願い
「ミックスは、仲良くした分だけ、広げてもらうことになったよ」
「はあ?」
ジャファが、耳をピクッと立てた。手元にある本をバシッと閉じると、明日香をギロッと睨む。
「どういうことだ?」
それには御構いなしで、明日香は焦って言った。
「あ、ちょっと‼︎ まだ5分もやってないっ‼︎」
「こんな分厚い本、読めるかよ」
「っちょちょっと、『獣−獣族』の代表がナスダリ語を喋れなくてどうすんのお」
明日香は頬を膨らませ、無理矢理にも本を開いた。けれど、ジャファは本から顔を背けて、ぷいっと向こうを向いてしまった。
「ジャファってばあ」
ジャファはその言葉で直ぐにこっちを向くと、「顔がなあ、なんか笑えるんだよなあ、あははは」
「し、失礼なっ‼︎」
「なあ、明日香。オレは喋れなくていい。『獣−獣族』の族長には、ルリがなるんだ」
「え、あ、あえ?」
「あははは、オマエなんて顔してんだ。ぶはは」
「る、ルリさんが?」
「ああ、イアンの妻だ。おかしくはない。くくく、いや、オマエの顔はおかしいがな」
「まったくなんだよもうっ‼︎」
最近のジャファは毒気を抜かれたような顔をしていて、明日香は笑いながらも、そのことを気にしていた。明日香の心配顔に気づいたのか、ジャファが改めて話し始めた。
「オレは間違った。大半の獣たちは、この戦いをオレが煽動したと思っている。みなを巻き込むつもりは毛頭なかったんだが、オレは人が嫌いでなあ。そんな人ってヤツを叩きのめす機会が来たのだ思うと、俄然やる気が出てしまった。それがそんな風に取られるとは思いも寄らなかったがな」
「……ジャファ」
ジャファはそんな自分の行動を後悔していることがわかるような、苦渋の表情を浮かべて言った。
「愚かだった」
仲間を失った痛みは、きっとこれからも続く。
「誰でも、間違えることはあるよ」
「ふん、オマエでもあるのか?」
「あるよ、ある。たくさん、あるよ」
「あっさり認めるんだな」
ジャファは苦く笑い、続ける。
「それよりさっきのは、どういうことなんだ?」
「うん、」
明日香は、『双樹』と話をした時のことを思い出した。ふうっと気持ちを整えると、正座し直し真っ直ぐと向き合う。そんな様子を見て、ジャファが同じように明日香を見据えた。
✳︎
あの日。
ゆかりの後をついていき、『神の一歩』に出た時、明日香は息を呑んだ。すでに倒れた獣や人たちの弔いが終わり、一見すると何の変わりのない光景がそこにはあるように思えた。けれど、草木はなぎ倒されて踏みにじられ、所々はげ上がっている大地。黒々と染みついた血痕は、壮絶な戦いを思い起こさせる。以前と同じの『神の一歩』とは、到底言えない有様だった。
「…………」
明日香は口を結んだ。一言でも言葉を発してしまうと、抱え込んだものの大きさに潰されるようにして、たくさんの何かを吐露してしまう。
結んだ唇を噛む。痛みが脳へと信号を送る。
(そうだ、何もできないと思っていたら、本当に何もできなくなる)
それではダメなんだ。皆んなの力になるためには、自分にできることをやらないといけない。
明日香はゆかりの背中を追いかけるように、前へ前へと進んでいった。
『双樹』に着く手前。
ゆかりが振り返って言う。
「ねえ、悪いんだけど、ここからは私たち二人にして」
「それは、できない」
ロウがすかさず返事をする。
「まだ、戦いの火種がくすぶっているかもしれない。明日香やおまえを危険な目に合わせるわけにはいかない」
厳しい目をして、ロウが主張した。隣にいるコタローも不安げな顔を浮かべている。
「大丈夫よ、私がついてるから」
ゆかりが返すと、ロウがさらに口を出そうとした。それを遮るようにして、明日香は一歩前へ出て、力強く言った。
「ロウ、コタロー。大丈夫だよ。私、行ってくる。ここで待ってて」
「明日香っ」
「ロウ、大丈夫。『双樹』を説得してくる。できるかどうかはわからないけど、精一杯頑張るから」
「あんたねえ、説得するって、一体何をよ?」
ゆかりが腰に両手を当てて、呆れた口調で言った。口の端を上げて、首を振る。
明日香は、鼻の頭を人差し指で掻くと、「あはは、それがよくわかんないんだけども……」
ゆかりはそれを聞いて、はああ、と呆れた溜め息を出した。
「だけど、この世界が良くなるように、一度話してみたいの。皆んなが平和に暮らしていけるように、相談してみたいの」
「相変わらず、他人任せだわねえ」
ゆかりの皮肉を、うん、そうかもしれない、と真正面から受け取ると、明日香は続けて言った。
「もし、『双樹』に任せられるのなら、そうしたい。けど、それができないなら、そうなるように説得しなきゃ。私なんて、何にもできない。ちっぽけで無力だもん。だから私の言うことなんて、聞いてもらえないかもだけどね」
