眠りの水晶
やがてフォルクスはうつ伏せに倒れ、辺り一帯を覆っていた闇の魔力は風に溶けるように消えていった。彼にはもう戦えるだけの力は残されていない。それでも彼は、震える両腕で上体を持ち上げようとする。
「アルケミア軍のシンボルマークは時計を模している。時間が前にしか進まないように、自分も決して敵に背中を見せてはいけない――それがこのマークに込められた理念だ! 俺には祖国を守り抜き、愛国者としての生涯を全うする必要があるのだ!」
その精神は愛国心でもあり、自身のアイデンティティに対する底知れぬ執念でもあった。そんな彼に憐れみの目を向けつつ、エドは言う。
「己の血を呪いながら生きてきた君が、最後は血によって命を落とすなんて……なんだか皮肉な話だね。やっぱり、僕を楽しませられる逸材は『ディヴェルト』だけだ。君はもう戦えない……用済みだよ」
もはやフォルクスに勝ち目がないことは、誰の目から見ても明らかだ。エドはその場にしゃがみ込み、右手に持っているナイフで彼の首を切り落とした。
エドの勝利だ。
煙の狂戦士の称号を冠した少年は、すぐにその場から姿を消した。
*
エドがアルケミア軍の軍事基地を訪れたのは、あれから五分後のことであった。彼の左手には、七色の宝石を埋め込まれた水晶が握られている。彼がこの場所を訪ねたのは他でもない。
「君にプレゼントがあるんだ……ヴェルファ・イアルディス」
エドはヴェルファに用事があった。なお、アポイントメントは取っていないらしい。つまるところ、彼はヴェルファからしてみれば侵入者以外の何者でもないということになる。
「どこから侵入したのだね?」
ヴェルファは訊ねた。アルケミア軍の元帥である彼にとって、何の理由もなく無関係者の基地内への立ち入りを許可するわけにはいかないようだ。そんな彼に眠りの水晶を手渡し、エドは事情を説明する。
「そんなことはどうでもいいさ。心配なんかしなくても、君に対する敵意はないよ。あいにく、僕は『ディヴェルト』の封印を解く手順を知らなくてね。これは僕が持っていても仕方のないものだし、君に渡しておこうと思うんだ」
「これは……眠りの水晶……!」
「僕はフォルクス・ワーゲンハイトを殺したんだ。そしてその水晶を手に入れた。君は……『ディヴェルト』の封印を解く手順を知っているかい?」
両者の利害は一致している。何しろエドは強敵の存在を望み、ヴェルファは国を守り得る人材の存在を求めているのだから。ヴェルファからしてみても、これは願ってもない好機である。
しかし彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「待て。今、フォルクスを殺したと言ったのか?」
「そうだけど?」
「確かにフォルクスは、私の計画を進める上では邪魔な存在だった。それでも、奴が私の部下であることに違いはない」
「それで、どうするの?」
「『ディヴェルト』を復活させる……ただそれだけだ。私は部下を大切に思っているが、それはあくまでも私の私情にすぎない。私も軍人である以上、国の未来を最優先せねばならんだろう」
どうやら話はまとまったようだ。ヴェルファは眠りの水晶をズボンのポケットに仕舞い、エドに背を向けた。
「……どこへ行くんだい?」
「ここから少し離れたところにある遺跡だ。奴の封印を解くにあたって、魔方陣を描ける床と広いスペースが必要になる。私の魔法は、広い場所でこそ最大限に発揮できるものだからな」
ヴェルファとて、ディヴェルトという男の危険性をまるで理解していないわけではない。あの男は優秀な魔術師であり、その圧倒的な力をもってしてアルケミアを壊滅寸前まで追い込んだ張本人でもある。そんな男の力を借りることは、祖国を守る上ではまさに諸刃の剣であると言える。
「ふぅん……なるほど。一応、『ディヴェルト』と戦うことになる可能性も視野に入れているんだね」
「もちろんだ。仮にもし『ディヴェルト』が再びアルケミアに仇なすようなことがあれば、その時は私が奴を倒そう」
「それじゃ、僕は勝った方と戦うことにするよ」
「……私は無益な争いなど好まん」
狂戦士と軍人では、やはり闘争に対する考え方は異なるようだ。ヴェルファはその場を去り、広い遺跡へと向かった。
――――あれから二日後、彼は遺跡の床に魔方陣を描き終えた。
彼が片膝をつきながら祈りを捧げたのも束の間、辺りは眩い光に包まれた。




