月もなく、星もない
この夜、明日香は寝室の窓を開けて、夜空を見上げていた。
(この世界の星や月はどこにいっちゃったのかなあ)
側に置いてあるランタンの灯りを感じながら、頬づえをつく。
違うことを考えようとしても、もうそのことで頭の中は占められていて、明日香は何度も顔を崩していた。
(最初からこの世界に生まれていたのなら、星や月が無くても当たり前なんだろうけど……その存在を知っちゃってるから、空に光がないだなんて、寂しくて仕方がない)
涙が頬を伝っていく。
(ロウがいつも側にいてくれたのに。ここへ来て不安ばっかりだった時も、どうしていいか分からなかった時も、いつも側にいてくれて。いてくれるのが、当たり前になってて……)
あまりの暗闇に、吸い込まれそうになる。
(ママの夢を見た、あの時だって……)
明日香は、暗闇を見つめ続けた。
✳︎
「ロウ、」
「どうした、眠れないのか?」
優しさがにじみ出るような、声。ドアの隙間から覗いていた明日香は、その声でほっと息を吐いた。
「うん、」
「腹が減ったのか?」
ふふっと笑いながら、首を左右に振る。
「元いた世界のことでも、思い出したのか?」
「う、……うん」
「家族のことか?」
親のいないロウに遠慮して、普段からその話はしないように心掛けていた明日香だったが、久しぶりに見た夢に母親が出てきて、胸がいっぱいになってしまった。
「ママの夢を見ちゃって」
「こっちにくるか?」
「いいの?」
もともとあったロウのベッドを、明日香が来てからは明日香に明け渡す格好になっていて、ロウはキッチンの床に敷いた毛布で眠っていた。
ロウが毛布から出て、床の上にずれる。
自分が寝ていたところをぽんぽんと叩いて、明日香を促す。
「あ、いいよ、ロウは布団で眠って。私が、床に、」
側に座り込んだのを、腕を取って引っ張られた。
「いいから、ここで寝ろ。オレはこっちでいい」
ぐいっと引き寄せられ、素直に横になる。上から毛布を掛けられ、ほわっとロウの体温を感じた。
「ありがとう、ロウ」
「明日香、おまえがいた世界は、どんな世界なんだ? こことは違うのか?」
毛布を半分ロウへと掛けると、明日香は、んーっと言って考え込んだ。
「そうだなあ、ここと違うところっていうと……そうだ、たくさんのお店があるよ」
「三国会議に行った時、『人−人族』にあったような店か?」
「そうそう、そういえば私、服を買ったんだっけ」
「ああ、すごく……似合ってるやつな」
明日香はロウを見た。すると、ロウも明日香をじっと見ている。グレーに縁取られた瞳が、宝石のように光る。ともすると、吸い込まれそうな気がして、明日香は照れたように、目を伏せた。
「ああいう服のお店もあるし、美味しいものを売っているスイーツのお店もあるよ。アイスクリームとか、プリンとか」
「アイスクリーム?」
問われて視線を上げると、やはりロウの視線と絡み合う。ウェーブのかかった前髪が、ゆらっと小さく揺れた。
「うん、冷たくて甘いの」
「バナナより好きなのか?」
ドキッと、胸が鳴る。
「バナナ、より好きかなあ」
途端に、ロウが悲しそうな表情を浮かべ、明日香は、え、と思った。
「そうか、」
明日香は、ようやく思い至った。ロウが、いつもバナナを近くの畑の地主に貰いに行っていることに。慌てて、明日香は言葉を続けた。
「あ、でもバナナも好きだよ‼︎ 甘くて、美味しいもんね」
すると、ロウが苦笑いを浮かべながら、「オレはうまいとは思えないけどな」と言う。
そのロウの顔を見て、明日香はほっと、心で思った。
(ロウを困らせたくない。嫌な気持ちになって欲しくない)
「それで、おまえの家族の話だが、」
ロウの言葉で、はっとする。
「ううん、もう大丈夫。少し思い出しただけだから」
「そうか?」
ロウが覗き込むようにして、顔を寄せてくる。いつのまにか毛布が全部掛けられていて、明日香は泣きそうになった。
「もう大丈夫」
けれど、ロウは話を続けた。
「オレは親がいないから、ユノが家族のようなもんだけど、明日香もオレやユノを家族だと思ってくれたらいいと、オレは思ってる」
胸が熱くなる。
「うん、」
明日香は笑顔で頷いてから身体を起こすと、ありがとう、おやすみと言って、寝室に戻った。ベッドに潜り込むと、涙がじわっと滲んできて、眠気をどこかへ連れ去ってしまった。そうして、その日は眠れない夜になったが、心は温かく、満たされていた。
✳︎
そんな風に過ごしてきた日々。ロウの優しさが、いつのまにか自分の中に詰め込まれていた。
(私にはロウが必要なのに。大好きなのに)
漆黒の空。何も目には映らない。それほどの深い闇夜の下で、涙だけは流れていく。
(それでも、ロウから家族を奪えない。そして、ユノからも)
明日香は声が出てしまいそうになる口を手で押さえると、窓際で力なく崩れ落ちた。床に座り込むと、ひやりとした冷たさを感じた。
悲しくて悲しくて仕方がなかった。家族の元へ帰るというのに、その一方では大切に思ってきた「家族」を失ってしまうのだ。
心臓をもぎ取られるような痛みを感じ、明日香は顔を歪めて泣いた。




