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黄昏の空

作者: パルコ

家紋 武範様主催『夕焼け企画』と、武頼庵様主催『この作品どう?企画』参加作品です。

単品で読めますが、これはある作品の半年前の話……おっと、失礼しました!

お読みになった方は、またあとがきで会いましょう。

 だんだん太陽が落ちて、空気が冷たくなってきた。十年前よりずっと短くなった、この季節が好きだ。肌に当たる涼気が、僕を見放さないでいてくれるようで、疲労を抜けていくから。



 僕は商社を経営する家系に生まれて、経済的にとても恵まれた生活だった。だけど、両親や親族いわく、僕は言葉を覚える前から『不気味な子』らしい。会話していても表情の変化が少ない。出された食事を『まずい』と吐き出し、魚ばかり口にする。一日中、二階の窓から外を見下ろして眺めている。抱っこされたら大泣きして嘔吐する。


 他にも色々あったのかも知れないが、両親も祖父母も、僕が六歳を迎えたあたりで人として欠陥があると認識したようだった。それ以来、自由にさせてもらっていたが、あれはただ単に見ないふりだったのかも知れない。


 そのまま何も解決することなく高校生になってしまった僕に、初めて向き合ってくれた人間が、三つ年下の弟だった。弟は僕の話をじっくり聞いてくれて、どうすれば上手く生きられるのかを一緒に考えてくれた。『自分が家や会社を継ぐから、崇一(たかいち)は好きに生きさせてほしい』と父に頭を下げた弟は、当時十四歳だった。


 そして僕は、高校卒業後からフリーの翻訳家になった。最初は小遣い程度の収入しかなかったものの、大学卒業を控えた頃には、信頼してくれるクライアントが出来たおかげで細々と一人で暮らせるようになった。現在は、実家の会社で役員になった上に、自分で立ち上げた会社が世間に認知された弟や従兄の人脈で、東京都心に住んでも余裕があるくらいに仕事をさせてもらっている。昔から迷惑をかけていると思う。弟は昨年、中学時代から付き合いのあった女性と急速に距離を縮めて交際七ヶ月で結婚し、多忙な中での新婚生活が始まった。



 待ち合わせの相手から指定されたテラス席には、僕の他に誰もいない。今日会うのは、チャットアプリで意気投合した年下の女性。チャットアプリを僕に勧めたのも弟だった。

『苦手なのは百も承知だけど、誰の声も聞かない生活は体に悪いよ。会話に入らなくてもいいから、五分でも人の声聞いてごらん』


 そう言われて弟に勧められたのが、作業しながら通話やテキストで会話が出来るアプリだ。チャットスペースに入ったら、デジタルイラストを描いているらしいユーザーが一人。

『あ! takaichi(タカイチ)さんはじめましてー』

聞こえてきた声は、さらっと響く綺麗なアルトだった。声の主は『りゅうま』と名乗った。

『はじめまして…』

『あ、すごいいい声!』

あはは、とりゅうまの笑い声がスマートフォンから聞こえた。


 りゅうまはイラスト制作を進めながら、僕にポンポンと質問をしてきた。僕の好きなもの、嫌いなもの、オフの過ごし方、得意なこと。大体の人が『変わってるね……』と苦笑いで終わるものを、りゅうまは興味津々な様子で掘り下げた。

――でもあんまり聞かないですよね。私、結構好きでふるさと納税で選んだりするんですけど。

――へー! 私お肉も粉モノも好きだから気にしたことなかった!

――六ヶ国語を独学で……それが全部仕事で使えるんですか!? 異次元過ぎるわえげつなぁ!


 ころころ笑うりゅうまの声が心地よくて、三十分経つ頃には『また話したい』と言うりゅうまの要望に、自然と『ぜひ』と答えていた。



 一ヶ月の間、毎週アプリを通じて会話して、ダメ元で『一度会いたい』と言えば『いいですよ』と即答された。別のSNSで連絡を取って、オフ会に指定されたのがこのカフェだった。


 カイロ代わりのアールグレイは、冷気で冷えていた。視線を上げると、天色と橙がグラデーションを作っている。時刻は十六時二十分。

「タカイチさん?」

何度と聞いた、瑞々しい声。振り向くと、マスクを外して「こんにちは、りゅうまです」と挨拶する女性が立っていた。

「ごめんなさい寒いなか。ここ眺めいいからテラス席で予約取ったんですけど、体冷やしました?」

「あ、いや……全然……」


 僕の向かいに座ったりゅうまは、美しい女性だった。ゆるく巻かれた濡羽色の髪、細い黒縁のウェリントングラスに覆われた切れ長の目と、艶のある赤で塗られた唇が人を惹きつけてやまない。ボルドーのロングワンピースに黒のレザージャケットと編み上げブーツを合わせたコーディネートはファッション誌から出てきたようだ。


