落日の時代
国を思う気持ちだとか、公共の正義を願う心だとか、そういった薄ら寒い抽象的な理想に命をかける情熱を生み出す基盤である、ある価値観をビルトインされえなかった時代と環境に生まれ落ちてしまった、この悲しさよ。
理想や調和といった、個々にあるものたちを統合するものの恣意性と暴力性があばき出されてしまって幾年月……。
理想を捨てて、勝ち取ったはずの個々人の実存の価値にさえも、冷笑でもって応対してしまう、私。
大文字の価値モチーフからも、そして自己の実存からも剥離してしまった、私。
自己からも剥離した私は、一場の饗宴に身を委ね、刹那的な感触を楽しんだ。だが、そんな態度も夢から醒めれば、最も唾棄すべき振る舞いだったと思いなす。
私は、はるけき昔日の理想に憧れる。しかし、多様性と相対思考によって自己を崩壊せしめられた、そんな私が、どうやってすべてを統合する価値を見つけ出すんだ?
生きてきた年月が私の振る舞いを縛り、身動きが取れないほどだ。
これを臆病と言うなかれ。
ただ、不幸と呼んでくれ給え。
すべての価値がそこに帰りすべてのものの基盤であったはずの、あの具体的な事実と感触に満ちた自己の実存さえも失った、自己喪失の病。
かつての時代においては何らかの価値に絶望しても向かうべき別の価値があった。信仰の兆しがあった。彼らの世界はモチーフに溢れていた。何かを掴み取ればよかった。
だが、今の時代はどうだ、すべてが瞬時に脱価値化される可能性に脅かされている。
そして、そんな現実から目を背けることさえも、奪われた。なぜなら、それはもうすでに前の時代において行われたから。
私達は現実という暴力に、毒酒にかわってしまった理想でもって、戦わなければならないのだ。