第一話
アイネは幼い頃から家の中で過ごすことが大好きだった。読書や音楽を奏でることを趣味とし、あまり目立つことは好まなかった。
それを温和な家族や周囲の人間は奥ゆかしく女性らしい性格と捉え、カルサイト侯爵家の令嬢は上流階級のレディの鏡とさえ称されることもあった。
18歳のアイネはそろそろ結婚相手が決まっているか既に結婚していてもおかしくはなかった。
珍しい水色髪を持ち容姿も整ったアイネは結婚相手として注目されている。
しかし両親が何度か見合いの場を整えるもアイネの反応が芳しくない。段々とアイネが疲弊していき、ついには前日に知恵熱を出すほどになってしまった。
そこで娘を溺愛するカルサイト侯爵夫妻は様子を見ながらゆっくり進めようと決めたのだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
普段は首都に住まうカルサイト家だが夏の暑い時期に入ると避暑も兼ねて領地で過ごす。
アイネは予定がある両親を置いて一足先にカルサイトの土地に赴いていた。
アイネはその日をずっと楽しみにしていた。夏季休暇に入ると普段は寮生活をしている弟のアイルが帰ってくる。
今年は友人も連れてくると手紙にあり、しばらく賑やかな毎日になりそうだと数日前からわくわくしていたのだ。
メイドのネリーによる到着の知らせに、屋敷の中央階段を下りてみると弟とその友人がいた。アイルは顔を上げてアイネを見つけるとにっこりと笑う。
隣にいる弟の友人は何故か目をまん丸にしてアイネを凝視しているが、アイネは幼い頃から美人と評され、人から見られることに慣れていたのであまり気に留めなかった。
「姉さん!」
「アイル、おかえり!」
アイネはアイルと挨拶のハグを交わす。2歳違いの2人は仲良しの姉弟だ。
「夏休み中はずっと居られるのよね」
「うん。 あと、こいつが手紙で言ってたフィン。 フィオン・モルガナイト。 モルガイナイト商会の息子なんだけど、 家に帰ってすぐに親父さんの仕事の手伝いするのが嫌だって五月蠅かったから連れてきた。 2日くらいいるから」
アイネはフィオンに顔を向けると、笑顔でいらっしゃいと言う。
しかしフィオンはまだアイネを凝視して固まっていた。
「フィン! あいさつ! 姉さんは確かに綺麗だけどさ!」
それでもまだ固まっている。
「おい!」
耐えかねたアイルがフィオンを乱暴に揺さぶった。フィオンが正気に返ったのか、目を瞬かせている。
「大丈夫? ゆっくりしていってね」
アイネは可愛いけどなんだか変わった子なのかしら、と思いつつ歓迎の言葉を伝えた。
しかしその場にいた誰もが予想だにしなかった事態が起きた。フィオンは突然アイネの目の前で片膝を着いたのだ。
それはこの国では求婚を示すポーズだ。
初対面ではまったくありえないシチュエーションである。
「フィン、お前どうしたんだよ!」
アイルが慌ててフィオンの腕を掴むが、見向きもしないし動じもしない。じっとアイネだけを見つめている。
「アイネさん、 いやアイネ・カルサイトさん。 突然ではありますが僕と結婚してください」
「なっ」
「 責任を、とらせてください!」
「はあッ?!」
普段は温和な性格のアイルの大声が響き渡る。
しかしそれどころではない。誰もが絶句し、立ちすくんでいる。
「前世であなたは僕のために命を落としたんです。 でも、今世は僕があなたのために命をかけます! 何があってもあなたを守りますから!」
フィオンは熱に浮かされたように話し続ける。
「……前世? ……今世? ……え?」
アイネの混乱ぶりもフィオンは我関せず。
「はい。 私たちは魔法の世界でパーティを組んでいました。 魔王を倒すために膨大な魔力が必要で、 あなたはそれを用意するために自分の命を捧げたんです。 僕に黙って! 勝手に!僕のために!」
目の前の男の子が何をいっているのかわからない。アイネは助けを求めるように傍らの弟を見る。
「姉さん、……変なの連れてきて本当にごめん! こいつは家に帰らせるから!」
しかしアイルがフィオンの腕を掴み立たせようとするもびくともしない。
「おいっ、 フィン! お前おかしくなったのか?」
「アイネ、会いたかった」
「姉さん逃げて!」
「えーと、 えーと……」
混沌とした空間にフィオンだけがきらきらとアイネを見つめている。
「エディ、手を貸してくれ!」
アイルの声に我に帰った執事のエディが仲裁に入り、ほかの使用人含め男5人がかりでフィオンは実家のモルガナイト家に送られていった。
「アイネ様、アイネ様…、 大丈夫ですか」
侍女のネリーが呆然とするアイネの傍に寄り添う。
「わたし、会った覚えはないのだけど……」
「幼い頃からおそばにおりますので、お会いになるのは初めてで間違えないかと存じますよ」
「そうよね……」
しかし品行正しく優等生のアイルが付き合う相手を間違えるとは考えにくい。なぜフィオンがアイネの顔を見て奇特な行動に出たのか。誰にもわからなかった。
「姉さん本当にごめん……」
アイルが申し訳ないと何度も謝るのを慰めながら、何かを思い出しそうで思い出せないような、なんとも居心地の悪い違和感をアイネは感じていた。