12話:経済ショックと柳生敏夫の心臓問題とJALの倒産
次に、2007年8月にはフランスのパリに本拠地を置く世界規模の金融グループBNPパリバ傘下のミューチュアル・ファンドが投資家からの解約を凍結すると発表した。
いわゆるパリバショックである。これにより、ヨーロッパ全体、また世界のマーケットが一時的にパニックに陥りました。為替相場をはじめ株式その他の金融商品が大きく変動し、世界の市場に金融危機が広がるきっかけとなった。
ユーロと円は約15円、ドルと円は約10円、ポンドと円は約20円も10日間で下落した。アメリカ一国で起きた、サブプライム住宅ローンの支払いの延滞や債務不履行などの問題が証券化商品の信用を落とした。
そのために、パリバショックを引き起こし世界中の金融市場に大きなダメージを与えてしまった。パリバショックの直後は金融当局や市場関係者もサブプライムローン関連の証券化商品の問題がどれほど深刻なのか認識していなかったと言われてりいる。
専門家でさえ、パリバショックによる市場の混乱を傍観するしかなく、次に何が起こるのかはっきりしない状況だった。そして2007年が終わり2008年を迎えた。
やがて2008年3月の米大手証券で規模が全米5位のベアー・スターンズが経営危機に陥る事で、さらに市場は二次的なショックに見舞われることとなります。2008年3月、ベアー・スターンズはレポ融資の引き揚げに遭った。
傘下のヘッジファンドに行っていたレポ融資が焦げついたり、担保あるいは在庫として保有する資産担保証券と債務担保証券の価格が下落し、経営破たんを危惧された。欧州の銀行は融資の継続をとりやめ、さらにマネー・マーケット・ファンドもレポ融資の更新をやめた。
レポ融資とは、売却および買戻し契約とも呼ばれ、主に政府証券での短期借入の、一形態。 ディーラーは基礎となる証券を投資家に販売し、その後すぐに、通常は翌日、わずかに高い価格で買い戻す条件での融資である。
これによって、リーマンショックが起きて、天文学的数字の負債をおい、それをアメリカ政府が一部、救済した。2009年、1月22日、80歳を超えた父が心臓の具合が悪いというので近くの大学病院へ行った。
そして、診察を受けると、心臓の動きが悪い事が判明。心臓ペースメーカー手術をする事になり5日間入院。心臓の動きを正常化するペースメーカーという小さな機械を心臓に取り付けた。
これにより父の心臓の具合は戻り、以前通り、調子の良い時には庭仕事をしたりするようになりひと安心した。その後、少し暖かくなったので、熱海温泉に3日ほど、母と一緒に行って、ゆっくりしてもらった。
小田原から見る雪をかぶった富士山を見て、両親とも、目を輝かしていた。そして熱海温泉の家族ぶるで両親で入り、雑談をしたらしく、風呂から上がって来て、お茶を飲みながら、昔の話を話し続けた。
それは、柳生敦夫の奥さんの父が飲んだくれて、暴れ、それを仲裁した事。梅子さんの母が、死んだ時、貧乏で葬式も出せなくて見るに見かねて葬式を出してやった事。その後、梅子さんを家に引き取って、商業高校へ出してやった事などだった。
父は、まるで、昨日の事の様に鮮明に覚えていた。そして息子の敦夫が、梅子と結婚式を挙げた時のうれしさ結婚式の時のスピーチなど事細かく覚えていて話してくれた。この話を聞いて梅子は、本当に救われましたと涙を流した。
やがて夏になりエアコンの効いた部屋で、両親は、ゆっくりとテレビを見て、お茶を飲んで生活をしていた。そして、欲しい物を聞いては、敦夫と梅子さんが、近所のスーパーマーケットに行って食料品、医療品などを買ってきた。
この頃、自宅から車15分の所に素敵なスーパー銭湯ができて両親が気に入り通い出した。週に2回、敦夫が両親をそこへ送り迎えした。秋になって父の顔の血色が良くなり体調も回復したようで敦夫も安心した。
やがて、2010年を迎えた。まず最初に飛び込んできた大きなニュースは、日本航空の倒産の話だった。日本航空が1月19日、会社更生法の適用を東京地裁に申請、経営破綻した。
負債額は約2兆3000億円と事業会社では過去最大。京セラ創業者の稲盛和夫氏を会長に迎え、政府が出資する企業再生支援機構の下で再建を目指している。




