16 いざ神殿へ 2
「……さて、セルヴァン伯爵令嬢どの」
突然、これまでと打って変わり、真剣な声が広間に響く。振り返ると大神官さまのお顔からは笑みがすっかり消えていて、私は無意識に姿勢を正した。
静寂がやけに長く、重たく感じられた。
「……先ほど言った通り、"祝福"持ちとは大変稀有な存在じゃ。それゆえ、いつの時代にもその力を悪用しようと企む輩は大勢いる。下手をすれば命を狙われてもおかしくはない。実際、これまでの"祝福"持ちも誘拐や暗殺未遂といった数多の事件に巻き込まれたという記録が残っておる」
「……はい」
「それを踏まえて聞いてもらいたい。……神官として、神殿に留まってはどうかの?」
「!」
「断る」
私がハッとして目を見開いたのと、ギルがばっさりと言い切ったのはほとんど同時だった。
ギルの言葉に、大神官さまは一瞬だけ厳しい眼差しを向けたような気がしたが、次の瞬間には呆れたように眉を上げて大きなため息をついた。途端に、緊張していた空気が嘘のようにふっと緩む。
「これこれ、わしはお嬢さんに聞いておるんじゃ。横から口を挟むでないわ。まったく堪え性の無い男じゃのう……」
「何とでも言え。とにかくレベッカは渡さん」
「ギ、ギル……」
あまりにも明け透けな物言いにこっちが赤くなってしまう。おろおろと視線を彷徨わせていると、ふと、大神官さまは諭すような口調でギルの名を呼んだ。
「おぬしとてわかっておるじゃろう、ギルバート殿下。神殿で保護することが、彼女にとって最も安全であり適当な措置であると」
「いいや、違うな。いくら神殿に強力な結界が張られていようと、内部に手引きする者がいれば終わりだ。どれほど強固な守りを固めたとて、側に居なければ意味がない」
「つまり?」
どこか試しているかのような大神官さまの問い掛けにも、ギルは全く怯むことなく口を開く。
「俺がいつも側に居て、守ればいいだけの話だ」
「……まさか、おぬしの口からそんな言葉が聞ける日が来るとはのう」
感心感心、と嬉しそうに表情を綻ばせた大神官さまを見て、ギルは居心地悪そうに目を逸らす。
そんな二人のやりとりをぽかんと眺めていたが、そこでようやくハッと我に返り、慌てて大神官さまに向き直った。
「大神官さま、大変ありがたいお話ではあるのですが……私からも、お断りさせていただきたく」
「ほっほっ。構わんよ、元々頷いてもらえるとは思っておらん。一応の確認、というだけじゃ」
頭を下げながらそう告げると、本当に気にしていないらしい、明るく柔らかな声が頭上に降ってきた。
ゆっくりと顔を上げると、そこには我が子を見守る親のような、慈愛に満ちた眼差しで私たちを見つめる大神官さまの姿があった。
「幸せそうに寄り添うおぬしらを見て、わざわざ引き離すような真似をするほど性根は腐っておらんよ。二人で生きて行くと決めたのじゃろう?」
「……はい」
大神官さまの言葉を噛み締め、力強く頷く。
同時に、ギルと婚約すると決めてからずっと心に留めていた決意を、初めて言葉にする。
「それに、私は非力ですけれど……頼りっぱなしは嫌なので。自分の身は、出来る限り自分で守ります」
私の言葉に、隣で驚いたらしい気配を感じた。
大神官さまの視線がちらりと横にずれ、ほんの僅かに目元が和らいだところを見るに、どうやら私の推測は正しかったようだ。
「……強いお嬢さんじゃ。なるほど、殿下が放っておけないのも頷ける」
そう言ってまた朗らかに笑った大神官さまが、帰り際に小さな声で「殿下をよろしく頼む」と囁いてきたときは、思わず涙が出そうなくらいに、胸が温かいものでいっぱいになった。
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ギルとレベッカを見送った後、広間にて。
二人の後ろ姿が見えなくなったところで、大神官ことウィンダム・ツェフはふと、先ほどの鑑定記録を開く。
「未来予知」の"祝福"持ちであった公爵令嬢。愛猫の黒猫をいつも側に連れていたという、変わり者の少女。
「鑑定時は十七歳。その直後、嫁入り直前の暗殺未遂事件の折、愛猫を亡くしている。……が、その後は無事に嫁いでおるな。最終的な死因も老衰か。ふむ……」
時系列を辿り、やはり目ぼしい記述はないようだと記録を閉じようとしたとき、ふととある一節に目が留まる。
それは、その令嬢の嫁ぎ先に関する記述。
「ん?この家名……どこかで、聞いたような」
自身の記憶の引き出しを開けかけたとき、奥の方から自分を呼ぶ声が聞こえ、彼の思考はそこで一旦途切れた。
やれやれ、タイミングの悪い。
そんなことを思いながらも、小さくため息をついてから、己を探す部下たちの元へと歩みを進め始めた。
余談だが、彼が読み飛ばしてしまっていたある一節には、黒猫についての記述もあった。
