絶対王者
恐れおののく有象無象を後目に、目つきの悪い男は果敢にもつららの前に立った。審判は呆気に取られつつも、己の仕事を遂行する。
「試合開始!」
いよいよ二人の戦いが始まった。青年は眩い炎を操り、目の前のルーキーを取り囲んでいく。場内と観客席を仕切る金網が消し炭になっていく様は、その火力の高さをこれでもかと知らしめている。
「俺はダイナ・ディザート――この闘技場の絶対王者だ。俺の炎は鉄をも瞬時に溶かす火力だが、鉄の融点は摂氏何度だ?」
「おおよそ千五百三十五度……だね」
「俺は知らねぇけど、多分合ってる。そして氷の融点はゼロ度……つまり俺には氷なんざ通用しねぇ」
「ふぅん……試してみるかい?」
つららは妙に強気だ。しかし現実問題、絶対零度が摂氏マイナス二百七十三・一五度であるのに対し、水の氷点は摂氏零度である。彼女は無数の氷塊を生み出し眼前の敵を攻撃していくが、案の定氷塊は瞬時に溶かされてしまう。
「さっきまでの威勢はどうした? 今度はこちらから行かせてもらう!」
そう宣言したダイナは竜を象った炎を作りだし、つららに攻撃を仕掛ける。つららは氷の防壁を生成「し続ける」ことによりなんとか防御しているものの、これでは防戦一方だ。この光景を前に観客たちは微くそ笑んでいたが――――
――――彼女の本領はここから発揮される。
彼女はダイナの全身を凍らせた。無論、灼熱の炎を司る彼にとって、氷を溶かすことなど造作ない。彼は自分の体を包み込んでいた氷を、瞬く間に溶かしきってしまった。
そう、氷を溶かすところまでは良かったのだ。
「ぎゃあああああああああああ!」
突如ダイナは悲鳴を上げた。どういうわけか、彼の肌は炎症を起こしているようだ。つららは無邪気な子供のような満面の笑みを浮かべ、ダイナの方へとじりじりと歩み寄っていく。
「つららさんの魔法は氷の魔法であって、別に氷点以下の純水しか操れない魔法ではないんだ。それが氷の定義の範疇に収まる限り、つららさんはどんなものだって生み出せるんだよ」
「お前は……一体、何をしたんだ!」
「これは濃硫酸で出来た氷さ。硫酸の融点は摂氏十度――つまり摂氏九・九度の硫酸で君を凍らせれば、今度は君の体温だけで硫酸が溶け出すというわけだねぇ」
「このガキ……なんてことを考えやがる……!」
「早く負けを認めてくれないと、ここの観客たちは君の『生きた人体模型のような姿』を目に焼き付けることになるよ」
ついさっきまで、単なる無謀な子供だった少女。しかし今となっては、観客たちの目に映っているものは悪魔のような魔術師だ。それでもダイナは負けを認めず、危険人物の前に立ち上がる。
「俺にはここで築き上げてきた誇りがある! 守るもののない人間なんかに、勝利を譲る義理はねぇ!」
「おやおや。君の墓標には『命知らずの馬鹿』って書いておかないといけないねぇ」
「アンタの棺桶にはR・I・Pって書いとくぜ。ただしそいつはレスト・インサイド・プープの略……『クソの中で眠れ』って意味だ!」
炎、炎。そして炎。火力が高いだけの炎を、彼は何度も放ち続ける。場内の温度は徐々に高まっていく。その熱さを耐え忍びつつ、つららはダイナの口周りを凍らせた。これが硫酸であれば、融解した際に彼の顔面をケロイド状にしてしまうことは確実と言えよう。しかしこのまま放置すれば、物理的に呼吸を阻害され続けることにより窒息してしまう。ダイナは勇気を振り絞り、自分の口周りを塞いでいる氷を溶かそうとした。
彼の顔面は爆発した。
「この氷は複数の引火性液体の化合物。これで君も色男になったんじゃないかな?」
「テメェ! マジで! ふざけんじゃねぇ!」
「こらこら、怒ると良い男が台無しだよ」
相変わらず洒落にならないことをする女である。凄惨な光景を前にして、観客はみるみるうちに減っていく。この残虐極まりない状況を見かねた審判は、すぐに試合をやめるように指示を出した。
「これ以上は危険だ! この試合はつららの勝ちとする! 医師はすぐにダイナを医務室に連れていくように!」
英断である。すぐに二人の女性が駆け付け、ダイナを担架に乗せて運んでいった。つららは屈託のない笑みを浮かべながら審判の方へと駆け寄り、賞金を受け取った。しかし、そんな彼女に対し、審判は残念な知らせを告げる。
「これが最後の賞金だ。君がいると経営が成り立たなくなるから、今後は入店拒否の措置を取らせてもらう。今すぐここから立ち去れ」
つららはその強さゆえに、もう二度とこの闘技場には立ち入れなくなってしまった。彼女は不服そうな顔で闘技場を後にし、次の稼ぎ口を探し始めた。