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1 落ちこぼれ令嬢と猫

「……毎度毎度、飽きないわねぇ」


 無惨に破り捨てられた教科書を地面に並べ、その前にしゃがみ込むと、私は呆れを滲ませてそう呟いた。


 人気の少ない裏庭、草木の繁る奥へ入ったところにあるガゼボ。恋人たちの公然の逢引き場所――そのさらに奥。木々に隠れているせいで見えづらいため、誰も寄りつかない小さな池のほとり。

 そこが、私、落ちこぼれ伯爵令嬢レベッカ・コリンズの数少ない安寧の場所だった。


 目の前にあるボロボロの教科書はついこの間新調したもの。首謀者についてはよくよく知っているが、どうせ誰も信じてくれないのでとうの昔から諦めている。

 こういったことは入学時から日常茶飯事なため、さすがに二年目後半にも突入すると完全に慣れてしまい、ショックすら受けなくなった。


「先々週は語学だったからまだスペアがあったけど、今回はまた魔術学……先週新しく買ったところなのに……はぁ、また先生に嫌味を言われそう」


 社交界でも有名な「落ちこぼれ」である私は、一定数の教師にもあまり良い顔をされない。その筆頭である魔術学の担当教師の顔を思い浮かべて、余計に気が重くなった。


 そもそも、仮にも伯爵令嬢の私が何故このような事態に陥っているのか、順を追って説明しよう。


 まずこの国には「魔法」というものが存在する。物を浮かせる、火を起こす、など日常生活に便利なものから、傷を癒す、人を呪う、といった人知を超えたものもある。

 そして魔法を使うための「魔力」を持って生まれるのは、基本的に貴族のみだ。

 稀に平民にも魔力を持つ者が現れるそうだが、その場合は教会が引き取るか、子や世継ぎに恵まれなかった貴族が養子に迎える、といった措置が取られる。


 話が少し逸れたが、私の生家であるコリンズ伯爵家は代々強い魔力を持つ者が継いでおり、魔力を持つことへのプライドがとても高い家系であることで有名だ。生まれてくる子どもの魔力をある程度操作するため、結婚相手すら魔力量で選ぶ。


 私の両親もその手の政略結婚であり、父と母はともに魔力量が多かった。

 父はコリンズ伯爵家の長男で、歴代当主の中でもトップを争う程の魔力を持つ。対して母は宰相の父を持つセルヴァン伯爵家の娘であり、政治にも詳しく、またその魔力量に似合わず繊細な魔法が得意だった。

 そんな二人の間に生まれた待望の第一子。しかしその娘は、日常生活を送る上で多少は役立つかどうか、という程度の微量の魔力しか持ち合わせていなかった。


 その事実に父は怒り狂い、お前のせいだと母をそれはそれは強く責めたそうだ。それでも母だけは私を自分の娘として育て、たくさんの愛情を注いでくれた。私が比較的まともな性格に育ったのも、母のおかげである。

 そんな優しい母も七年前、私が十歳の時に、流行病によりあっけなくこの世を去ってしまった。


 母が亡くなってから半年も経たずに父は再婚し、私には妹ができた。

 私の一つ年下だというフローラは、継母譲りのピンクブロンドに父そっくりの桃色の瞳をした可愛らしい少女だった。

 年齢と見た目で何となく察してはいたが、フローラは父と、その頃はまだ愛人であった継母から生まれた不貞の子だった。後から噂で聞いたところによると継母は父の元恋人らしく、政略結婚のため仕方なく別れて私の母と結婚したらしい。貴族ではよくある話だ。


 そうして継母と異母妹が伯爵家で暮らすことになり、私のかろうじて穏やかだった日々は跡形もなく崩れ去った。


 まず父が魔力量の多いフローラを後継者にすると宣言した瞬間に、家の中での私の地位は令嬢から使用人に転落。私や母の味方だった執事や侍女は全員暇を出され、私を敬う人間は誰もいなくなった。


