13話:JAL問題と家畜伝染病と異常気象
事業規模を3分の2に圧縮するとし、内外45路線からの撤退やグループで約1万6000人の人員削減など抜本改革に着手。しかし、なかなか経営側と労働側の会議で、決着がつかず、長引いた。
その後、パイロットや客室乗務員の退職数は目標に届かず、最大200人を整理解雇する。更生計画は債権放棄に応じた銀行団などの合意を得て11月末に確定。支援機構は公的資金3500億円を出資した。
最貧国であるカリブ海のハイチで1月12日午後4時53分、マグニチュード7.0の強い直下型地震が発生。推定25万人が死亡し、20世紀以降最悪の震災となった。震源は首都ポルトープランス近郊。
被災者は人口の3分の1に当たる約370万人と見積もられている。今も130万人以上が劣悪な環境下で避難生活を強いられている。10月には追い打ちをかけるようにコレラが大流行し2千人以上が死亡した。
4月には、欧州債務危機が拡大し、ユーロに懸念が生じた。欧州16カ国で構成されるユーロ圏では、財政赤字急拡大に見舞われたギリシャが5月、アイルランドも11月に欧州連合「EU」や国際通貨基金「IMF」などの緊急融資を仰いだ。
その後も信用不安は、拭いされずポルトガルなど南欧諸国への波及が懸念されている。金融危機をきっかけに財政が悪化した一部ユーロ圏諸国では、国債利回りが急上昇。中でも財政赤字統計の大幅修正を繰り返したギリシャと銀行危機に陥ったアイルランドが市場の信頼を失った。
そして、支援要請に追い込まれた。危機への対応をめぐり各国の足並みの乱れも明らかになり、欧州単一通貨ユーロは円や米ドルなど主要通貨に対して急落した。宮崎県で家畜伝染病の口蹄疫「こうていえき」が国内で10年ぶりに発生し猛威を振るった。
4月20日に感染牛が初めて確認されウイルスを大量に排出する豚にも感染、県東部の川南町を中心に急拡大。国は家畜への初のワクチン接種でウイルスを抑制、ブランド牛の種牛を含む牛豚約29万頭が殺処分。東国原英夫知事は非常事態を宣言。
イベントの自粛や立ち入り制限は大分など隣県にも広がりを見せた。宮崎の子牛をブランド牛に育てている全国の畜産農家にも影響が出た。宮崎県が口蹄疫の終息宣言を出したのは、発生から約4カ月後の8月27日。政府は10月、日本の「清浄国」復帰を国際機関に申請した。
この年の夏は、近年、まれに見る猛暑の年だった。日本列島は梅雨明け以降、広い範囲で猛暑に襲われた。7月22日に岐阜県多治見市で最高気温となる39.4度を観測し8月の平均気温はほぼ全国で戦後最高を記録。
6~8月の平均気温も平年より1.64度高く統計を始めた1898年以降で最高。熱中症により高齢者ら多数が死亡した。総務省消防庁によると、7~9月の3カ月間に熱中症のために救急車で病院に運ばれた人は5万3843人と前年の4.2倍。
気象庁の異常気象分析検討会は「30年に1回の異常気象」と指摘。北半球中緯度の気温がエルニーニョ現象に続くラニーニャ現象で上昇したところに、勢力の強い太平洋高気圧の影響を受けたのが主因と発表した。そのため、両親は、外に出なかった。
家の中でエアコンの設定温度を下げて良く効かせて涼しく過ごした。一方、日本の政治の世界でも大きな変革のきっかけ年となった。それは、民主、社民、国民新3党連立の鳩山内閣が、米軍基地移設の見直しを言い出した。
以前、米軍普天間飛行場「沖縄県宜野湾市」を同県名護市辺野古に移設するとした自民党政権時代の計画の見直しを検討し野党時代は、最低でも県外へと表明した。鳩山由紀夫首相は、鹿児島県徳之島などへの移設を模索。
しかし、米国は辺野古移設を譲らず、首相は「県外」断念に追い込まれた。そして、日米両政府は5月28日に辺野古移設を明記した共同声明を発表した。県外・国外移設を訴えた社民党党首の福島瑞穂消費者担当相が閣議で署名を拒否した。
そのため、首相は福島氏を罷免し社民党は連立を離脱。地元は頭越しの日米合意に反発。11月に再選された仲井真弘多知事は県外移設を求めている。これ以降、非自民の連立政権の足並みが乱れ始め、やがて、政権を失う道をひた走ることになって行く。




