12 これからもあなたと
「おや、レベッカ。お出かけかな?」
「エイデンさま」
予想より支度に時間がかかり、やや早足になりながら廊下を進んでいたところで、自室へ戻る途中だったらしいエイデンさまに声を掛けられた。
セルヴァン伯爵家の養子となってから一週間。未だ緊張はするものの、伯父さまや伯母さまをはじめ屋敷の人たちは皆優しい方ばかりで、少しずつこの新しい日々にも慣れ始めている。
エイデンさまは幼い頃より原因不明の難病を患っており、その治療のため、わが国よりも医学研究の進んでいる隣国で十数年ほど過ごされていた。そして昨年ついに治療法が確立され、この間晴れて帰国したばかりである。
詳しくは聞いていないのだが、普通の人よりもかなり身体が弱く、特に両脚の骨が歳を重ねるごとにどんどん脆くなっていたらしい。そのせいで歩くこともままならず、車椅子生活を余儀なくされていたそうだが、治療と併せて薬の服用を始めてからは、少しずつではあるが体力もついてきていると喜んでおられた。帰国してからは、リハビリがてら屋敷内を散歩することが日課となっているらしい。
「キルシュは留守番?」
「はい、どうやらエイデンさまにいただいたクッションを随分と気に入ったみたいで。すっかり夢の中です」
「本当?それは良かった」
と言っても、キルシュは私が部屋を出る直前までは起きていたし、私の身支度中も足元をうろうろしていたので、恐らく気を遣って二人にしてくれたのだと思う。半分くらいは本当にクッションの誘惑に負けたのだろうが。
嬉しそうに笑いながらゆったりとした足取りでこちらへやって来たエイデンさまは、私の着ている淡いブルーのワンピースに目を留め、それから優しげな双眸をさらに和らげた。
「その色、大人っぽくて素敵だね。とてもよく似合っているよ」
「あ、ありがとうございます。伯母さま……えと、お、お母さまにいただいたもので、私も気に入っていて……」
思わず言い直したのは、つい先程、当の伯母さまにどうしてもそう呼ばれたいと懇願され、嬉しさと気恥ずかしさでいっぱいいっぱいになりながら頷いたことを思い出したからである。
本人を前にして口にするよりは気恥ずかしさも幾分かはましだろうと思ったのだが、やはりまだ慣れない。少しはにかみながらそう答えると、おや、とエイデンさまは一度目を瞬かせてから、どこか悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
「……ふふ、そうか。きっとそれを聞いたら母上も喜ぶよ」
「きょ、恐縮です……」
居た堪れなくなって俯きがちに答えると、ふとエイデンさまが一歩、私に近づいたのが視界の隅に見えた。
「それより、僕のことは「お兄さま」と呼んでくれないの?」
「うっ……そ、それは、えと、追々……」
「今呼んでほしいなあ。母上だけなんてずるいや」
距離は本当に一歩だけしか近くなっていないのに、急に威圧感を感じて思わず後退りかけてしまう。とても優しいのに、謎の強制力がある柔らかな微笑みを目の前にして、私は一瞬で己の負けを悟る。
「……改まると、とても恥ずかしいのですけど……お……お兄、さま」
つっかえながらも何とか口にすれば、途端にフッと威圧感が消え、同時に辺りの空気がふわりと和んだ。何とは言わないが、私はエイデンさまのこういった部分に関して、レオンハルト殿下に似たものを感じていたりする。何とは言わないが。
「うん。ふふ、こんな可愛い妹ができて、本当に嬉しいよ。可愛くて独り占めしてしまいたいくらいだ」
「それは了承しかねる」
くすくすと楽しそうに笑うエイデンさまの後方から、聞き馴染みのある声がぴしゃりと飛んできた。二人して声のした方へ目をやると、不機嫌をべったりと顔に貼り付けたギルが大股でこちらへやって来るのが見えた。
「挨拶も無しにご登場とは良いご身分だね、第二王子殿下」
「ギル……!ご、ごめんなさい、お待たせして……」
「いや、謝ることはない。俺が早く着きすぎただけだ」
慌てて詫びた私には微笑みを向け、流れるような所作で頭まで撫でてくれるのだが、エイデンさまの嫌味は完全にスルーだ。というかもはや存在すら無視している。
しかしエイデンさまは特に苛立つ様子もなく、どちらかと言うと呆れたように眉を少し上げて息を吐いていた。
「何か用かな?ギルバートくん。ご覧の通り僕たちは今、兄妹仲を深めるのに忙しいんだけど」
「そうか。ではレベッカは連れて行く」
「「では」じゃないんだよね、忙しいと言ったのが聞こえなかったかい?人の話はちゃんと聞いた方がいいよ。というかいつも言っているけど一応僕の方が年上だからね?」
「知るか。先約は俺だ」
会話が始まったと思えばこれである。先日の卒業パーティーの終わり、わざわざエイデンさま自ら迎えに来てくださった時も終始このような空気だった。この二人の仲の悪さは一体何が原因なのだろう。
流石にそろそろ気になるのでギルに聞いてみようかしら、などと半ば現実逃避気味に考えていると、ギルと睨み合っていたエイデンさまがぱっと私の方を振り返った。
「レベッカ、この男に変なことをされたらすぐ僕に言うんだよ。兄の権限で即出禁にしてあげるから」
「安心しろ、その心配は杞憂だ。それよりさっさと自室に戻って安静にしていたらどうだ?」
「お気遣いどうも。でもここ最近はすこぶる調子が良くてね、今は体力づくりためによく歩いているんだよ。あ、そうだ、ちょうどいいから僕も一緒に」
「行くぞレベッカ。こいつに付き合っていると永遠に出発できん」
