ボスとの対面
男は吸い終わった煙草を灰皿に押し付け、コーヒーカップに手を伸ばした。コーヒーをゆっくりと飲んでいく彼の姿には、優雅という言葉がよく似合う。彼は非常によく落ち着いているが――
(エドは俺が勝つことを前提としていなかった。つまりあの便利屋は、俺の命を脅かす存在となり得るわけか)
――命の危機を目前としている。男がくつろぐ中、さっそく部屋の扉は勢いよく開かれた。そこにいたのは二人の少女――つららと寧々である。男は不敵な笑みを浮かべつつ、ちょっとした冗談を言う。
「嬢ちゃんたちの親は、ノックの仕方も教えてくれなかったのか? 育ちの悪さは隠した方が良い……恥をかくぞ」
無論、彼は相手が強敵であることを知っている。何しろ、つららはエドがわざわざ生かしておき、なおかつ「勝った方が僕と戦う」と言っていた相手だ。少しでも気を抜けば殺されかねない。
「ノックなんてしなくて良いよ。だって、つららさんはこれから君をノックアウトするんだから」
「なるほど、威勢のいい女だ。お前の話はエドから聞いている。アイツが人を強敵と認めるのは珍しいことでな……お前の強さはアイツに保証されたも同然だ。誇った方が良い」
「そいつはどうも。命令に背くような部下の言うことを信じるなんて、君はお人好しだねぇ。もしかしたらエドくんは、君のことを裏切ってつららさんの味方になっただけかも知れないのに」
「アイツの行動原理は闘争心だ……その軸は絶対にブレねぇよ。人間がネズミを駆除するための猫を家に置くように、俺も外敵を駆除するためにエドをステアに置いている。要するにアイツは、はなっから誰の味方でもねぇのさ」
「……まあ、なんとなくそんな気はしていたよ」
つららはエドと戦い、対話した身だ。彼女はそれとなく、あの少年の人間性を掴み始めていた。
そんな彼女の袖を軽く引っ張りつつ、寧々は言う。
「必要な情報は手に入りました。撤退しましょう」
元より、今回の寧々の仕事は麻薬組織の情報を仕入れることであり、便利屋に依頼した仕事はあくまでも護衛である。無益な争いは避けるべきだ。
――――無論、それが本当に無益である場合に限る。
つららは戦闘の必要性を理解していた。
「組織の情報を把握している人間を、コイツが生かすと思うのかい? 組織の幹部を二人も殺した便利屋を、始末しないまま面目を保てるのかい? 裏稼業を生業にする者にとって、面子を保つことは非常に重要なんだよ」
「し……しかし……」
「もちろん、つららさんにだって保つべき面子はある。さあ、もったいぶらずに教えて欲しい。コイツはどんな魔法を使うんだい?」
もはや戦いは避けられない。相手が死なない限り、己の安息は保証されない。寧々は深いため息をつき、男の情報について説明し始めた。
「彼は文上治人――ステアのボスにして、アルケミアの裏社会を牛耳る億万長者です。魔法には属性魔法と特殊魔法の二種類があるのはご存知ですよね?」
「もちろんだよ。つららさんやダイナくんは属性魔術師で、寧々ちゃんやエドくんは特殊魔術師だね」
「その通りです。そして、文上治人は全ての属性を持った属性魔術師です。木、炎、土、金、水、氷、雷、光、闇……彼はその全てを操ります」
「なるほどねぇ。自分の手札が多い分、相手の手札に対して相性の良い手札を選べるというわけだ」
「まさしくそういうことです。属性魔術師同士の戦いにおいて、この男に弱点などありません」
……普通に考えれば、この戦いはつららにとってあまりにも分が悪い。全ての属性魔法を持つ治人は、当然ながら氷魔法も持っている。言うならば、彼の魔法はつららの魔法の上位互換なのだ。しかし、つららの魔法は普通の氷魔法ではない。彼女の氷魔法は、本来ならば天敵であるはずの炎の魔術師にすら圧勝する。
つららには、治人を倒せるだけの自信があった。
「……取引といこうか。つららさんは寧々ちゃんを傷つけられると困るし、君はこの部屋を荒らされたら困るわけだ」
「まあ、そうだな」
「でしょ? だからさ、まずは場所を変えようよ」
「悪い話ではないな。ではすぐ近くにある廃墟の闘技場を使うとしよう。エドがこの前、たった一人で壊滅させた闘技場だ」
取引は成立した。治人は掌から二本の金色の鎖を飛ばし、その先端に手錠と足枷を生成して寧々の四肢を拘束した。
「お……おい! 寧々ちゃんは関係ないじゃないか!」
「……コイツが情報を持ったまま逃げだしたら厄介だからな。お前が俺を倒せば、この金魔法も解けるはずだ。さあ、移動するぞ」
「はぁ……わかったよ」
二人は部屋を後にし、ステアの本部を出た。