絶対零度の壁
つららは意識を取り戻した。彼女が瞼を開くと、そこは真っ暗な世界だった。四肢を何かに挟まれているらしく、彼女は自由に動くことが出来ない様子だ。彼女は全てを思い出した。
(そうだ。さっきはアイディアルの吐息を浴びて、そのまま瓦礫の中へと沈んでいって……それから……)
その時だった。激しい轟音と共に、地球を揺るがすような地響きが立った。それがあの化け物によるものであることは火を見るよりも明らかだ。あの三人から託された願いをかなえるため、彼女は一刻も早く地中を脱さねばならない。
(フルオロアンチモン酸……融点二十度の、硫酸の二千京倍の酸度を誇る液体だ。この液体で出来た十九度の氷で、瓦礫を凍らせていけば……!)
どんな危機的状況に陥っても、この少女は化学の知識を最大限に活用していく。それがつららという女だ。彼女を生き埋めにしていた瓦礫は一瞬にして溶け、曇り空は瞬く間に晴れ渡る。
「力が……みなぎってくる!」
自らの足下に氷の柱を作りだし、つららは地上へと姿を現す。アイディアルは再び大量の魔力の弾を飛ばし、彼女への攻撃を試みていく。しかしつららの周囲には氷の防壁が自動的に生成され、まるで独立した意志を持っているかのごとく彼女の身を守っていく。どういうわけか、今度の氷の盾はそう簡単には壊れない。
彼女のすぐ真横に、突如エドが現れる。
「これは長年培ってきた勘なんだけど、何か君から凄い力を感じるんだ。これは一体、なんなんだい?」
強敵を望む者の嗅覚は鋭い。この時、彼はすでにつららから「強大な力」の存在を嗅ぎ分けていた。つらら本人もまた、自分自身の力が氷魔法の「境地」まで昇華されたことを確信していた。
「理由はないけど確信がある。この力は熱エネルギーと対を為す――――言うならば『反熱エネルギー』だ」
「反……熱エネルギー……?」
「物質と対消滅するものが反物質で、重力を打ち消すものは反重力だ。そして反熱エネルギーは、熱エネルギーを打ち消すことが出来る」
「そんなものを……この世にもたらしてしまったのか!」
「つららさんは絶対零度の壁を突破した。もはやこの世界に、つららさんに凍らせられないものなんかない!」
ミントブルーの魔力をまとった吹雪が、彼女の身を包み込むように渦巻いていく。その目の前で、巨大な白い竜は足下から侵食されていくように凍っていく。アルケミア史上最強と謳われた魔術師の生み出した最終兵器は今、氷魔法によってその命を脅かされそうになっている。
しかし体の動きを止められてもなお、アイディアルによる攻撃は勢いを増していく一方だ。
無属性の魔力は、依然として隕石の豪雨のように降り注ぐ。地上の至る所で、大地に叩きつけられた魔力が爆発していく。つららは氷の盾に身を守られているが、それでも全ての攻撃を防ぎきることは難しいようだ。青白い光の弾をかわしていきつつ、彼女はエドに助けを求めた。
「エドくん! つららさんを、あの化け物の攻撃から守ってくれ! つららさんは氷魔法に集中する!」
「お安い御用さ。君を信じるよ……つらら」
「ありがとう、助かるよ。このまま氷をどんどん冷たくして、アイディアルの血流を完全に停止させないといけない。末梢血管も収縮させ、コイツの心臓を完全に停止させるんだ!」
「なるほどね。それにしても……この距離からでも冷気を感じる氷なのに、仮死状態にすらならないなんてね……」
「アレは、あのディヴェルトが命を差し出して作りだした生命体だ。駆逐するのはそう簡単じゃない」
二人は連携を取り、各々の役割を果たしていく。つららはミントブルーの魔力をまといつつ、アイディアルを包み込む氷塊に力を注いでいく。エドはナイフから光の円弧を放ち続け、無数の青白い光を次々と撃ち落としていく。激しい攻防が繰り広げられていく中、今度はエドが頼み事をする。
「……一つだけ、約束してくれるかい?」
「どうしたんだい? エドくん」
「もし全てが片付いて、一息ついた後は、僕と勝負して欲しい。あの日の決着をつけよう……つらら」
「良いね……受けて立つよ!」
「ふふっ……そうこないとね」
約束は交わされた。氷の魔術師と煙の狂戦士は、それからも究極の頂点捕食者に立ち向かい続けた。やがてアイディアルの意識が薄れてきたのか、その攻撃の勢いは徐々に衰えていった。そればかりか、青白い光の弾は魔力の塊であるにも関わらず、つららの生み出した冷気によって氷塊へと姿を変えていく。反熱エネルギーの冷気は、魔力をも凍らせられるらしい。
「アレは人の業がもたらした負の遺産! あんなものは二度とこの世にもたらしてはならない! その名だけを歴史に刻み込み、人の愚かさを未来永劫知らしめ続けろ!」
つららが自らの持ちうる最大の力を解き放つと同時に、ウィザド一帯は一つの山の如く巨大な氷塊に包まれた。




