おんな・母・オンナ ②
二人とも目の前のコーヒーにまったく手を付けないまま…
安岡くんが自ら死を選んだ事。
そこへ至るまでの…彼が書き残した経緯。
『摘果・摘蕾』
『だまし討ち』
『不都合な存在』
『母親との“禁忌な関係性”』
そして昨日、お悔みでお邪魔した時の“彼の母親の言動”…
里佳ちゃんには、ここまで話した。
里佳ちゃんはその大きな目をずっと見開いたままだったが…
我慢できず、私の話を途中で止めたその手を両目に当てても…涙を全然止められなくて、
ハンカチで抑えた。
「マーちゃんが引っ掛かっていて…不安に思っている事…私にも分かる気がする…でも…」
里佳ちゃんがどんどんグシャグシャになって来るので、私はポケットティッシュを取り出してカノジョに握らせた。
「…ゴメンね。色々思い出して…溢れちゃった。 ちょっと 鼻かむね。 アハハハ意味わかんないよね。 んっと!… 私の…話をするね」
里佳ちゃんが、ようやくコーヒーカップに指を掛けたので、私もソーサーからカップを持ち上げた。
一口飲んだカップを両手で包んだ里佳ちゃんは静かにため息をつき、
少し遠い目で話し始めた。
「前に話した…『幸せのフリ』と『しばらくお付き合いしていた人が居た』って事。覚えている? 私ね、私…」
そう言いながら、またポケットティッシュで涙を抑える里佳ちゃん…
ひょっとして私は…カノジョにとんでもない事をしてしまったのだろうか…
「あの、私…ゴメン…」
謝る私の左手を、頭を振りながら握った里佳ちゃんは言葉を継ぐ。
「いいの! これは私の“罪”の話だから…私ね、海斗を『不都合な子供』と思った事があるの…」
気持ちの行き場でなんとなくカップに伸ばしていた私の右手は、その言葉に凍り付いた。
「里佳ちゃんがあんなにも愛して止まない…そう、私だって大好きな海斗くんが『不都合な子供』???」
私の心の声が丸聞こえであるかの様に里佳ちゃんは頷いた。
「信じられないよね…でも、海斗が出来た時はそう思ったの。ちょうど私が生涯で一番大切に想う恋をしていた時だったから…」
彼女は一つ一つを…大切な宝物を小箱から取り出すように話す。
「彼とは…こちらへ越して来るずっと前…地元の海で知り合ったの。彼は…婚約者の期待に一所懸命応えようとしていた不器用な“初心者”だった。」
「私と旦那は同じ会社でね、色々あって私は結婚退職したのだけど…その時分から旦那は帰宅が遅かったし…私もまだバリバリに元気だったから…バイトやパートを複数こなしても全然平気で毎朝、ビーチクルーザーにボード乗っけてサーフィンやりにいってたんだ…そんな時、行きつけのショップのオーナーに声を掛けられて、サーフィンスクールのサポートスタッフのバイトを始めたの。そこでカレに出会った。」
「カレ、言っちゃ悪いけど…センスは…無い方で…しかも始めた動機が…半分「陸」な婚約者が『新婚旅行先…ハワイ?』でカレと一緒にサーフィンやりたいって希望だったから… そんな動機を『ご苦労なほどにいじらしいなあ』と思ってしまったのが運の付きだった…」
「私の地元って、あんまり“行儀”が良くないのね。そんな中、カレは…それこそ高校の運動部みたいな意気込みと礼儀で、海の中以外は実にキビキビと動くの。すごいなあって思ってたんだけど、何かの折に、笑った顔が大らかで優しくて可愛いくて…惹かれちゃったんだ。」
「カレ、通勤前の早朝に、わざわざ車で来てパドリングの練習とかしていたんだけど、初心者ひとりじゃ危ないでしょ? だから私も練習に付き合ってあげるようになって… ある朝、カレ、とうとうテイクオフできたの、ほんの一瞬だけど…もうカレも私も嬉しくって嬉しくって…抱き合って…うっかりキスしてた…」
ここで里佳ちゃんは大きくため息をついた。
「それからはもう、坂道を転げ落ちるようで…毎朝がデートになってしまった。それが…朝だけじゃ無くなって。ダメだダメだと思いながらも引き返せなかった。 うん、ホテルとか…カレの部屋とか、車の中とか…“痕跡”とか“ニアミス”とか…危険がいっぱいあるはずなのに…止められなかった…」
「その頃、一番辛かったのは『旦那の腕の中』に居る時で…自分の不実、カレの不実、そして婚約者への嫉妬と…色んな感情が綯い交ぜとなって胸に迫って来て…それなのに時々…心の中で『今、私が居るのはカレの腕の中』ってアタマの中で置き換えたりして…サイアクだった。 そんな時に授かったのが海斗だったの…」
「もちろん『子作り』は旦那とだけだったから… カレに気づかれないうちに何もかも…そう、お腹の中も棄てて、完全に身ぎれいにして離婚しようかとも思った。でも、私の体調に気付いたのは旦那よりカレの方が先で…カレは『オレも婚約解消するから、お腹の子供と三人で生きて行こう』と言ってくれた」
里佳ちゃんからこんな話が出て来るなんて!! でも…
私は言葉を置いた。
「離婚しなかったんだね」
「うん」
里佳ちゃんはコーヒーをコクリと飲んで答える。
「『二人でやって行こう』 カレの部屋で、そう誓い合って『事に及んだ』時…私達は気付いてしまったの。カレの部屋にある『ゴム』の全てにピンホールが開けられているのを…」
「オンナって…オンナって…恐ろしいよね… 婚約者のカノジョは何を思ってそれを行ったのか…その恐ろしさに私は負けたの…」
「ちょっと待って!! それって! ひょっとして!!」
里佳ちゃんは静かに笑った。
「真実は私にも分からない…いつからそれが行われていたか…それに海斗の事も…もちろん、徹底的に調べれば…「出生前親子鑑定」とか?…どちらの子かはわかるのだろうけど、それもしなかった。そのうち、旦那にも気づかれて…表向きは当たり前のように出産した…だけど海斗の顔を見るまでは…頭のどこかで『不都合』の言葉があった」
「もちろん、海斗は旦那との子だよ。それが例え、万一、違っていたとしても…私は幸せのフリを止めない…」
「少し、話が逸れたね…私は安岡くんのお母さんに同じような『恐ろしさ』を感じたの。“お母さん”が固執する夫婦間の『交渉』は…木を森の中に隠すカモフラージュだと思う…でも、だったらいつから??って思うけど…」
今度は私が深いため息をついた。
「安岡くんの“遺書”に…『その内、ヤバい事になるのは分かっていた。 どうして母は、何の措置もしないのか 理解できない』って書かれていたの…里佳ちゃんが言うように『オンナは恐ろしい』 そして…『母』はもっと恐ろしいのかもしれない…」
私と里佳ちゃんは…この黒くて深いクレバスの前に、茫然と佇んでいた…
今回も書いていてかなりキツかったです…
ご感想、レビュー、ブクマ、ご評価、いいね 切に切にお待ちしています!!<m(__)m>