毛猫へお見舞いした。


 あなたの主人が第二王子殿下とか、初耳なんですけど……!?


 確かに、キルシュは私が名付け親だが、ゼーゲンは出会った時に自分でそう名乗っていた。言われてみれば最初からかなり偉そうだった、王族に飼われている猫ならばその態度も納得できるものがある。


 さて、どう説明したものか。疑わしげな視線を向けてくる殿下に、私は内心汗びっしょりである。この場から逃げることは絶対に許されない、かと言って正直に話していいものか。というかそもそも、信じてもらえるかどうかすら怪しい。


 言葉に詰まっていると、足元から居心地の悪そうなボソボソとした声が聞こえてきた。


『……レベッカ、正直に話しても大丈夫だぞ。ギルはオレの声が聞こえるんだ』

「……え?」


 ゼーゲンの言葉に思わず反応してしまい、ハッとして殿下に視線を戻すと、ぽかんと口を開けてこちらを凝視する殿下がいた。

 恐らくこのとき、私も似たような表情をしていたのだろう。


 ただ一匹、この場を純粋に楽しんでいたキルシュが、わざとらしくニャアと鳴いた。

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