忍び寄る危険
「見つからない、どうしよう帰ってこないよ」
ユノがオロオロとして、落ち着きなく歩き回る。ロウは、腰に差していたナイフを乱暴に引き出しに放り込むと、そのままの勢いでどかっとイスに座った。
「くそっ、あいつ勝手しやがって」
「違うよ、明日香はそんな子じゃない。誰かに連れ去られたんだ。人間に見つかったんじゃないかな」
「ここで生きていける人間が、そうそういるわけねえだろ」
「そんなの分かんないじゃん。だって、バッファーゾーンのことだって、今日初めて聞いたのにっ」
ユノの言葉に、ロウが反応した。
「ナスダリ博士んとこ、行くぞ」
「え、あ、そうか、そうだね。何か、知ってるかもしれないし」
ロウが、イスにかけてあった布を無造作にユノに巻きつけると、ユノのカバンの中へと、机の上に置いてあったバナナケーキの包みを放り込んだ。
「明日香に食べさせるんだろ」
「うん、うん‼︎」
ユノが、布をしっかりと腰紐に入れ込んで身体を覆うと、二人は家を出て森へと入った。途中までは学校への道と同じだ。慣れた道だが、ランタンがなければ、足元も覚束ない。
(こんな暗い中、明日香、おまえどこに行っちまったんだ)
ロウは、ランタンを持つ手に力を入れた。明日香を拾って、二週間が過ぎていた。
✳︎✳︎✳︎
「なんだね、一体。こんな遅くに何の用だ」
肩にチェックのブランケットを掛けて出てきた男は、夜中の突然の訪問者に、少なからず立腹していた。ブランケットを羽織っていても、まだ夜風は冷たくて、男は仕方なく、来訪者を中へと招き入れた。
睡眠を妨げられ不服な気持ちはあるが、ドアをドンドンと乱暴に叩かれては、おちおち眠ってはいられない。
玄関先で向かい合うと、「何の用だね」と乱暴に言った。
「こんな夜にすみません。どうしても、あなたのお耳に入れたいことがありまして」
来訪者は、ごそごそとカバンの中身を探ると、何か細長いものを出した。中からスラリと引き抜くと、男はそれを見て仰け反り、悲鳴をあげて後ろへとしりもちをついた。それは、長いナイフだった。
「な、なんだね、何をするつもりだ」
来訪者は、じりっと男に近づき、ナイフを握り直した。そして、高く振り上げた。
男が、両腕を前に出して防御しようとすると、来訪者が男の上へと馬乗りになり、その両腕を払いのけて、ナイフを振り下ろそうとした時。
「博士っ‼︎」
飛び上がるような大きな声に、来訪者が後ろを振り返ると、そこには二人の男が並んでいた。
それを見て、退路がないことを悟ると、廊下に寝転がっている博士に再度、ナイフを突き立てようと大きく腕を振り上げた。
「ひぃっ」
悲鳴が上がった。
ロウは一瞬で、馬乗りの背中へと自分の身体ごとタックルをした。ナイフを持った男とロウは、そのまま博士の頭の上へと、もつれながら倒れ込んだ。
ロウがさらに、男の手首をねじり上げ、そのナイフを落として取り上げると、男は部屋の中へと逃げ込み、ガシャンという激しい音とともに、窓を破って逃げていった。
「大丈夫か」
ロウが、ナスダリ博士を起こす。ユノも駆け寄って、声を掛けた。
「ケガはないですか?」
博士はロウの手助けで起き上がりながら、「キミたちは?」と言った。まだ、声も震えていて、足元もよろよろと覚束ない。ロウは博士を抱え込むと、ソファへと座らせた。部屋が薄暗かったので、ナスダリ博士の指示で、部屋を明るくした。
「殺されるところだったぞ。助かったよ」
ユノがコップに注いだ水を渡すと、一気に博士は飲み干した。ふはっと開けた口の中で、鋭い牙が見えた。それが、ナスダリ博士の獣人の部分のようだ。
「しかし、一体、どういうことだ」
「ボクはシモン大師の生徒のユノです。こっちは、ロウ」
「おお、シモンの教え子かね。それが何の用だったかな。あ、ちょっと待ってくれ。警備会社に連絡をせんと……」
ナスダリ博士が警備会社へと通報すると、直ぐに警備員が駆けつけて、割られた窓をはめ変えたりドアのカギを厳重にしたりした。