 次いで、フローラによる悲劇のヒロイン作戦が始動。お茶会(もちろん私は呼ばれない)にて、異母姉に虐められている可哀想な妹アピールを始めたらしく、元々少なかった友人たちもどんどん離れて行き、今や社交界では悪女と名高い女になってしまった。


「百歩譲って落ちこぼれは認めるわ。でも魔力量の多い妹を妬んで虐げてるって……そんな八つ当たりする暇があったら、もっと有意義に使ってるわよ……ていうかどっちかって言えば癇癪持ちはフローラの方でしょ……」

『今日も今日とて大きなひとりごとだねぇ、レベッカ』


 不貞腐れ気味に頬杖をつきながら誰に聞かせるでもなく文句を言っていると、呑気な喋り声が頭上から降ってきた。特に驚くこともなく、顔だけ上に向けて声の主を探す。

 見ると、ちょうど私が陰になるように葉を生い茂らせている木の上、その枝にちょこんと座ってこちらを見下ろす黒猫がいた。


「別にいいじゃない。こうやって喋ってないと、いざというときに話し方を忘れて困るのよ」

『アタシたちと喋ってるから大丈夫じゃない?』

「……確かに」


 でももう癖みたいなものだから仕方ない、と一人で勝手に結論づけて納得していると、小さな笑い声の後、目の前に黒い塊がひょいと着地する。


 彼女の名はキルシュ。真っ黒の艶やかな毛並みに、熟れた果実のような真っ赤な瞳の猫である。

 私はいつ見ても美形だと羨ましく思うのだが、残念ながら世間では黒猫は闇魔術師の使い魔だと恐れられている。こんなに綺麗なのに。


『そんなに褒めても何もないよぉ』

「あら、私声に出てた?」

『思いっきりね。本当にレベッカはびっくりするくらい素直だなぁ。あの悲劇のヒロイン女もレベッカくらい素直で可愛かったらまだマシなのに』

「やだ、そんなに褒めても何もないわよ!ほほほ!」

『その笑い方は気持ち悪いけどねぇ』

「ひどい!」


 両手で顔を覆って大袈裟に傷ついたふりをするも、全く意に介さず呑気に欠伸している気配がしたので、あっさり諦めて地面に腰を下ろした。ついでに足も伸ばす。淑女にあるまじき体勢だが、誰も見ていないので構わない。キルシュにはとうの昔から知られているし。


 なんてこと無いふうに猫と会話している私だが、普通の人間から見ればただの変人だと思われるだろう。それもそのはず、キルシュの声は普通の人間には聞こえないのである。


 私がこの能力に気づいたのは五歳のとき。庭にいた小鳥に何となしに挨拶すると、なんと人間の言葉で返事が返ってきたのだ。びっくりしてすぐさま母に伝えると、普段滅多なことでは取り乱さない母もさすがに驚いたらしく、手にしていた本を床に落としていた。


 それから母とともに歴史書を調べたり、いろいろと試してみたりしてわかったことは、私は動物の言葉がわかり、会話もできるということ。普通の人間には、私が一人で動物に話しかけているようにしか見えないこと。そしてこの能力は、魔力とは別の"祝福"という神さまからの贈り物である可能性が高いということ、である。


 母は私が歴史上でも数少ない"祝福"持ちであるかもしれないということを大層喜び、私の魔力量が異様に少ないのも"祝福"を賜ったせいかもしれない、と言った。

 それからふと、悪いことを思いついたようにニヤリと笑い、こう言ったのだ。


――レベッカ、このことはお母さまとの秘密にしましょう。今はまだ、誰にも言っちゃダメよ。……そうね、あなたが大きくなって、いつか心から信頼できる人ができたら、打ち明けてみなさい。そうすればきっと、あなたは誰よりも幸せになれるわ。


 母のその教えを守り、私は自身のこの能力を誰にも言ったことがない。というかたとえ言ってみたとしても、今の私では誰にも信じてもらえないだろうが。


『にしても、今日もまた派手にやられたねぇ』

「よほど暇なんでしょうよ。このあいだまで留学から帰ってきた第二王子殿下の話で盛り上がって、私に構ってる暇もないくらい追っかけしてたのに、殿下が超冷たくて見向きもしないってわかるとすぐにこれよ」

