安楽死
その日の夜――――軍事基地の一角にある牢獄の中でのこと。寧々は両膝を抱えながら床に座り込み、虚ろな目で天井を見上げていた。今の彼女は人質だ。もはや仲間を信じる以外に、出来ることは何もない。彼女の前にランボルが姿を現したのは、まさにそんな時である。
「お届けものでーす。これ、軍の奴らには内緒な」
鉄格子の向こう側から、マルゲリータピザとミネストローネが差し出された。寧々はランボルに顔を向け、彼に声をかける。
「あなたは……どうして私に優しくしてくれるのですか?」
「え? 俺様、そんな優しくしたっけ?」
「そのピザとミネストローネ、レシピを見ながら一生懸命作ったのですよね? 本当は、人質にこんな贅沢な食事なんか出しませんよね? あなたはヴェルファ元帥とメル中将から、私を精神的に追い詰めるよう指示を受けていたはずです。そうすれば、つららさんが軍に協力せざるを得なくなりますから……」
「ああそうだ。アイツらは軍人のツラ汚しだぜ。しかし流石は情報屋だな……今置かれている状況をほとんど把握してるじゃないか」
「私は目の合った相手の記憶を把握できる魔法を持っていますから」
彼女は少し得意気だ。彼女自身に戦闘力はないが、それでも彼女の魔法が非常に便利で役立つものであることに変わりはない。
「なるほど、便利な魔法だな。俺様は人に優しくする時、いちいち理由なんか考えないぜ。俺様がアンタに優しくしたのも、俺様が勝手にやったことだ」
「すみません……手間を取らせてしまって……」
「謝らなくて良いぜ。俺様は感謝されるのは大好きだけど、謝られることは好きじゃないからさ」
「あ……ありがとうございます……」
「へへっ……どういたしまして。さあ、冷める前に食べな。ピザは焼きたてが一番旨いからよ」
やはりこの男はアルケミア軍の随一の良心だ。
「いただきます」
寧々はピザとミネストローネを食べ始めた。彼女は育ちが良いのか、牢の中に咲く一輪の花のような佇まいで食事を堪能した。
食事を終えた後も、彼らの話は続く。
「そろそろ一人になりたいか? それとも、まだ色々話したい?」
「まだ話していたいです」
「そっか。そういやアンタ……」
「寧々。羽衣寧々です」
「寧々ちゃんは、相手の記憶を把握できるって言ってたよな? 俺様がどういう人間なのか、言い当ててみてくれよ」
ランボルは寧々の魔法に興味があった。彼を信用していたこともあり、寧々は何の迷いもなく彼の情報を口にする。
「ランボル・ギーニザルト。血液型はB型で、年齢は二十五歳。特殊魔術師で、『痛覚や触覚を与えずに相手を捕食する虫を操る魔法』を使えるようですね。相手は少しでも気を抜けば、知らないうちに体の一部を食い荒らされている……まったくもって恐ろしい魔法です」
「うむ、やっぱり寧々ちゃんの魔法は凄いな。本当に俺様の何もかもを把握してるじゃないか」
「かつてはその魔法を使い、自殺志願者に安楽死を施すことを生業としてきたようですね。そのうちに死ぬことでしか救われない世界に疑問を感じ、今度は国民の命を守るためにアルケミア軍に入隊した……と」
……これがランボルという男の経歴らしい。今も昔も、彼は人の生き死にに関わる仕事をしてきたようだ。
「その通りだ。俺様は今でも、懺悔室目当てで教会に行くことが多々ある」
「……ランボルさんのしてきたことは、何も間違っていませんよ。世間は弱者に生きる手段を与えないのに、死ぬ手段は奪っていきますから。死ぬ手段を与えてくれたあなたに、皆感謝していると思いますよ」
「例え百万人に感謝されようと、人殺しは人殺しだ。だけど、無理に俺様を励まそうとしなくて良い。何しろ、俺様本人にだってわからないんだ……自分が許されたいのか、それとも許されたくないのか」
そう語った彼は愛想笑いを浮かべていたが、その横顔は憂いを帯びていた。寧々は何としても彼を元気づけたい一心だ。
「命を生かすことは最善……なんて命題が普遍的な真実であれば、どれほど楽だったでしょうね。命を救うことは、決して簡単なことではありません。それこそ、安楽死を施すことが最善になり得ることもありますから」
「そう……なのかな……」
「少なくとも、人体実験場のキメラたちは、皆死にたがっていました。ランボルさんは彼らを救ったも同然です」
あの時、ランボルはキメラたちの意思を確認できなかった。たった今寧々の口から明かされた真実は、彼に安堵をもたらした。彼は自分の胸を撫で下ろし、深いため息をついた。




