悪党と悪党
つららはそっと目を開いた。彼女の目の前では、文上治人が過呼吸になりながらふらついていた。これは言うまでもなく、彼女自身があらかじめ仕組んでいたことである。
(さっきの二硫化硫黄が効いてきたようだね……どうやら何も知らずに思い切り吸い込んでしまったらしい)
体のあちこちから血を流しつつも、つららは不敵に微くそ笑んでいた。治人がむせ返るように咳き込むたびに、彼女を捕らえる沼や有毒植物は徐々に崩れ落ちていく。両者ともに虫の息だ。つららは氷の槍、治人は金色の大剣を両手に構え、互いに睨み合っている。
「つらら……お前は正義か? それとも悪か?」
「つららさんはまごうことなき悪党だよ。出会い方が違えば、君の護衛だって引き受けていただろうねぇ」
「そうか、お前は悪党か。そいつが聞けて何よりだ」
両者は一定の間合いを保ちつつ、虎視眈々と攻撃の隙を伺う。さっきまでは「動」の状態が続いていた戦いも、今この瞬間は「静」の状態にある。まるで時が止まったかのような光景だが、たった一度の瞬きが命取りになる局面である。
「……つららさんの善悪が、君にとってどんな価値を持つと言うんだい?」
「正義は悪を養分に生じ、悪人を否定することで成し遂げられる。つまり悪人にとって、正義に敗れるということは存在を否定されるということだ」
「確かにそうだねぇ」
「例えそれが共倒れであったとしても、悪人が死ねば正義の勝ちとなる。正義の味方が守るものは、我が身ではなく正義だからだ。悪人にとって最も浮かばれる死をもたらすのは、別の悪人か自然の摂理だけだ」
「なるほどねぇ。そんなこと、今まで考えもしなかったけど、君の言うことはもっともだと思うよ」
二人は笑っていた。勝利を確信しているからではない。わかり合っているからだ。彼らは敵同士であり、理解者同士でもある。
治人は咳き込みながら吐血し、宣言した。
「俺の命も長くはない……お前も地獄まで道連れだ! つらら!」
彼は高圧電流と闇の魔力をまとう大剣を振りかざし、つららとの間合いを一気に詰める。
「……!」
つららはこの瞬間を見逃さなかった。彼女もまた、氷の槍の切っ先を眼前の好敵手の方へと突き立てる。
――――大剣と槍は甲高い音を響かせながら交わり、廃墟の闘技場は真っ白な光に包まれた。
光は徐々に薄れていき、一つの人影を包み隠す砂煙が空中に溶け込んでいく。最後に立っていたのは、裏稼業の便利屋を務める氷の魔術師――つららだ。彼女の足下では、腹部を槍で貫かれた治人が力なく倒れていた。
彼女の勝利だ。
もはや治人が死ぬのも時間の問題だろう。しかし彼は、決して満足気な笑みを崩さなかった。
「これで良い。俺の死は、誰の正義の踏み台にもならなかった。俺は正義の味方が大嫌いなんだ……お前もそうだろう?」
「もちろんだとも。自分を正しいと確信している人間は、実際に正しかろうがそうじゃなかろうが受け付けないよ」
「俺を倒したお前が悪党で、本当に良かった」
「つららさんも、君が悪党で本当に良かったよ」
「……お前が来るのを、地獄で待ってる」
彼はそう言い残すと、安らかな表情で息を引き取った。つららは氷で造花を作り、それを彼の真横に添えた。
「さぁて、そろそろ寧々ちゃんを迎えに行かないとね」
彼女は廃墟の闘技場を去り、ステアの本部へと向かった。
*
こうして便利屋の二人は大金を獲得した。情報屋の寧々も、ステアの情報を洗いざらい売り飛ばしたことにより多額の利益を得た。あれから約一週間が経ち、彼女は再び便利屋を訊ねた。今回の訪問は、クライアントとしての訪問ではない。
「私をここで働かせてください!」
そう――彼女は便利屋の二人の生き様に魅入られたのだ。つららは少し難色を示していたが、寧々の頼みを断り切れない様子だ。
「やれやれ……止めても無駄って感じのツラ構えだね。好きにしたら良いと思うよ、自殺志願者ちゃん」
便利屋のメンバーが一人増えた。