不可視
つららとランボルが戦っていた最中、三階の廊下でも死闘が繰り広げられていた。
ダイナの前に立ちはだかる敵は、アルケミア軍の中将メル・セデスフォードだ。
「仲間が二人以上いる相手は、操りやすくて助かります。一人を人質にして、もう一人を見せしめに殺せば良いのですから。364番を味方にするために、あなたの命を利用させてもらいます」
「俺の命を利用だぁ? 俺を倒せるのはつららだけだぜ。地下闘技場の元絶対王者にして天下の便利屋――ダイナ・ディザートとはこの俺のことだ!」
ダイナは両腕から凄まじい火力の炎を放った。しかし何らかの力により彼の炎は塞き止められ、すんでのところでメルのところまで届かない。
「私は戦場で戦ってきたのですよ? 地下闘技場での殺し合いは、戦車や軍隊を相手にするのですか?」
今度は彼女の番だ。彼女が何かを投げるような動きを見せるたびに、ダイナの体の節々から鮮血が流れ出る。彼が見た限りでは、彼女は何も投げていない。
この奇妙な光景を前にして、ダイナは少し考えた。
(寧々が妙な力で引っ張られたり、俺の手が見えない壁にぶつかったり、炎魔法が塞き止められたりして、しまいには俺の体に見えない何かが突き刺さってやがる。コイツの魔法……まさか……)
彼は自分の体に出来た刺し傷を見た。そこから流れ出る血液は、何もないはずの空間を伝って滴っている。
ダイナは生唾を呑み、右手の指先でその箇所に触れてみた。
(この触感は、透明の刃物だ! この女……見えない物体を生み出せるのか! だが表面に血が付着するということは、後から色を塗ることは出来るっぽいな。問題は、塗料の代わりになりそうなものが無いことだ)
数多くの死線を潜り抜けてきただけのことはあり、彼の洞察力は格段に成長していた。後は打開策を考えるだけだ。
(アイツだって、俺にナイフを投げつける時は、その邪魔になる防壁を自分で消すはずだ。要するに、俺はその瞬間を狙って奴に炎魔法を叩き込めば良いってわけだな)
もはや身を守る方法など考えていない。彼の頭の中は、眼前の敵を焼き払うことでいっぱいだ。
さっそく、メルは次の攻撃の準備を始めた。
「あまり抵抗しようなどと考えない方が良いですよ。より苦しんで死ぬことになりますから」
彼女は再び、透明のナイフを投げる動作を見せてくる。ダイナはこの隙を見逃さない。彼は体に刺し傷を負いつつ、竜の形を模した灼熱の炎を放った。
しかし彼の攻撃は通らない。
竜を象った炎は、メルを中心とした半径五十センチメートルの範囲を避けるような挙動を見せた。ただ物体を生み出せるというだけでも、攻撃と防御の双方に強みがある。ましてや、その物体が不可視のものであれば、その脅威は鬼に金棒だ。
ダイナの放った炎は、メルの周囲で延々と渦巻いていく。無論、これはダイナ本人の意思によるものだ。
(おそらく、アイツを取り囲む防壁にはある程度の耐熱性がある。だったら、酸素濃度を減らしてアイツを窒息させてやりゃあ良い)
それが彼の狙いであった。彼の思惑通り、彼女の周囲はみるみるうちに黒い煙に包まれていく。
――――ここで対策を講じられないメルではない。
突如、見えない何かがダイナの腹を貫いた。メルが防壁を解いたというわけではない。本来なら不可視であるはずの物体は、煤を浴びることによってわずかに可視化される。
「これ……は……!」
彼の腹を突き刺してきた突起物は、彼女の作りだした防壁の表面から伸びていた。無論、メルが講じた策はこれだけではない。
(やはり彼は未熟ですね。そんな煙に包まれたところで、新鮮な空気を吸うためのパイプを作って煙の外に繋げれば対処できるというのに……)
彼女の魔法は極めて万能だ。もはやダイナの勝機は絶望的であると言っても良いだろう。メルの無双はまだ終わらない。
「……そろそろ終わりにしましょうか」
彼女がそう言い放つや否や、ダイナは痛みに顔を歪ませ始めた。この時、彼の身には並々ならぬ危機が迫っていた。
(防壁から伸びている突起物が、自在に変形していく! 俺の体を、内側からズタズタにしてきやがる! 考えるんだ……こんな時、つららならどうするか! アイツの背中を追ってきた俺だからこそ出来ることが、きっと何かあるはずだ!)
一刻も早くこの状況を切り抜けなければ、彼に命はない。ダイナは文字通り、必死に思考を巡らせた。