あはは、と頭を掻く。
「それにだよ、もしかしたら言葉が通じないかもしれないしね」
「大丈夫だ、明日香。オマエはこの世界の通訳者なんだからな」
「そうだよ、明日香はボクが使い魔としてつくくらいの重要人物なんだから、自信持ってよ‼︎」
ロウとコタローの言葉に、明日香は少し照れた顔でありがとうと礼を言った。けれど、直ぐに照れた顔を真剣なそれに変えると、明日香は途端にそわそわし始めた。
「……え、明日香、どうしたの?」
コタローが、眉を寄せながら訊く。
「あえ? ……う、あ、えっと」
明日香の変な反応に、ロウ、コタロー、ゆかりの三人の表情が曇る。明日香の顔が明らかに赤くなっていく。
沈黙が重苦しくなってきて、コタローが声を掛けた。
「さあ、明日香、行っておいでよ」
明日香の顔がさらに赤くなった。
「そ、そ、その前に……と、トイレ行っていい?」
三人が同時に、はああっと溜め息を吐いた。
✳︎
ゆかりと二人で『双樹』の後ろへと回り込む。大きな大きな巨木なので、後ろ側に回るのも意外と時間がかかる。張り巡らされ、盛り上がった根っこに足を取られないようにと、明日香は注意して歩いた。
「しっかし、本当にスゴイねえ」
「この貫禄になるまでに、随分と時間が掛かったけどねー」
ゆかりが『双樹』に手をついて、ポンポンと軽く叩いた。
明日香はその場に立ち止まり、上を見上げた。
所々から出ている枝葉が、緑陰を作っている。生い茂る葉の間からチラチラと太陽の光が落ちてきて、明日香の目を熱くする。
(さっきはあんなこと言っちゃったけど、私にできるのかな)
思うと、自信が無くなってくる。
見上げていた顔を戻すと、今度は足元を見た。根っこに掛けた足が、不安定にふらふらと揺れている。
(大丈夫なのかな)
明日香は、手を添えている『双樹』を改めて見た。小さな昆虫が、明日香の手の周りをうろうろとしている。
(迷ってるヒマはないよね。やらなきゃどうしようもない。やってダメなら仕方がない。でも、やってないのに諦めちゃダメなんだよ)
自分を鼓舞するように、言い聞かせる。
(そうだ、ミックスを広げてもらって、ミックス弾きで亡くなる人を出さないようにする。話し合いを見守ってもらえるよう頼んでみる。それから……)
明日香は、ごくりと唾を飲み込んだ。そして、口を引き結ぶ。
(それから、もう一つの『双樹』に頼んで、セルフ=フィーリングをやめてもらう)
「他力本願だこと。セルフ=フィーリングは『双樹』の意思なの。『双樹』にや〜めたって言わせなければ、絶対に止められないわ」
ゆかりの言葉を思い出す。
明日香は、手に力を入れて握った。
✳︎
「ここら辺から入りましょう」
ゆかりが『双樹』に両手を当てて、目を瞑る。すると、幹のちょっとした裂け目が、バリバリと音も立てずに開いていく。
明日香は驚きの声を上げた。
「うわあ、中はこんなんなってんだあ」
ゆかりが開けた裂け目から覗く。その中にはたくさんのコードがはびこっていて、その合間を縫うように小さな光がチカチカと走っていく。金属部分はダイヤモンドに似た光沢があり、頑丈そうにできているのが窺えた。
「やっぱ、エレベーターはないのか……」
呟くように言うと、ゆかりが振り返って呆れ顔を寄越してくる。
「あはは、でもこれってどうやって入る……の?」
言っているそばから、『双樹』はその形を大きく変えていった。うねりながら、波打ちながら、くねくねとその身を曲げて、大きな空洞を作る。
ここからどうぞ、というような入り口がパクリと開いた。
「うわあ、すごっ‼︎ 自由自在だあ」
そのままあんぐりと口を開けていると、ゆかりに背中を押される。
「もたもたしてると、閉まっちゃうわよ」
「うへえ、ちょっと待って‼︎」
慌てて足をぐっと入れると、頭を低くして中へと入った。
「お、お邪魔しま〜す」
入り口は狭かったが、中は意外と広く、普通に立っていられる。けれど、動き回るスペースはなく、明日香は中心にある『双樹』に抱き着く格好となった。後ろからゆかりがぐいぐい押してきて、明日香は顔を『双樹』へと押しつける形になる。
「いででで」
「ちょ、明日香っ‼︎ もうちょ、詰めてっ‼︎」
「これで限界い」
「明日香、アンタ、案外……」
明日香が慌てて声を上げる。
「言わないでえええ‼︎」
「『ソウジュ』っ、もっと空間空けてよっ。これじゃあ、潰れちゃう」
『あらあら、ゆかり。あなたもちょっと太……』
「うるさいっ‼︎」
『明日香、初めましてね。よく来てくれました』
