美しい命
つららが目を開くと、そこはよく見慣れた研究室だった。
彼女のすぐ目の前には、アイディアルに命を捧げたはずのディヴェルトの姿があった。彼女は咄嗟に身構えたが、彼に戦意はなさそうだ。
「……博士は、美しくない命なんかないと言っていた」
「そう……だね。つららさんも、あの言葉には本当に辟易としているよ」
「僕はずっと、美しい命を探し続けてきた。そして思索と憎悪の迷宮を突き進んでいった末に、僕はたった一つの答えに辿り着いたんだ」
「究極の頂点捕食者をもたらし、全ての生命を滅ぼすこと……」
「ああ、それが僕の導き出した答えだった」
研究室を見渡せば、最低限の生命活動で息を繋いでいる歪な肉塊が、いくつかの水槽の中に飾られている。命の価値について語られているこの場所は、管に繋がれた「冒涜された命」に囲まれた部屋だ。
ディヴェルトは話を続けた。
「つらら――あなたは今、究極の頂点捕食者に劣らぬ強者になろうとしている。その高みに至るまで、あなたは一体何に導かれたんだい?」
「虹だよ。最高の親友と共に見た虹の美しさが、つららさんをここまで導いてくれたんだよ」
「そっか。ようやく見つけた。もし、あなたをここまで導いたものが友情だと言うのなら、あなたは本当に美しい命だ」
そう語った彼は、穏やかな微笑みを浮かべていた。彼はようやく、友情の真価の片鱗を知ったらしい。つららは喜びのあまり、思わず頬を綻ばせた。
「今からでも間に合うよ。君も、つららさんのようになれる。だって、君は痛みを知っている。君は友情の美しさを知ることが出来た。君は血の通った人間だ。さあ、つららさんについてきて」
彼女はそう言ったが、ディヴェルトは静かに首を横に振った。彼はもうこの世の住人ではない。
「手遅れだよ。僕はもう死んだ」
「自分を信じて。つららさんが絶対零度の壁を乗り越えられたように、君だって奇跡を起こせるはずだよ。特に君はさ……つららさんなんかよりも、うんと優秀な魔術師なんだから」
「ダメだ。僕はここで死ななければならない。僕が救われてしまったら、誰も戦争や人体実験の愚かさを学ばないじゃないか」
「子々孫々のことなんか知ったこっちゃない! つららさんは仲間を守りたいし、君のことも救いたい……ただそれだけだ!」
「大したものだよ……その気持ちの強さが、あなたをここまで導いたんだから。それでも僕は、世界に知らしめないといけない。人の業の重さと、それがもたらしうる悲劇というものをね」
――――その言葉には、底知れぬ使命感が宿っていた。彼の意志の強さは相変わらずだ。この少年を説得することは難しい。無論、ここでつららが納得するはずはない。彼女もまた、彼に劣らぬ強い意志をもってしてここまで生き延びた猛者だ。
「そんな博打のためなんかに、君は自らの命を!」
「僕はきっと心の奥底で、アイディアルが倒されることを願っていた。今まで生命の醜さしか見てこなかった僕は、誰かに生命の持ちうる真価を見せて欲しかったのかも知れないね」
「ディヴェルト……」
幸いにも、彼女の説得は全くの無意味ではなかったようだ。しかし彼女が何を言おうと、ディヴェルトの意志は決して揺るがない。
「あなたが虹に導かれたように、人は美しいものに魅入られることがある。世界は完璧にはなり得ないけれど、理想へと歩み寄ることは出来るのだろう。僕の死をもってして、世界はほんの少しだけ美しくなる」
言うならば、彼はアイディアルに自らの命を捧げたような男だ。そんな彼のことであれば、世界を是正するために死を選ぶことも必然であろう。
つららは彼の右頬に、精一杯の平手打ちを食らわせた。
ディヴェルトは呆気にとられた顔で己の頬をさすった。つららは彼の両肩を掴みつつ、感情をさらけ出すように大声を張り上る。
「そんなものは命のあるべき姿じゃない!」
「つらら……?」
「信頼の置ける誰かとありったけの笑い話をし、大きな夢を語らい、旨いものを食べ、共に虹の美しさに酔い痴れる……人の生き方なんてそんなもので良いんだ! 君の命は世界のものじゃなくて、君自身のものなんだからさ」
それが彼女の人生観である。そんな彼女の想いとは裏腹に、ディヴェルトの体は徐々に消えていく。
「……美しい。あなたは本当に優しい人間だ。だけど、僕にはもう時間がないんだ。一つ、頼んでも良いかな?」
「なんだい?」
「もし僕が生まれ変わったら、その時は僕と友達になってくれるかい?」
「もちろんだよ……ディヴェルト!」
「……ありがとう」
彼が最後に見せた微笑みは、どことなく幸せに満ち溢れたものであった。