その間に、ロウとユノは、ナスダリ博士に話を聞いた。
「確かに昔、わしは『人−人族』について研究をしていたが、もう今はやっとらんよ。時代に合わないんだ。徐々に広く禁止され出したし、肩身も狭かった。随分と嫌な思いもした。それは、シモンも同じだろう」
「気は進まないようでした」
「そうだろうよ。逮捕の一歩手前までいった。もう限界だと言って、この研究を手放したという経緯があるからね。今だに政府の監視が時々、顔を出してくる」
「何で、政府が……」
「国民を管理するのは、いつの時代でも政府組織だよ」
「じゃあ、さっきのも?」
「単純にイエスとは言えんがな」
「バッファーゾーンは、どこにあるんですか?」
ユノが痺れを切らして、言った。
「それを知ってどうするのかね?」
「どういう場所なのか、この目で見てみたいんです」
「そんな理由では、教えれんよ。シモンの教え子を危険に晒すわけにはいけない」
その言葉で、ユノの身体がびくりと反応した。
「そんなに……危険な場所なんですか?」
恐る恐る、訊く。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」
「それは、どういう、」
ロウが言いかけるのを手で制しながら、ナスダリ博士は自分で淹れたスープを飲み干した。
「とは言っても、わしもバッファーゾーンに行ったことがないんだよ。何度か、行こうとして探したんだが、結局たどり着けなかった」
「え、それはどういう?」
「おまえたちも知っているここの三つの世界は、常にその住人に合わせた環境をドームによって整えているが、管理しているものは何だと思うかね?」
「政府、ですか?」
ユノが、それこそそれしかないというような雰囲気で訊き返す。
「いや、違う。たった一つの偉大なる意思、メインブレインだよ」
ロウはじっとりと手に汗をかいていることに気がついた。それを自覚して、手を握る。
「メインブレイン……」
「ああ、偉大なる意思だ。それは自分の頭で考え、自分の手足のように色々な分野の機械を操り、管理する。それが、それぞれの環境を適度に保っているのだ」
「じゃあ、この気温や空気濃度や湿度とかは……」
「そうそう、さすがシモンの教え子だな。飲み込みが早い。そのメインブレインが維持管理している」
「スーパーコンピューターみたいなものですか?」
「ああ、そうだな。イメージとしては、そんなところだ」
ロウとユノは、顔を見合わせた。
「そして、その三つの世界が交わり、その環境が混ざり合って調和された場所がバッファーゾーンってことですね」
「そうだ。三つの種族全てが共存できるという、素晴らしい環境なのだ。わしらはそこをミックスと言っておった」
「そんな場所があるなんて……思いもしなかった」
ユノが少しだけ青ざめた顔で呟いた。
「今の教育には含まれてはおらんからな。けれど、ミックスについて詳しいことは政府以外、誰も知らないはずだ。居心地が良くて帰れなくなるのか、それとも三種族の共存が思いのほか難しいのか……詳しいことはわからん」
「もし共存できないとしたら、どうなるんですか?」
「争いが起こるだろうな。強者が勝つか、はたまた全滅かってとこだろうか……」
「じゃあ、明日香はっ、」
「ユノっ‼︎」
青ざめていたのはユノだけではなかった。ロウもまた、同じような顔色になっている。
「博士、それはどこにあるんですか? 教えてください、お願いします」
ユノが頭を下げた。身体は震えて、耳がみっともないくらいに垂れている。
「……お願いします」
ロウも同じように頭を下げた。視界が揺らぐ。息がうまく吸えていないのが原因だろうか、さっきから少しだけ息苦しい。ちらとユノを見ると、下げた頭がロウと同じようにゆらゆらと揺れている。それは空気が薄いなどの環境のせいでなく、ただただ二人の中の明日香の存在が、二人の呼吸を早めているだけだった。
(早く、見つけ出さないと)
嫌な予感を感じているのは、きっとユノも同じだろう、そう思うとロウの気も焦るのだった。