命の価値
つららがこの世に生を受けたのは、十七年前のことだ。氷属性だった彼女は生まれてまもなく両親に捨てられ、ジェネティカ人体実験場に引き取られた。そんな彼女の世話をしてきたのは、ルイス・エアロシュタインという科学者だ。彼は人間を実験動物としか思っていないような男だが、それでも当時幼かったつららにとっては唯一のライフラインであった。そんな彼に対し、つららが自分の両親についての質問を投げかけたのは、彼女が六歳の時のことである。
「僕のお母さんとお父さんはどこにいるの?」
「お前は捨てられたんだ。氷の国ジェラトがハルマゲドンの書で滅びたことにより、氷属性の魔術師は世間では劣等種ということになっているからな」
「世間の奴らって悪い奴らなの?」
「そうだ。アイツらには命の本当の価値がわかっていない。美しくない命なんかない……お前もそう思うだろう?」
ルイスはそう豪語していたが、その周りには「薄っすらと人間の面影の残っている肉塊」の浮かんでいる水槽がたくさん並んでいる。一つの塊に対し、複数の顔面が存在することも見て取れる。彼は何らかの実験で人間を繋ぎ合わせているようだ。そんな彼が「美しくない命なんかない」と称しているのだから、つららが違和感を覚えるのも無理はないだろう。当時、男は五十七歳だったが、その風貌はまるで二十代後半の男性のようだった。それでも無造作に乱れた頭髪だけは白に近い灰色で、彼が白衣を着ているのも相まってその容姿は基本的に白い。
だが彼の内面はどす黒かった。
ルイスは優秀な魔術師を作ることに執着していた。複数の魔術師の体を生きたまま繋ぎ合わせ、魔術師のキメラを作る日々に明け暮れていた。犠牲者たちが人間の形を保つことはごく稀で、彼らの多くはヒトの骨肉で出来た巨大なジャガイモのような見た目になっていた。ルイスが若さを保っていることにも、被験者たちが過酷な実験で命を落とさないことにも理由がある。ルイスは「生命を維持する魔法」を使えるのだ。まさに人体実験にはうってつけの魔法である。まさしく、彼は他者の命を弄るために生まれたような男だ。
同時に、ルイスは独特の価値観を持った男でもあった。
「イデアという言葉がある。例えば、現実には限界まで拡大してもなお正確に見える直線というものは存在しないが、我々は正確な直線という概念を理解出来る。この概念は直線のイデアだ。多種多様な犬種が存在するのにそれら全てを犬と定義出来るのも、犬のイデアが存在しているからだ」
「なるほど、興味深い話だねぇ」
「……ところで、人間のイデアとはなんだと思う?」
「わからないよ」
「その通り。そんなものは誰にもわからない。人間のイデアなど誰にもわからないのに、世間では人間の体を作り変えることが悪とされている。人間が人間であることの証明書などという亡霊を守るために、人間は変化を嫌うのだ」
彼の知能は決して低くない。ただ考え方が歪んでいるだけだ。つららは彼の考えには賛同しなかった。
「人間の歴史が今でも語り継がれるのは、人間がまだ存在しているからじゃないの? 僕は、人間は人間でいなきゃダメだと思う……」
「この宇宙のあらゆる生命は絶え間なく変化し続けているというのに、なぜ人間は遺伝子のアップデートを拒むのだろうな。生命倫理などというくだらぬ言葉は、いつも私の足を引っ張るのだ」
「む……難しい話は、よくわからないけどさ……とにかく命をいじくり回すのは良くないよ!」
「命は平等だ。だから私は、野生動物だけでなく人間も品種改良する。命は素晴らしい。だから私は、命の役割である『繁栄』と『進化』を手伝う。私の科学は人類のための科学であり、この宇宙そのもののための科学でもあるのだ。どうだ? 私の言っていることは正しいとは思わないか?」
「た……多分、正しい……よ」
やはり六歳児の知能では大人に言いくるめられてしまうようだ。来る日も来る日も、彼女はルイスの思想を吹き込まれてきた。毎日のように偏った教育を施され、数日おきに反乱分子の殺処分を手伝わされ、数ヶ月おきに新薬を投与される。それがジェネティカ人体実験場での彼女の日常だった。
数多のキメラが作られていく中、彼女はいつも同じ言葉を耳にした。
「美しくない命なんかない」
数多の被験者が新薬によって死亡していく中、彼女はいつも同じ言葉を耳にした。
「美しくない命なんかない」
数多の反乱分子が殺処分されていく中、彼女はいつも同じ言葉を耳にした。
「美しくない命なんかない」
――――その言葉は、いつ何時も彼女に恐怖心を植え付けた。ルイスは命を軽んじているわけではなく、むしろ命に大きな価値を見いだしながら人体実験を繰り返しているのだ。いつしか、つららはこう考えるようになった。
(命は平等じゃない。命なら必ずしも存在することが正しいなんて、そんなの絶対にありえない)
それでも彼女はルイスに逆らおうとはしなかった。あの男は、人体実験場の被験者たちを恐怖で支配している。当時の彼女にとって、反逆など無謀の極みでしかなかった。