至極面倒そうにエイデンさまの言葉をぶった斬り、話は終わったとばかりに私の手を取って歩き出すギルに、エイデンさまはやれやれと肩を竦めた。けれどその口角は僅かに上がっていて、私はそんな意外な表情に思わず目をぱちくりとさせてしまう。
その後、私が行ってきますの代わりに小さく手を振ってみれば、エイデンさまは途端にとろけるように微笑み、ひらひらと手を振り返してくれたのだった。
屋敷の外へ出ると、雲一つない真っ青な空が広がっていた。微かに髪を掬って流れてゆく風が心地良くて、自然と口元が緩む。絶好のお出かけ日和である。
今日はギルとの初めてのデートだ。最近街で人気だという、とある歌劇を観に行くのだが、アメリアさまのお墨付きらしいのでよりいっそう期待が膨らむ。
「今日はゼーゲンはいないのね」
「面倒臭い、オレは寝る、だと。あれは俺たちに気を遣ったな」
「ゼーゲンまで……まったく、揃いも揃ってお節介なんだから」
「と、いうことはキルシュの姿が見えないのもそういうことか」
他愛無いやりとりをしながらギルが手配してくれた馬車に乗り込み、半端ない座り心地の良さに若干慄きつつ、ギルの隣にちょこんと腰を下ろす。ソワソワと落ち着かない様子の私を見て小さく笑っていたギルだが、馬車が出発してしばらくすると、ふと真剣な顔つきで「レベッカ」と呼び掛けてきた。
「正直この話はあまりしたくないのだが……一応、知らせておく。コリンズ伯爵たちの処罰についてだ」
その名前が出た途端、反射的に背筋が伸びた。そんな私の様子を見て苦い表情をしたギルは、膝の上で固く握り締められた私の両手にそっと自分の手を重ね、けれどもゆっくりと話を続ける。
「……夫人と娘は二人揃って修道院行きが決まった。遠い北の地にある、男子禁制の厳しい修道院だ。死ぬまで出られはしない。伯爵はまだ余罪を調べているところだが……恐らく斬首刑になるだろう」
「……」
「これによってコリンズ伯爵家は没落、爵位は国に返還することになるが、領地と領民は一先ず俺が管理することになった。何も無ければ、臣籍に降る時にそのまま俺が引き継ぐことになると思う」
「……そう」
言葉を選び倦ね、短い相槌しか打てずにいると、とうとうギルの眉が八の字になり、眉間にきゅっと皺が寄った。それから「すまない……」とひどく申し訳なさそうに肩を落とすものだから、私は慌てて首を横に振る。
「ご、ごめんなさい、違うの。その……何と言えばいいのか、自分の気持ちがよく、わからなくて……」
「……無理もない。すまない、レベッカにはきちんと伝えておくべきだとレオンに言われたんだが……タイミングを間違えた」
「ううん、大丈夫。むしろ気を遣わせちゃってごめんなさい」
「いや……この話はもうよそう。せっかく今から楽しいことが待っているのだから」
そう言って言葉を区切り、ギルはふぅっと息を吐いた。私も、知らず知らずのうちに鼓動が速くなっていた心臓を落ち着けるため、静かに深呼吸をする。
それから顔を上げれば、まだ少し陰は残るものの、私を見つめて優しく微笑むギルと目が合う。そうすれば、私の口元も自然と笑みを形取った。
「それにしても……あんなに甘ったるい表情のエイデンは初めて見たな。寒気がした」
「ええ……?もう、そんなこと言わないで」
話を変え、死んだ魚のような目でわざとらしく己の両腕をさするギルを宥めながら、以前ギルに対してそれと全く同じ感想を述べていたどこぞの王太子がいたような、と頭の片隅で記憶を探った。
けれどこのことを本人に伝えたとて、この様子だと恐らく意地になって認めないであろうことが容易く想像できたため、心の中にそっと留めておくことにして、ついでに気になったことを尋ねてみることにした。
「ギルとエイデンさまは知り合い……なのよね?」
「……まあな。俺の留学先……隣国の学園で、いろいろと世話になっ……いや違うな、どちらかと言えばあいつが俺に世話になっていたな。人を自分の手足のように使いやがって……」
「え、えぇと……エイデンさまも学園に通っていらっしゃったの?」
「あいつの目的は学園に併設されていた研究所だ。何でも治療薬の最先端の研究が行われていたとか。授業はたまにしか出ていなかったが、試験は別できっちり受けていたそうだ。頭だけは良いからな、特例だがちゃんと卒業もしていた」
「そうだったのね……」
初めて耳にする話に興味津々でいると、ふとギルは何かを思い出したらしく、何故か一度鼻で笑ってから、私へと視線を落とす。
「以前話した、隣国の王女の話を覚えているか?」
「え?ええ……あの、ギルを怖がったっていう?」
「そうだ」
突然の問い掛けに疑問符を浮かべながらも答えると、ギルはその返答に満足気に頷いた後、どこか楽しそうに話を続けた。
「あの王女さまも医療研究に興味があるようで、よく研究所に足を運んでいてな。怖がられていたとはいえ、一応婚約者の候補ではあったから俺も一緒に行くことが多かったんだが……何故かエイデンは王女に物凄く警戒されていた」
「えっ!?ど、どうして?何かあったの?」
今日一番と言ってもいいほどの驚きの新事実に、思わず大きな声を上げてしまう。そんな私の反応を見て満足気に笑みを深めたギルだが、私の質問に対しては肩を竦め、お手上げのポーズを取った。
「さぁな。理由を聞こうにも、まず俺を怖がっているから碌に会話も出来なくてな。エイデンも心当たりは皆無だそうだ。初対面でいきなり顔面蒼白になられたらしいが」
「な、何で……?」
「俺にもわからん」
ギルはともかく、あの穏やかそうな見た目で、ふわふわとした第一印象を与えがちなエイデンさまを警戒……?