 彼女は店員に差し出されたメニューを眺めて、「なんか飲みます?」と言った。

「じゃあ、ホットのアールグレイ、ストレートで」

「じゃあ私もそれ」

りゅうまは店員を呼んで、ホットのアールグレイ二つと、たらこスパゲティを注文した。注文を受けた店員がテラス席から出ていくと、向かいから「おなかすいた」という声がポロっと落ちる。

「お昼まだだった?」

「そうなんです、お昼食べ損ねたんです! あと十九時にまた仕事入っててー」

「そっか…」

「タカイチさんたらこ食べれたんですっけ?」

「生たらこは食べれる。焼きたらこはボソボソしてて嫌い」

「ですよねー! 私も生たらこのが好きなんですよー」

彼女は大きく同意した。



 ティーカップが空になっても、取り止めのない話ばかりしていた。彼女のハンドルネームは本名のアナグラムだということ、彼女がイラストとは無関係の仕事で生計を立てていること、僕が唯一食べられる肉料理、彼女と同居している親友のこと――


 その時、「お待たせいたしました」と店員がアールグレイとたらこスパゲティを届けに来た。

「ありがとうございます」

彼女はたらこスパゲティを自分の元へ引き寄せ「いただきまーす」と声を上げながら人形のような顔を綻ばせた。

「…んふふっ! うまぁーっ」


  本当に美味しそうに食べて……恭悟(きょうご)にそっくりだな。


 眼鏡に覆われた切れ長の両目が、丸くなって僕を見た。どうやら声に出ていたらしい。

「あ、ごめん……弟も、子どもの頃からなんでも美味しそうによく食べる子だったから」

僕が謝ると、「ずっと傍にいてくれた弟さん?」と涼やかな声。

「うん」

「なんか離れる出来事あった? ちょっとセンチメンタルな顔してる」

「去年、結婚したんだ」

「そうなんだ……。崇一さんは結婚しようとかは?」

「あいにく相手いないからね」

「私もいない。……友人との生活が楽しくてね」

彼女は苦笑した。



 時刻は十七時を過ぎていた。彼女はたらこスパゲティを十分ほどで完食したあとフォンダンショコラを注文して、それも綺麗に食べきった。


 会計を済ませて店を出る。空はもう瞑色だった。駅まで歩きながら話すのは、彼女が料理を食べている最中に話した、将来の話の続き。

「崇一は一人で生きてくって思ってる?」

彼女はそう言った。陽が落ち切る少し前からくだけ始めた彼女の話し方が不思議と心地よくて、僕は咎めなかった。

「…わからない。一人は寂しい気持ちもあるし、またあんな風になるのは嫌だって気持ちもあるし」

「あんな風?」

「……信じるばかりで、相手の大きな嘘が見抜けなかったり……。大好きだったはずなのに、一つのきっかけで極端に嫌いになったり」


 彼女の涼しげな瞳が、僕を見ていた。

「嫌なことだけではなかったけど……。この人に愛されたいとか、自分を見て欲しいとか、そんな感情に支配されて必死になってる人間は、自分がどれだけ馬鹿でみっともないかに気づかないんだなって……。」

「……。」

「……やっぱり、ひねくれてるよね? こんな考えしてるの」

そんなこと分かりきっている。これまで僕に見合いを進めてきた親戚たちには、『崇一はこれがなかったらいい男なんだけどなぁ!』と口を大きく開けて笑われた。恋愛は一般的には美しいものという扱いだ。彼女もきっと呆れる。


 ほどよく冷えた外気に、少し深い呼吸が一つ。

「うん、私はそうは思わないよ」

「ん……やっぱ、そうだよな――」

「だけどそれは!」

凛とした声が、僕の思考を遮った。僕の隣から目の前に来た彼女は、黒い瞳を真っ直ぐ向ける。

「それは、人間関係で心が死にかけるようなことを、私が経験してないから」

僕の喉は音を発せなかった。

「人間関係で何度も精神的に傷ついてその考えに至ったなら、無理に価値観を変えることはないよ。人間関係で辛い経験した人は、みんな似たような価値観だと思うし」

「あ……」

「それに傷ついた経験があるなら、何か縁があって大切な人が出来たとき、相手に優しくいられるんじゃないかな」


 といってもね、と彼女は僕の隣に戻って、ゆっくり歩き始めた。

「良い縁ってその辺に転がってるようでなかなか見つからないんだ!」

あっけらかんと言う彼女に、僕は何も言葉が出なかった。このままあと数メートルで駅に着く。


 人を吸い込んだり吐き出したりする目黒駅の西口前で、僕たちは足を止めた。

「崇一は『愛されたくて必死な人間は馬鹿でみっともないことに気づかない』って言ったけどさ、それって言い換えれば、『周りが見えないくらいに相手を愛してる』ってことだと思うんだ」

