22話:母の葬儀と葬儀、息子と同居と旅行
9時過ぎたら遺体を引き取り来て下さいと言われ了解して待った。その後、敦夫と梅子が病院の車にのり病院に着いた。死亡診断書は今日中に渡しますので、この書類を書いておいて下さいと書類を数枚、渡され、敦夫がサインした。
葬儀社の手配をして良いですかと聞くと多分、昼には死亡診断書が、できる。ですから、ご自宅に、ご遺体を持って帰れると教えてくれた。そこで、葬儀社に電話して棺と霊柩車の手配をしてた。
そして、近隣の葬儀場の空き具合を調べておく様にお願いした。昼過ぎに霊柩車が来て、亡き母は、自宅に帰った。葬儀場は一番近く横浜の葬儀所が6日後、8月16日、11時、空いてると言われたので、直ぐに、葬儀の申し込みをした。
その後、電話で八王子の柳生の親戚の人に、8月16日11時からの葬儀の話をして、周りの親戚に連絡しておいててえ欲しいと告げた。その後、電話連絡で38人が、葬儀に参列することがわかった。
8月16日は曇り空で、それ程、暑くなくて38人が全員集まり、型どおり葬式が進行して、坊さんの読経と、ご焼香を済ませて、敦夫が骨を拾い、1時間かけて、八王子の菩提寺の父の墓に一緒に葬った。
葬儀の最中、母の優し買った事、その優しさで助けられた人たちの話を聞くと参列者の涙を誘った。特に敦夫の奥さんの梅子は、飲んだくれの実の父から引き取って育ててくれたことを思い出し号泣した。
柳生敦夫が母の死後、長男の柳生利一に、みなとみらいのマンションで一緒に住まないかと、電話で連絡した。それを聞いて、9月19日からの連休にお邪魔して良いかと言われ、了解した。
すると、9月19日の午後15時にみなとみらいのマンションに来て、海の景色を見て、素晴らしいですねと、利一の奥さんの麗子さんが言った。息子の10歳になる武夫君も、良い所ですねとバルコニーで叫んだ。
それを見て敦夫が、ここで一緒に、住もうかと武夫君に言うと、ほんとですか、そりゃーうれしいなと喜んでくれた。麗子さんも横浜なら息子の教育の問題もないし、便利で、言うことなしですと言った。
家賃は、いくら支払えば良いですかと聞くので5万円で良いというと、インターネットで調べたら25万円と書いてあったので、その点が一番気になっていたと告白した。利一が、中をとって10万円にしましょうと言った。
それで話が、決まり今年の年末休みに引っ越して来ますと言い、詳細は、決まり次第、電話しますと話した。麗子さんが、引っ越したら電動アシスト自転車を買ってきた。
そして、3人で中華街や山下公園、元町、海の見える丘公園、外人墓地、洋館など、名所をサイクリングして回りましょうと構想を練っていた。麗子の小学校時代の友人がフェリスを出て元町の坂の上に住んでいるので遊びに行きたいと話していた。
その後、みなとみらいのマンションに3泊して、9月22日に帰って行った。その後、12月24,25日に引っ越ししますので宜しくお願いしますと電話が入った。12月25日、10時過ぎ利一の一家が大型トラックと利一の借りたレンタカーでやってきた。
そして、一つの部屋に荷物を運び込み、広いリビングの奥に、ついたてで間仕切りして武夫君のベッドと勉強机が一体になった物を、そこに設置した。みなとみらいから川崎の富士通に30分で通えると話した。
この話に、奥さんの梅子がさんが、大喜びした。長男の重一は、地元の小学校へ徒歩15分で通うことになった。そして2015年9月1日から同居を始めた。そして、秋には、利一家族と一緒に5名で熱海温泉に2泊の旅行にでかけた。
そして温泉で、暖まって帰って来た。やがて、2016年となり孫の重一は、徒歩25分の中学校へ行くことになる。2016年3月に中学に入学の手続きをとり4月から通い始めた。
2016年4月14日、夜21時26分、熊本でマグニーチュード6.5の大地震が起き、隣の益城町では、震度7の地震に見舞われ、多くの家が崩れ落ちた。4月16日午前1時25分ごろにも益城町と西原村で震度7の地震が起きた。
その地震の規模は、1995年の阪神大震災と同規模のマグニチュード7.3を記録。連続した地震活動で、震度7が、2回観測されたのは昭和49年に震度6の上に7が新設されて以来初めてであった。