『なるほど、毎度の如くストレスの捌け口にされてるってわけ。あれが本当の癇癪持ち、と』


 嘲笑混じりに返された言葉に対して、頷く代わりに盛大なため息をこぼす。


 もうわかりきっていることだが、この教科書をはじめとした学園でのいじめの主犯は勿論フローラだ。ただ、本人が直接手を下すことはまずない。大体はフローラの取り巻きたちが彼女の言い分を信じて、制裁だとか正義ぶって勝手にやっていることである。半分くらいは単純に私を馬鹿にしているだけだろうけど。


『第二王子かぁ…レベッカも会ったの?』

「遠目に見ただけよ。でもすっごい美形だったわ。第一王子殿下とはまた違うタイプね。噂だと「太陽」と「月」って対比されてるみたい」

『ふぅん』


 キルシュに説明しながら、渡り廊下の端で遠目に見かけた殿下の姿を思い出す。


 第二王子、ギルバート・ヴォドリング殿下。

 つい先日、同盟国への五年間の長期留学から帰国し、この学園に編入してきた。

 王妃殿下譲りの美しいシルバーブロンドヘアに、国王陛下や第一王子殿下と同じサファイアの瞳。ただ双子である第一王子殿下と異なるのは、べらぼうに整ったその顔には微笑みなど一切なく、絶対零度の冷ややかな視線も相まって近寄り難さが半端ないという点である。


 噂によると、王位継承権のこともあってか兄弟仲はあまりよろしくないらしい。言われてみれば、確かにお二方が学園内で会話しているところは見たことがない。

 現在継承権一位は第一王子のレオンハルト・ヴォドリング殿下だが、医師に取り上げられた順番だけで決まった序列だ、何かしら思うところがあるのかもしれない。


 他の家でもやはり仲が悪い兄弟や姉妹はいるものなんだなぁ、と仄かな親近感を抱いたのは内緒だ。王族に対して、うちと一緒ですね!なんてあまりにも不敬すぎる。


 遠い目をしてそんなことを考えていると、くつくつと意地悪な笑い声が耳に届いた。


『あの女、自分に見向きもしない男がいるなんて、相当悔しかっただろうねぇ』

「そうねぇ。誰しもがあのバ…パトリックみたいにチョロくないって、いい加減理解してると思ってたんだけど。未だに脳内お花畑だったらしいわ」

『いっそレベッカが第二王子と仲良くなっちゃえば?』

「バカ言わないでよ、私なんかがお近づきになれるわけないでしょ。変な噂が立っても大変だし、落ちこぼれには誰も関わらないわよ」


 ばっさりと言い切れば、赤い瞳が何か言いたげに細められる。けれど結局、キルシュは口を開くことなくそのまま視線を逸らした。

 言われなくても、続くはずだった言葉は大体予想がつく。


――もっと自分に自信を持っていいのよ、レベッカ。


 幼い頃の朧げな記憶、その中ではっきりと覚えている母の言葉の一つ。

 父に直接ぶつけられた「落ちこぼれ」「一家の恥晒し」という言葉に、幼い私はその意味こそ分からずとも、そこに込められた悪意だけはしっかりと感じ取ってしまい、ひどく落ち込んだ。


 そんな私を慰め、気にしなくても大丈夫だと微笑みかけてくれた母の言葉。ずっと忘れずに覚えているけれど、母が亡くなって以降、残念ながら自信を持てたことなどほとんどない。そんな話をキルシュにもしたことがあった。


(言わなかったのは多分、私がお母さまを思い出して悲しむと思ったから。まったく、変な気を遣ったわね。……本当に優しい子)


 小さな気遣いにふっと笑いをこぼせば、目敏くそれを聞き取ったらしい黒猫は、気恥ずかしげにそっぽを向きつつ尻尾をゆらゆらと揺らした。


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