廃墟の闘技場
治人はつららを連れ、廃墟の闘技場へと赴いた。錆びた金網のフェンスは試合場を囲い、その周囲には観客席が広がっている。試合場の床の至る所には、血の染み込んだ跡が残っている。
ここが二人の決戦の場だ。
治人は指先から雷を放った。雷はつららの腹を貫き、その背後の金網に大きな穴を開けた。彼女の腹から立ち込める煙は、治人の雷魔法の並々ならぬ威力を物語っている。ここで対策を講じなければ、彼女に勝ち目はないだろう。
しかし、ここで知恵が働くのがつららという少女である。
(電流の伝わる速さはほぼ光速……よって、雷魔法を普通にかわすことはほぼ不可能だと考えて良い。ならば、電気をこちらに通さないことを最優先して戦うのが妥当だと思われる。したがって、電気を通さない液体……エタノールで出来た氷で防壁を作って、雷を防げば良い)
彼女はすぐに、自らの周囲に氷の防壁を作った。通例、自然界に存在する液体には不純物や電解物質が交ざり、それゆえに自然界には完全な絶縁体など存在しないと言われている。しかしこの防壁は、魔法によって作りだされた純度百パーセントのエタノールだ。つららが咄嗟に生み出した防壁は、何発もの電撃を無力化していく。
治人は次の戦法を考える。
(純度百パーセントのH2Oは電気を通さないと聞く……やはり魔法で作られた氷には電解物質が含まれていないのかも知れないな。やはり氷を溶かすなら、炎を用いるのが妥当だろう)
さっそく、彼は右手の掌に炎を溜めていく。エタノールの融点は摂氏マイナス百十四・一度――――それを溶かすことは至って簡単だ。加えて、エタノールは引火性の高い液体でもある。
もっとも、つららに限ってその程度のことを見落とすことはまずないだろう。彼女は極めて優秀な魔術師だ。
彼女が治人の頭上に雪を降らすや否や、彼の右手は激しく爆発した。
「ぐっ……」
彼は水を作りだし、即座に炎を消火した。これにより被害を最小限に抑えることは出来たものの、彼は右手に致命傷を負ってしまう。
つららは不敵な笑みを浮かべた。
(この雪は、二硫化硫黄で出来た氷の粉末さ。コイツは引火性があるだけでなく、呼吸器に悪影響をきたす毒性を持つ。消火したり、仮にそのまま粉末を蒸発させたりしたところで、二硫化硫黄はガスとなって空気中を漂うことになる)
それが彼女のもたらした雪の正体である。彼女は腹部に致命傷を負っているが、治人は右手と呼吸器に致命傷を負っている。どちらも死と隣り合わせであると言っても過言ではないだろう。
「一体、何をしやがったんだ……嬢ちゃんよォ」
「それがバレるまでは、何度でも同じ手を使えるねぇ」
「なるほど、どうやら野暮な質問だったようだな」
廃墟の闘技場は、緊迫した空気に包まれる。
つららの目の前が眩い光に覆われたのは、その直後のことであった。
(光魔法の……目くらまし⁉)
光から目を背けるや否や、彼女は灼熱の炎に呑み込まれた。燃え盛る炎の中からは、彼女の悲痛な叫び声がこだましていた。治人はそこから更に畳みかけるように、彼女の方へと何発もの雷魔法を放っていく。
「狭い世界で生きてきたガキ一人が、裏社会の頂点にまで上り詰めた俺を倒せると思ったか? 俺の生きる世界では、数多の悪意と欺瞞がひしめき合っている。チャチなペテン師の相手なんざ、日常茶飯事だ」
「でも、さっきの爆発の正体はまだわからないんでしょ? つららさんには、この手の切り札なんてごまんとあるんだよ」
「威勢だけは褒めてやろう。だがお前の体も限界だろう。そろそろ、意識が薄れてきた頃じゃねぇか?」
「口の利き方には気をつけた方が良いよ。つららさんを見くびると、痛い目を見ることになる」
……つららはそう言ったが、彼女の体は悲鳴をあげ始めている。体中から滴る鮮血と、薄れゆく意識。当然ながら、麻薬組織のボスともあろう者がつららを見逃すはずはない。治人は自分の手元に金色の大剣を作りだし、彼女の方へとにじり寄っていく。その刀身には高圧電流がかかっており、大剣は凄まじい光を放っている。更に、彼はつららの足下に土と水を生成し、それを練り合わせて簡易的な沼を生み出した。沼は重力を無視した挙動でうごめき、彼女の身を拘束していく。沼からは何種類もの有毒植物が生え、それらは彼女の肉体に絡みついていく。
――――絶体絶命だ。