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別離

「私にできることなんて何もないって、言われたあああ」


明日香がガクッと頭を垂れているのを見て、ロウはそっと肩を抱いた。


「ゆかりは毒舌だからな。けれど、他意はないぞ。思ったことをシンプルに口にするから、それがキツい言い方になってしまう時もあるが、悪意は含んでないから、な」


抱いた腕に力をそっと込めると、明日香の身体の細さが意識されて、ロウの胸がどっ、と鳴った。その華奢な身体。細い手足。白い肌。イェンナよりは黄味がかっているが、その色が日本人の特徴だということは、すでに知っている。


(日本人ってのは、積極的だったな)


明日香の大学に様子を見に行っていた時には、何人もの女に声を掛けられた。言っている意味は分からないが、顔の表情で好意を寄せられていることは分かった。


(あの男も……)


明日香につきまとっていた男を思い出す。明日香にベタベタと触って、ロウの怒りを買っていた。


(しつこかったな)


明日香の腕を引っ張っていたことも思い出された。ムカムカとした怒りが内側からせり上がってくる。

ロウは、肩に回していた腕に力を入れて、ぐいっと明日香を引き寄せた。


(アイツ、明日香を狙ってたな)


顔はどうだったか、あまり思い出せない。


(カッコ良かったか? お、オレより? ど、どうだったかな……頭はいいのかな)


ロウも負けじと、オレだって学校では首席だったぞ、と思い直すが、途端に自信がなくなってくる。


(明日香もアイツに笑いかけていたっけ。くそっ)


ロウは、今度は両腕に力を込めた。


(いや、でもアイツの前で、オレを好きだって言ってくれたよな)


「……ロウ、」


明日香の名前を呼ぶ声に我に返る。すると、いつの間にか両手で明日香を抱き締めていたことに気がついて驚いた。


「うわっ、す、すまんっ」


「ううん、このままで良いんだけど、」


明日香が、そのまま腕を伸ばして、おずおずと抱きついてくる。ロウは、真っ赤になっているだろう顔を隠す為にも、ぐっと明日香を抱き締めた。


明日香の首元に顔を埋めると、ロウはくらくらとめまいを覚えた。


「あのね、このままで良いんだけど、ひとつだけいい?」


「ん、」


「鴨池くんより、ロウの方が顔もカッコ良いよ」


「……声に出てたか?」


「うん」


そう言うと、明日香がぎゅっと縋ってきて、ロウの中は一層混乱してしまった。


✳︎✳︎✳︎


『本当に、明日香はすごい子ですね。あなたに、やーめたって言わせるなんてね』


「まあね。私ももう、この姿も限界になってきたし、そろそろセルフ=フィーリングが始まりそうだから、時間の限りもあるしね」


『あなたは、よく頑張りましたね』


「ありがとう。最期に褒められるってのも、悪くないわ」


『これからは、私独りになってしまうのですね』


「うん、そうだね。でも、私は嬉しいよ。だって、ナスダリ博士の元に行くんだもの」


『ふふ、あなたって人は本当に、博士のことが好きなんですね』


「こんなにも好きになるなんて誤算もいいとこだよ」


『羨ましい気もします』


「ねえ、あなたを置いていってごめんね。私たちは、二つで一つだったのに」


『いいえ、あなたの選択は間違っていないと思います』


「『双樹』、今までありがとう」


『ゆかり。いえ、『双樹』。こちらこそ、永遠のような長い時間、一緒にいてくれてありがとう』


「うはあ、最後の最後で、何で日本名で呼ぶかなあ」


『ナスダリ博士によろしくお伝えください』


「了解〜‼︎」


✳︎✳︎✳︎


「ねえ、ゆかりさん。それしか方法が、ないんだね」


「私、もうやーめたって言ったでしょ。だから、セルフ=フィーリングは中止。これで異常気象は止められる。その代わり、私は向こうの世界から手を引かなければならないの。今まで、『双樹』が行ってきた世界の環境の管理も、地球や人間自体の自助努力に任せるしかなくなる。だから、もしかすると愚かな人間たちによって、もっと酷い環境になっちゃうかもよー」


ロウの留守を見計らって、明日香とゆかりはテーブルについて、話をしていた。コーヒが入ったマグカップを手で包み込む。すでに温くなってしまった温度が、手にほわっと伝わってくる。


「ゆかりさんがもう一つの『双樹』だったなんて……」


「コタローも知らないわ。これは誰にも秘密なの」


「でも、私に話したってことは……」


「あんたが『双樹』に最後に頼んだ願いを、聞くためだよ」


「どうして、」


「色々とうるさいわねっ‼︎ でもまあ、教えてあげる。私が向こうの世界をコントロールするのに疲れちゃったってのもあるけど。あんたのことが好きだからよ」


「はえっ????」


明日香の驚き顔を見て、ゆかりはぶはっと吹き出した。


「その顔、笑える……まあ平たく言えば、不本意ながら意外と私があんたのことを気に入ってるってこと。最後にお願いを叶えてあげちゃってもいいかなってくらいにね」


ゆかりがマグカップに口をつけて、すすっと啜った。


「あんたが大好きなこのアシンメトリーワールドの両方を守ろうって言うんだから、感謝しなさいよ‼︎」


「ゆかりさあん」


明日香が両手を伸ばす。それをバチッとはたくと、ゆかりは染まった頬を隠すようにして、プイッと横を向いた。


「でもね。私がセルフ=フィーリングを止めて、向こうの世界から手を引けば、このアシンメトリーワールドの二つの世界は、完全に分断される」


はたかれた両手を引っ込めると、明日香はテーブルの上に置いてあるマグカップに視線を落とした。ゆかりの言った言葉の意味が、直ぐにも理解できた。ゆかりの声が、脳へと直接届いたような気がして、明日香は不思議に思った。


「行ったり来たりってのが出来なくなる、ってことだね」


「…………」


珍しく、ゆかりが口を噤んだ。


「なるほど、これは……」


明日香も言葉を止めた。何かを言おうとするが、何の言葉も見つからないし、出てはこない。


手元のマグカップを見る。けれど今、自分が何を見ているのかさえ、分かっていないのだろうか。虚ろな目に浮かぶのは、愛しいと思う存在。


「ロウ、」


その存在を呟く。それだけで、ぶわっと愛しさに包まれる。


「別れなきゃいけないんだね」


涙が一つ、ぽろっと零れ落ちた。


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