命の選別
優生学という学問がある。端的に言うならば、それは人間の遺伝子の質を向上させることを目的とした学問である。この学問は、積極的優生学と消極的優生学の二種類に分かれる。前者は優秀な個体同士が子孫を残すことを推奨し、後者はそうでない個体同士が子孫を残すことを避けるといったものだ。
ルイスは積極的優生学の熱狂的な支持者であった。それは今から三十九年前、ハルマゲドンの書によってジェラトが滅びた直後のことである。彼は優生学に基づき、様々な魔術師を生み出し始めた。このプロジェクトによってディヴェルトが誕生したのは、それから三年後のことだ。
「お前があの被験者を蘇生させたのか⁉ 一体何をしたと言うのだ⁉ 素晴らしい……私はこんなにも美しいものを生み出してしまった!」
ルイスは歓喜した。何やら彼の実験によって生まれた命が、死亡した被験者を瞬時に蘇らせたらしい。そればかりか、同じプロジェクトで生まれた乳児のうち、何人かは胎児に戻っていた。
彼がこの魔法の正体に気づいたのは、その一年後のことである。
(私の飲もうとしたコーヒーが、コーヒー豆と熱湯に変わってしまった。そしてどういうわけか、いつも点けているストーブの石油が減っていない。奴が生まれてから一年間、おかしなことばかり起こるものだな。奴の魔法にはおそらく……ものの状態を逆行させる力がある)
この時はまだ、彼の推測は仮説の域を出ていなかった。しかしこの男は科学者だ。この説を立証すべく、ルイスは例の個体に様々な実験を施した。電池の切れたはずの豆電球は再び点灯し、化石は生きた状態の恐竜となり、例の個体の手首につけた腕時計は少しばかり時間が進んでいた。
無論、ルイスがこの実験に腕時計を用いたことには意味がある。
「……体に身に着けていた時計が進んでいるということは、周りの時間が巻き戻されたということだな。つまりお前は、時間をも逆行させられるということだ」
己の仮設を検証するにあたって、彼には時間の動きを観測する必要があった。そして、彼がそのための手段として被験者に腕時計を着用させたことにより、その仮説は正しかったということが証明されたのだ。
「不可逆性の克服……それは人類の最終課題だ。人の死も、エネルギー問題も、全ては不可逆性ゆえに存在するものだからだ。それを克服したお前には、『ディヴェルト』という名前をやろう。その意味は『世界』だ。どうだ……お前に相応しい名前だと思わないか?」
この日をもってして、彼の最高傑作には「ディヴェルト」という名前がついた。ディヴェルトはルイスの下で、洗脳まがいの教育を受けながら成長していった。
あれから五年後、ディヴェルトは六歳になった。彼はその優秀さゆえに、ことあるごとに戦争に駆り出されていた。人体実験場では無数の命が弄ばれ、戦場では無数の命が散っていく。そんな日々を送ってきた彼は、ことあるごとに「あの言葉」を耳にしてきた。
「良いか? ディヴェルト。美しくない命なんかない。私の生み出してきた全てが正しいんだ。生物の進化は、全宇宙を取り巻く団体戦だ。お前が生まれるまでに使い捨てられてきた命は、決して無価値ではなかったのだ」
この当時、ルイスの口癖はすでに定着していたようだ。当然、ディヴェルトはその言葉に賛同できなかった。
「……博士は一体、何を求めているの? 命を奪ったら、その分だけ命を得られるの? 僕は、人を殺すために生まれたの?」
「私は常に進化を望んでいる。生物は争い合うことで淘汰され、優秀な生存者の遺伝子だけが後世に受け継がれていく。人類は殺人を悪と定義したが……生物の本来の目的に従うのなら、人は殺し合うべきなのだ」
「それが生きるということ? だったら、命は美しくなんかないよ」
「何故そう思うのだ?」
「格差、争い、痛み、憎しみ……命というものは、いつだって過ちばかり作りだしてきた。そうでしょ?」
彼の語彙力は、平均的な六歳児をゆうに逸脱している。やはり優秀な遺伝子を掛け合わせて作られた個体は、生まれながらに優れた頭脳を持っているのだろう。しかし、彼の言葉がルイスの心を動かすことはない。
「お前の挙げた事柄は、いずれも過ちではない。全ては生命の進化のために必要とされることだ」
「そんな大きな代償を伴うのなら、進化なんて必要ないよ。博士は自分の好きなように生きているけど、僕は大人たちに利用されるために生みだされた。それが命の在り方だと言うのなら、命は美しくなんかない」
「利用……か。果たして、他者に利用されていない命がこの世に存在すると思うか? ただ一組の男女が一人の子供を授かるだけでも、その男女が自分たちの幸福のために新たな命を利用していることに違いはないはずだ」
「何を……言っているの?」
「そして……やがて成長し大人になった時、生命は互いを利用し合うようになる。そうでなければ経済は回らないだろう? 一つの社会は、こうした利害がひしめき合うことによって成り立っているのだ」
それがルイスの言い分である。結局、両者がわかり合える日が訪れることはなかった。