彼女の声が、すっと耳に入る。一つ一つの音がはっきり聞き取れる、耳触りのいいアルト。

「愛されたくて必死な姿を美しいって思ったときに、その人を愛おしいって思うのかもね」

そう言いながら彼女は目を細めた。きっとマスクで見えない彼女の口は弧を描いている。


 十七時二十八分。改札を抜けて、山手線の乗り場に降りた。

「崇一、最寄りは?」

「秋葉原」

「うぇーい大都会じゃん。あたし西日暮里で降りる」

「山手線エリアだいたい都会じゃないの?」

「そっか」

外回りの列車が先に着いた。「またLINEする」と言って列車に乗った彼女を見送って、内回りの列車が来るまであと五分。


--------------------


 自宅に帰って、明日の仕事に向けて準備をしていたら、LINEの通知が届いていた。

『今日はありがとう! また遊びに行こ(^ ^)』

知り合ってから今日までずっと、僕を掬い上げる言葉をくれた女性からだった。

――今まで出会ったことない感じの人だから、すごい興味湧いちゃって!

――人間のステータスを五角形とか六角形とかで表したときに、綺麗な形になる人のが少ないと思いますよ? でも社会では常人か変人かに分けられて、九割九分の人がハマる(かた)からはみ出た人間は変人じゃないですか。

――精神的に傷ついてその考えに至ったなら、無理に価値観を変えることはないよ。

――愛されたくて必死な姿を美しいって思ったときに、その人を愛おしいって思うのかもね。


 彼女に返信をする。

『こちらこそありがとう。今度は僕がお店予約するね』

彼女からスタンプが返ってきたのを見届けて、テレビをつけた。もうすぐニュースが終わるようで、画面の向こうでキャスターが並んで挨拶をしていた。


 特に面白い番組もなさそうだったので、地上波から動画サービスに切り替えることにした。お気に入りの韓国ドラマの最新話配信は今日だった。

『本日最初のマネーハッカーは、千葉県浦安市にお住まいの高尾翔太さん三十歳!』

「え……?」

リモコンの入力を切り替えようとしたら、聞いたことのある……というより、一時間前まで聞いていた声だ。子どもをあやす若い夫婦を映した画面の右下にはナレーターの名前。

『翔太さんは、東京都内にあるIT企業に勤務、妻の夏希さんは育休中――』


 すぐに番組ナレーターの名前をスマホで検索すると、数秒で名前と一緒に宣材写真が出てきた。

「あ……」

真っ直ぐ伸びた濡羽色の髪、細い縁のウェリントングラスに覆われた切れ長の目、艶のある赤で塗られた唇、青いブラウスが映える白い肌。

彼女――『りゅうま』の本当のファーストネームと、スマホ画面に出ているナレーターのファーストネームは読みも漢字も同じだった。


 僕のことばかり褒めて、自分だってすごい世界で生きているのに

 どうして隠していたのか、どうして僕なんかに関心を持ったのか


 でも、そんなことはすでにどうでもよくなっていて、

「きっとまた、馬鹿でみっともない男になるんだな……」

広い部屋に、僕の声だけが落ちた。





 

お付き合いいただきありがとうございました!

武頼庵さま企画のご感想は『普通』でお願いします!


*キャラクター紹介*


・宮内崇一……39歳。超お坊ちゃま育ち。実務翻訳でコンスタントに年収1500万以上稼ぐ。仕事で扱う言語は日、英、露、韓、西、仏の六ヶ国語。留学経験はなく、独学と知人との交流で身に着けている。幼少から変わり者で両親や祖父母、親戚からも厄介者扱いされていた。すべてを受け止めてくれた弟への信頼が高い。女性に裏切られたり尊厳を壊された経験から恋愛が苦手。オフも仕事の勉強をして過ごす言語漬け、経済漬け、ニュース漬けな生活を送っている。苗字は「みやうち」ではなく「くない」。


・彼女……34歳。崇一がチャットアプリで仲良くなった女性。『りゅうま』という名前でチャットをする絵描き。適当なことを喋りながらデジタルイラストを描くのが趣味。本業はイラストとは関係ない。大らかで優しく、友人付き合いの中では和ませ要員だが、友人たちいわく『ときどき芯を食った一言が出る』。友達とルームシェアして生活している。


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初見の方々、ここまでありがとうございました!


そして、最近のパルコ作品を読まれたことがあるみなさん!

お時間あれば、もっとスクロールしてみてください!























それでは問題です!


ヒロインの名前をフルネームでお答えください!

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― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして! とっても面白かったです。 りゅうまさん、素敵な方ですね。 崇一さんも不器用ながら誠実な方だと思いました。 情景や心理描写がとても上手だと思いました。 私は、ストーリーをな…
[良い点] はじめまして。七生といいます。企画より読みに来ました。 二人の会話のやり取りがスムーズで、まるでアルトの美声のように心地良かったです。 [一言] 会話のやり取り(掛け合い)が苦手ですので…
[良い点] 「夕焼け企画」から拝読させていただきました。 「馬鹿でみっともない男」になりますか?
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