07 溢れ落ちる感情
――アンタにだけは、知られたくなかった……!
その言葉がやけに強く耳に残り、響く。
俺の中にあるのは、“俺だけには知られたくない”という嬉しくない意味での特別扱いをされたことに対する憤り――ではない。もちろん、それに近い感情があるのも認めるが、一番強い感情は“納得”だ。
もしも俺が彼女と同じ立場であれば、俺もまた彼女にだけは知られたくなかったと思うだろうから。
魔術師にとっての魔術は術者の精神を映し出す。
魔術の弱さ・未熟さは、即ち術者の弱さ・未熟さだ。
そんなことは一々口には出さない。きっと魔術師以外には分からない感覚だろう。
しかし、魔術師同士であれば当然理解している。
魔術の揺らぎや乱れは、自分で自分を律せていない証拠なのだと。
そんな醜い姿を、魔術を、晒したくない。ましてやその相手が志を同じくする仲間であれば余計に。
(頼りになる仲間だって思っていて欲しかった、か……)
俺は一度たりとも彼女を頼りにならないなんて思ったことはない。それこそ、この第10層でメイジタートルに阻まれたあの時だって。
スノウは天才だ。俺が心から尊敬する魔術師だ。彼女は第10層から心に痛みを抱えて、それでもそれを気付かせない程のパフォーマンスを見せてきた。熱情を抱えながらも、それを冷静に、強い精神力で抑えてきたのだ。
しかし、昨日の朝、俺は彼女がロッドに羨望の眼差しを向けている場面に出くわしてしまった。珍しくとも何気ないことだと思い、不用意に声を掛けてしまった。
魔術師にとっての武器選びは半分おまじないのようなものだ。杖を持ち替えたとしても、その杖で敵をぶん殴るわけではない。
どんな武器を手に持とうが、魔術を放つという点は何も変わらないのだから。
良い武器を持てば、より良く力を発揮できる――それは実際に武器を振るう戦士に比べれば微々たるものだ。
しかし、そのおまじないでさえも、魔術師の精神を研ぎ澄ますきっかけになるのであれば馬鹿にすることはできない。
ワンドは短く小回りが利く。例えるなら短剣だろう。
対し、ロッドは剣。ワンドよりも長く、小回りは効かないが手にしっかりと伝わる重みは安定感を生み、より強力な魔術を放つ手助けをする。
あくまで気持ちの問題。けれど、決して無視することはできない。
俺は直ぐに気が付くべきだったのだ。スノウがロッドに憧れていることは、即ち彼女がより強力な力を欲していたのだと。
どこかで、彼女は心配する必要なんて無いと思っていた。
優秀だ、天才だ――そんな憧れのような感情が、彼女を見る目を曇らせていた。
そして俺が無遠慮に向けたこの期待が、彼女を追い詰めてしまっていた。そんなことにも全く気が付いていなかった。
彼女がより強力な力を求めて焦っていることは、サンドラやサニィと話す中で辿り着けた。
だから、スノウはダンジョンに来ると読めた。しかし、それはあくまで武者修行……荒療治のためのヤケクソだと思っていた。
第10層から彼女が痛みを抱えていたなんて思ってもいなかった。
なんて間抜けなんだ、俺は。
最大の敵は自分自身なんて言葉がある。スノウを最も追い詰めていたのは、同じパーティーにいた俺だったんだ。
俺の期待が彼女を追い詰めていた。彼女の傷を抉ってしまっていた。
「スノウ……」
「謝らないで……!」
思わず口をついて出そうになった謝罪は、それを先読みした彼女の声に遮られる。
「アンタからの期待があったから、アタシはここまで来れた……。それを否定されちゃったら、アタシは……」
胸が強く締め付けられるほどに悲痛な叫びを上げながら、悲痛な感情を溢れさせながら、スノウは立ち上がる。
けれども、精神状態は先ほどよりも明らかに悪化してしまっていた。
「スノウ……っ!」
覚束ない足取りで歩き出した彼女を、俺は背中から抱きしめるように無理やり止める。
「今のままじゃ、無理だ。今のお前じゃ」
きっとこれは彼女の望む言葉じゃない。余計に彼女を追い詰める言葉だろう。
しかし、今の彼女ではメイジタートルどころか、今まで取るに足らない雑魚と思っていた魔物にも遅れを取ってしまうかもしれない。
そんなことになるくらいなら――
「やめて……やめてよ……! ここで立ち止まったら、もうアタシはきっと二度と歩けない……魔術師としてのアタシが死んじゃう……」
「それでも……それでも、スノウが本当に死ぬよりはいい……」
「勝手なこと言わないでよっ!?」
ああ、本当に勝手だ。最低だ。
身を捩り、こちらを振り返ったスノウと目が合う。けれど、彼女の顔はぼんやりと滲んでしまっていた。
「やめてよ、そんな顔……」
「立ち止まったって、いいじゃないか。できないことがあってもいい……生きているならそれで」
「アタシは魔術師だからストームブレイカーでいられるのよ……! それを捨ててしまったら、もうみんなと……アンタと一緒にいられない……! そんなの死ぬのと変わらないッ!!」
そんなことはない。そう言いかけた口が止まる。
そんな口先だけの言葉をぶつけたところで、彼女にとっては何一つ救いにはならないのが分かってしまったから。
しかし、それでも、この手は緩められない。
魔術師としては間違った選択かもしれない。俺は、素晴らしい才能を持った魔術師を殺そうとしているのかもしれない。
けれど……もしもここで彼女を行かせて、本当に死なせてしまったら――“あの人のように”帰らぬ人となってしまったら――
たとえ才能を殺したとしても、二度と立ち上がれなくなってしまったとしても……生きていて欲しい。
嫌われてもいい。二度と笑顔を向けてくれなくてもいい。それでも、生きていればきっといいことがある。死んでしまったら、何も残らないのだから。
「帰ろう、スノウ……」
「いや、いやよ……アタシ、アタシは……」
彼女の手を掴み、無理やりに引っ張って歩き出す。この層の入り口、ワープポイントに向かって。
幸い魔物は現れてはいない。今なら――
(魔物が、現れない……?)
さっきも一瞬浮かんだ疑問。
しかし、そのあまりに異様な状況に妙な違和感を抱いた。
散々に騒いで、時間も経って……それなのに魔物が現れないどころか、その気配さえも感じない。こんな状況は今まではなかった。ここは確かに魔物が出現するエリアの筈なのに……!
――ゴゴ……ッ!!!
「ッ!?」
「な……なにっ!?」
突然、地面が大きく揺れた。
局所的なものじゃない、階層全体が揺れている。
「スノウ、掴まれ! 絶対に手を離すな!」
「も、モノグ……!」
魔物が現れない以上の異変を前に、俺達は互いに抱き支え合いながら、その場にしゃがみ込む。
階層全体が軋み、轟音が響き渡る。激しく上下する視界の気持ち悪さに、たまらず目も強く閉じて――いつしかその揺れに意識さえも奪われていった。