いくら考えてもさっぱり意味がわからず、エイデンさまが知らぬ間に不敬をしてしまった以外の理由が思いつかない。しかし、あの賢いエイデンさまが他国の王族相手に少しでも気を抜くなんてことがあるだろうか。
「なんだか、その……少し変わった方なのかしらね、王女さまって」
「そうだな……例えるなら、警戒心の強い小動物のような感じだな」
首を捻りつつ感想を口にしたら何だかとても歯切れが悪くなってしまったが、ギルも頑張って言葉を選んでいるようだった。この場にいないとはいえ、相手は一国の王女さまなので、ね。
と、突然ギルはハッとして目を見開き、何故か焦ったように私に向き直ったかと思うと、次いで両肩をがっしりと掴んできた。いきなりのことに驚いて固まった私をよそに、ギルは慌てた様子のまま早口で告げる。
「前にも言ったが、王女との婚約はとっくの前に白紙になっている。今もし縁談が来たとしても受けるつもりは毛頭ない。俺はレベッカ以外とは絶対に婚約しないし、結婚しないからな」
一瞬何を言われたのかわからず、目の前にあるギルの顔をきょとんと見つめていたが、しばらくして意味を理解すると、ふつふつと笑いが込み上げてきた。
急に笑い始めた私に困惑しているらしく、青い瞳が不安気に揺れている。それがとても可笑しくて愛しくて、緩む口元を片手で押さえ、私はギルを見つめたまま口を開いた。
「ふふ、大丈夫。そういった心配はしていないわ。ギルのこと信じてるから」
そう言うとギルは虚を突かれたように目を真ん丸にして、それから何故かスンッと真顔になった。
「……レベッカ」
「うん?」
「好きだ」
至近距離で告げられたストレートな愛の言葉。その想像以上の威力に私の身体はピシリと硬直し、一気に全身が熱を帯びるのがわかった。
「……え、ぅ……い、いきなりどうしたの」
「いや……なんだか無性に伝えたくなった」
本当に、この天然爆弾だけは勘弁して欲しい。ただでさえ馬車という狭い空間に二人きりなのだ、これ以上意識していては私の心臓が持たない。
などと内心で文句を言いつつも、素直に喜んでしまっている自分がいるのも確かだ。これが惚れた弱みというやつか。
火照る頬を隠すように両手を添える。しかし、言わせてばかりでは何だか申し訳ない。たまには私も返さねば、と意を決して口を開いた。
「……私も、大好き、よ」
しかしやはりどうも羞恥心が邪魔をし、結局視線は俯きがち、声も思ったよりか細くなってしまった。
情けなさと恥ずかしさで縮こまっていると、しばらくの沈黙の後、頭上から降ってきたのはやけに落ち着いた声。
「……よく聞こえなかった、もう一度いいか?」
「えっ!?あ、えっと……私も、その、好き……って」
「"大"好き、ではなく?」
「も、もう!聞こえてるんじゃない!」
「ははっ、悪い悪い」
揶揄われているとわかり、カッと体温が上昇する。
反論のために勢い任せに顔を上げると、そこにあったのは無邪気な子どものようなあどけない笑顔で。
滅多に見ることのないその表情に私はすっかり毒気が抜かれてしまい、同時に、まだ目的地にも着いていないのにこの有りさまでは帰宅する頃には心臓が止まっていそうだ、と不安になる。
そしてこの後、長らく留学していたから大丈夫だろうと言って大して変装をしなかったために、ギルが街中から視線を浴びまくる羽目になったり、観に行った歌劇の演目がどう考えても私たち二人の話にしか思えなかったりと、全く心休まらない初デートになるのだが、それはまた別のお話。
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