【書籍発売記念SS】エイデンの大きな独り言
『青年と担当医のふたりごと。』
とある日のセルヴァン伯爵家、エイデンの自室にて。
「それでギルバートのレベッカを見る顔がさあ、もう信じられないくらいに甘くて」
ベッドの端に腰掛け、後ろ手をついて両足をだらりと伸ばした体勢のまま、エイデンは話を続ける。
「最初に見たときは目を疑ったよ。だってあのギルバートだよ?婚約者最有力候補だった隣国の王女様を、一睨みで震え上がらせたあの冷徹堅物王子が、帰ってきてみたら一丁前に恋する男の顔してるんだよ?普通に引いたよね」
あー思い出したら鳥肌立ってきた、とエイデンはわざとらしく自身の二の腕をさすりながら肩を竦める。
エイデンの従妹であるレベッカがセルヴァン伯爵家へとやって来てから、三ヶ月と少しほど。それはつまり、この国の第二王子とレベッカの婚約が発表されてからそれほど経ったということ。
まだまだ初々しい二人は、今日も今日とて城下へと出掛けている。第二王子殿下はここのところ公務で忙殺されているとの噂だったが、今朝見かけた様子ではそこまで疲労も蓄積していないようで、恐らく歴代王族の中でも飛び抜けて有能と噂される、王太子殿下の采配によるものだろうと推測した。
「試しに揶揄ったらすごい勢いで牽制してくるし……ギルバートって意外と愛が重いタイプだったんだなって、ちょっと引……びっくり」
数秒前に堂々と口にしているので言い直す意味はあまりないのだが、これは二度も言ってはさすがに可哀想だろうというエイデンなりの配慮だ。むしろ二重に失礼なのはもちろん本人もわかって言っている。
「ま、でもあんまりとやかくは言えないんだけど。何せレベッカの恩人だから、間接的に僕の恩人てことになるし」
エイデンはふっと視線を落とし、その口元に苦々しい笑みを浮かべた。
「僕は自分の事でいっぱいいっぱいで、何一つ気づいてあげられなかったから。……それが今になって兄を名乗るだなんて、烏滸がましいにも程があるよね」
「ーーそれは仕方がないのでは」
不意に割り込んできた落ち着いた声に、エイデンは特に驚く素振りも見せず、ちらりと視線を上げる。
「意図的に情報が遮断されていた、と聞きましたが」
「……一つも相槌を打ってくれないから、てっきり僕の話なんか聞いていないんだと思っていたよ」
「そんな大きな声で独り言を言われたら嫌でも耳に入ります」
そう言って、エイデンの前に跪くような体勢で彼の足をまじまじと見つめていた白衣の少女は、視線を上げないままにため息を吐いた。
「……足は特に問題ありません。このままリハビリを続けて大丈夫かと。ただし、本当に無理だけはしないこと」
「はいはい、何度も言わなくたってわかっているよ。きみはクリュセードで出会った頃から本当に変わらないね」
エイデンがやれやれと肩を竦めると、不満そうな漆黒の瞳がようやくこちらを向く。何か言いたげな視線には気がつかないふりをして、エイデンは窓の外に目をやる。
「……話を戻すけれど、仕方がないと言われたら確かにそうかもしれない。でも……僕はレベッカの従兄だ。異変に気づくタイミングなんて、何度もあったはずなんだ」
ベッドの上に無造作に置かれた、少し骨張った両手に僅かに力が込められる。少女はそんなエイデンの手を一瞥して、けれど何も言わずに彼の言葉を待った。
「だから本当は、僕はギルバートには頭が上がらないんだよ。本人に言うのは癪だから絶対に言わないけど」
ふ、と零れた微笑みは、彼にしては珍しく頼りなく、どこか哀しそうにも見える。
少女は、ただじっと彼の横顔を見つめている。
「僕が言える立場ではないけど……最悪の事態になる前で、本当によかった」
エイデンの瞳に再び少女が映る。どこかの無礼な誰かが不気味だと言ったらしい漆黒の瞳の奥に、微かに煌めいた光を見て、エイデンの笑みが自然と柔さを纏った。
本人こそ無意識のそれに、少女は僅かに瞠目する。
「だからきみにも本当に感謝してる。ありがとう、僕の病を治してくれて。おかげで間に合った」
「……エイデン様の努力あってこそです。自分は、何も」
「いつも信じられないくらい強気なのに、なぜかこういう話のときだけは謙遜するよね、きみ」
照れ隠しなのか、サッと顔を逸らした少女にエイデンはくつくつと喉を震わせた。しかしあまり揶揄うと本気で拗ねてしまうのもわかっているので、適度なところで切り上げる。
そういう少し幼いところも出会った頃から変わっていないが、これを言うと余計に事がややこしくなるため、一旦飲み込むことにした。
それからふと、エイデンは頭に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「……恋で人は変わる、か。僕もいつかそんな人と出会えるのかな」
藍色の前髪から、ちらりと黒の瞳が覗く。
エイデンが自分の返答を待っている気配を感じ取り、少女は少しだけ迷って、けれどすぐに口を開いた。
「……さぁ、どうでしょうね」
「そこは嘘でも出会えますよとか言ってよ。冷たいなあ」
大袈裟に肩を落としたエイデンを無表情のまま見つめていた少女だが、刹那、その口元が少しだけ緩む。
しかし不貞腐れたように視線を逸らしていたエイデンは、その稀有な瞬間を見逃していた。
「案外、もう出会っているかもしれませんよ」
「え?」
「知りませんけど」
「……きみさあ、本当に適当だよね」
「どうも」
「褒めてないよ」
さらに不服そうに眉を寄せたエイデンだったが、人よりも表情の乏しい少女の瞳が楽しそうに揺れていることに気がつくと、まあいっか、と困ったように笑った。
お読みいただきありがとうございました!
単行本、電子書籍それぞれに書き下ろし短編が収録されております。また本編も大幅に改稿しておりますので、新鮮な気持ちで楽しんでいただけると思います!
どうぞよろしくお願いいたします。




