晴天
後日、つららはまだ浮かない顔をしていた。
彼女の心情は複雑だ。因縁の相手を倒したとは言え、まだ完全に過去と決別できるほどの時間は経過していない。彼女には時間が必要なのだ。便利屋の活動拠点の事務室にて、つららは宙を眺めながら上の空になっていた。
その傍らで、ダイナは窓際の席に着きながら頬杖をついていた。つららは虚ろな目を彼に向け、静かに口を開いた。
「ねえ、ダイナくん」
「ん? どうした?」
「あの光景を見知った今でも、君は命の価値を平等だと思えるかい?」
かつて闇オークションの会場を警備した時、ダイナは命を平等だと言っていた。その当時、彼はつららの境遇について何も知らされていなかった。しかし今は違う。つい三日前、彼はジェネティカ人体実験場の実態を目にしたのだ。ダイナは一枚の書類をつららに突き付けた。
「……あの場所で、ルイスの支配下で、一体何が起きていたのか……寧々が事細かにまとめてくれた。こいつを一通り読んだ後、俺は命の価値というものがわからなくなっちまったよ」
「そっか。それならわからないままでも良いよ。君は『命は平等じゃない』なんて認めるようなガラでもないだろうしさ」
「あたぼうよ。命の価値は不平等なんて、そんなの絶対に認めねぇ。あのキメラたちは皆、存在して良い命だったんだ。アイツらは『自分たちが人間であること』を奪われた……ただそれだけなんだよ」
それが彼の答えであった。つららは少し考え、それから穏やかな微笑みを浮かべた。ダイナの言い分は、彼女にとって腑に落ちるものだったらしい。
「そうかもね。ダイナくんの言いたいこと、よくわかるよ。つららさんだって、アイツに人間であることを奪われてきたようなものだからさ」
「お前はもう人間だよ。初めて会った時はとんでもねぇ悪魔が現れたと思ったけど、今のお前は立派な人間だ」
「ありがとう……ダイナくん」
つららは彼に礼を言い、事務室を出た。それから彼女は自分の部屋にこもり、扉に鍵をかける。彼女にも一人の時間が必要なのだろう。
つららは膝から崩れ落ち、そのまま泣き崩れる。
(親友を守れなかったあの日から、ずっと自分に罰を課していた。人間らしく生きることなんて、ずっと諦めてきた。だけど、つららさんは……もう一人じゃない。つららさんには、ダイナくんも寧々ちゃんもいる)
誰にも涙を見せようとしないところは相変わらずだ。彼女は両腕の袖で何度も自分の目元を拭うが、それでも溢れ出る涙は止まらない。
(あぁ……寧々ちゃんと目が合ったら、今こうして泣いていることも後で全部わかっちゃうんだろうなぁ。どうして、涙が止まらないんだろう。これもきっと、つららさんが人間だからなんだろうなぁ)
彼女はそう思いつつ、ふと窓の外を眺めた。彼女の視界は涙でぼやけたていたが、それでも太陽の眩しさは一目でわかる。雲一つない青空は、今の彼女自身の心を表しているようでもある。
「そっか。ダイナくんと会ったあの日、あの虹を見た時、つららさんの雨はとっくに止んでいたんだね」
この瞬間をもってして、彼女はようやく本当の意味で過去から解放された。
*
同じ頃、アルケミア軍の軍事基地はつららの話で持ちきりだった。先日人体実験場を訪れたランボルは、ルイスの身に起きたことをよく知っている。
「あれを見た時は驚いたぜ。確かにルイス博士は不死身だし、生きていたよ。ただし、頭部を失った状態でな。便利屋の少女……もしかしたら本当にタダモノじゃないかも知れないな」
あの後、彼は無事に研究室までたどり着いていたようだ。つららのことを見くびっていた彼も、ようやく彼女のことを認め始めていた。ランボルに続き、フォルクスも彼女に対する見解を述べる。
「麻薬組織を壊滅させ、不死身のキメラを何体も使役するルイス博士を倒した。すでに二回も大きなことを成し遂げている以上、もはや偶然とは言えないだろう。あの少女に、アルケミアの未来を託してみないか?」
彼らの中で、つららの評価は一気に上がっている。ルイス・エアロシュタインという男は、それほどまでに実力を買われていた男なのだろう。しかしメルだけはまだつららの実力を認めていない様子だ。
「私は反対です。元帥閣下はどう思われますか?」
最後の一人が賛成しなければ、この話は保留ということになる。しかし今は一刻を争う事態だ。ヴェルファは結論を下した。
「私は君たちより先にあの少女に可能性を見いだしていた。よって、私はあの少女に希望を託す」
多数決の結果、四人はつららを頼ることとなった。