〈彼女の愛猫である黒猫、名は不明。美しい漆黒の毛並みと、真っ赤な瞳が特徴的。少女の話によると、恐らく人語を理解していたと思われる〉
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馬車までの道中、いろいろな喜びを堪えきれず、にこにこと微笑む私の隣では、ギルが行きと変わらず不満そうに顔を歪めていた。
ちなみに神官さまのお話によれば、庭散策へ出掛けた二匹の猫たちはさっさと馬車に戻っているらしい。本当に自由すぎる。
「あのじいさんは昔からああなんだよ。父上や母上にもあの調子だからな。毎度毎度ふざけやがって……」
「まあまあ……あっそうだわ、ギルに渡したいものがあって」
「……俺に?」
ぶつぶつと大神官さまへの文句を垂れ続けるギルを宥めながら、ふと今日の目的をもう一つ思い出し、ついでに話を逸らすことにする。
手持ちのバッグから取り出した小さな小袋をそっと手渡すと、ギルはきょとんとして、私とその小袋を交互に見遣る。開けていいよ、という意味を込めて頷けば、ギルは何度か瞬きをした後、そろりそろりと無駄にゆっくりとした動きで小袋の中身を取り出した。
その様子を見ていると、何だか急に気恥ずかしくなってきて、思わず視線を足元に落とす。
しゃらり、とチェーンが揺れる音を拾ったところで耐え切れなくなり、聞かれてもいないのに説明を始めてしまった。
「えっと、それ、ガラスのネックレス。宝石ではないから、大した価値は無いのだけど、その……一応、防御魔法というか、「護り」の魔法を掛けてあるの」
「これは……レベッカが?」
「ええ。と言っても、まだ練習段階なのだけど……その中で一番上手くいったものなの。役に立つかは怪しいけど、御守り、みたいな……」
「…………」
何故か黙ってしまったギルに、焦りが募る。既に熱を帯びてしまっている顔を上げることもできず、俯いたまま慌てて言葉を続けた。
「い、いらなかったら全然、返してもらっ……」
「いる。絶対にいる。一生返さない」
食い気味に告げられた答えにびっくりして、咄嗟に立ち止まって顔を上げてしまう。
そこには、予想外にも至極真剣な表情でこちらを見つめるギルの姿があった。
「い……一生は流石に大袈裟よ……」
「大袈裟じゃない。レベッカから貰ったものだ、絶対に大切にする」
射抜くような青い瞳を直視できず、うろうろと視線を彷徨わせながら何とか反論を試みるも、一瞬で返されてしまえば黙るしかなくなる。
どうしようもなく赤くなる頬を両手で押さえ込み、意味もなくむにゅむにゅと動かしていると、ふと、真っ直ぐに私を見据えていた双眸がふわりと和らいだ。
どくん、と心臓が大きく跳ねる。
「ありがとう。これまでの人生で一番嬉しい贈り物だ。肌身離さず付けるよ」
(……だから、その笑い方。反則なのよ……)
少しだけ下がった目尻、仄かに赤みが差す頬、蕩けるような眼差し。
きっと私しか知らない、私だけのギル。
そんなことを考えている自分が恥ずかしくなったけれど、それよりも今は、贈り物を喜んでもらえたことに対する純粋な嬉しさの方が勝っていた。
「本当に大袈裟……でも、ギルに喜んでもらえて、私も嬉しい……わ」
上手く笑えたかはわからない。それでも、この喜びが伝わってほしい。そう思いながら微笑みを返せば、何故か急に目の前の笑顔がスッと消えた。
突然の変化に驚く間もなく、気がついた時には唇に柔らかい感触があって。
下唇を甘く噛んでから離れて行った熱の正体を脳が理解したと同時に、私の思考は完全にショートした。
素早く身を引いて、真っ赤に火照る顔を両手で覆って隠す。
「な、ま、またっ……外はダメって、言った……!」
「ふ、すまない。可愛くてつい、な」
「い、い、意味わかんないこと、言わないで!もうっ!」
「悪かったって。拗ねるなよ、レベッカ」
「知らないっ!」
反論しても、目の前の男は至極楽しそうに笑うだけ。
顔が熱くて仕方がない。
今さらだと言われてしまえばそれまでなのだが、これ以上情けない表情を見られたくなくて、ふんっ!と勢いよく顔を背けて足早に歩き始めるも、足の長さの差ゆえにすぐさま追いつかれて並ばれてしまう。
それでも完全に突き放すことなど出来ず、さらにはちらりと横目で見たギルの首元に、一体いつの間につけたのか、今さっきあげたばかりのネックレスが揺れているのを見て、単純な私はだらしなくにやけそうになるのを我慢するのに必死だった。
余談。
珍しい客人を物陰からひっそりと見守っていた神官たちは、視線の先で繰り広げられる二人のやりとりに、完全に言葉を失っていた。
その中でかろうじて己を取り戻した者たちは、口を揃えてこんなことを言っていたそうだ。
「…………え、何?あれ誰?」
「あれが、本当にあの第二王子殿下……?」
「幻覚……??」
後日、「幻覚が見える、何かに憑かれているかもしれない」と沈鬱な表情で申し出る神官が続出したとか。