沁み入ってくるような何ともいえない心地の良い声に、明日香はうっとりとしながら、挨拶をした。
「初めまして。小日向 明日香と言います」
『ふふ、やっぱり日本語はいいわね』
「……なんか人間みたいに喋るんですね」
「『ソウジュ』は日本語が大好きなの。私には理解できないけどねー」
『明日香、よろしくね』
「あ、はい‼︎ こちらこそ、よろしくお願いします」
ゆかりに身体ごと押されているので、顔や首を曲げたりはできない。明日香は、『双樹』に顔をくっつけたまま言った。
「それで、今日来たのはですねえ。率直に言いますと……え、えっとお」
言葉が出てこなくて、しかも濁ってしまう。
けれど、ここで引き下がったら来た意味が無くなってしまう、明日香は心を決めた。
「あのですねえ……あの、た、助けてくださいっ‼︎」
一瞬の沈黙の後、背後のゆかりが声を上げた。
「……ええええ‼︎ ナニソレえ⁉︎」
『ぶはっ』
沈黙。
「あれ、……ぶはって言った。ぶはっってなった」
呟くが、さらに空気が重くなった気がして、明日香は焦った。
「あわわ、ご、ごめんなさい‼︎」
「明日香っ‼︎ 助けろって、どういうこと⁉︎ ちゃんと、頼みなさいよっ‼︎」
「そ、そうなんだけどっ‼︎ えっと……あっ‼︎ じゃあ、この世界を全部ミックスにしてくださいっ‼︎」
「ぎゃあ‼︎ また、そんなスケールのデカイことをっ‼︎」
「あややや、違くて違くて……じゃあ、皆んながナスダリ語を話せるようにしてくださいっ‼︎ このとおりっ‼︎」
「じゃあ……じゃないよっ‼︎ しかも、さらに無理難題っ‼︎」
『…………』
『双樹』のさっきからの沈黙。
「えっとえっとえっと」
はああああ、と大きな溜め息が背後から聞こえてくる。明日香は、さらに焦ると、じゃあ、と再度声を上げた。
「三国会議が開かれる度にミックスを広げていくってのはどう?」
「⁉︎」
これには、ゆかりも声を発することができなかった。明日香が、補足とばかりに続ける。
「仲良くすればするほど、ミックスが手に入るっていうご褒美的な、あれってことです……」
先ほどとは違う沈黙が流れた。
『うん、それはいい考えですね』
「え⁉︎」
「『ソウジュ』、あんた……」
明日香は、心臓がドキドキと脈打ってくるのを感じていた。もしかしたら、一歩前進するかもしれないと思うと、胸が苦しくなってくる。
「ナスダリ語は各種族で広めていくのを条件に、三国会議を開催して話し合いが成功する度に、ミックスを徐々に広げていってもらうってことにすれば、この世界全部がミックスになった時には、平和がもたらせるってことだよね」
『そうなりますね』
「そ、それでお願いしますっ‼︎」
『我々が世界を管理するってことになりますが、構わないのですか?』
「でも、お互いが歩み寄って仲良くする努力はしないといけないと思うんです。友達だって、家族だってそう。ただ単に一緒にいるっていうことは、そういうことだと思うから。ただ、あなたに管理されるだけという受け身の形ではないと思うから」
明日香はぐっと手に力を入れた。
「……私からもお願い」
ゆかりの声が、頭の後ろから小さく聞こえた。明日香は、ぐぎぎと首を回して、振り返る。
「ゆかりさん、ありがとう」
『わかりました。皆がそれで納得できるよう、今一度、説得をお願いしますよ』
「や、やったああああ‼︎」
明日香が、ぴょんぴょんと跳ねようとして、頭を打つ。
「痛っ‼︎」
「ちょ、明日香っ‼︎ こんな狭いとこで暴れんな‼︎」
ご、ごめんと言いながら、明日香は笑った。
『本当に、あなたときたら。我々を壊さないでくださいよ。あなたなら、やりかねません』
ひとしきり笑うと、明日香は息を吐いた。
「『双樹』。あと、もう一つ、お願いがあるの」
明日香は、視線を真っ直ぐに向けた。
『……それについては聞けるかどうか、わかりませんよ』
その言葉を聞いて、明日香はくしゃっと顔を歪めると、深く深呼吸をしてから言葉にした。
「ううん、これは絶対に聞いてもらわないといけないの。その為に私にできることがあったら、何でもやります」
『双樹』の内部に、明日香の声が響いていった。
✳︎
「っていうわけ」
明日香の話を今まで黙って聞いていたジャファが、むくっと上半身だけ身を起こし、うおぅと吠えた。
「っていうわけったって…… お、お、オマエ、本当に突拍子もない……︎」
「いやいやいや、全然、突拍子ってことはない。どう思う? ジャファ」
「…………」
「もちろん、ルリにも話すよっ」
「はああああ」
ジャファは、起き上がらせていた上半身を下ろし、元の姿勢に戻した。
「どうするもこうするも……ってかもう、仲良くしねえとしょうがねえってことなんだろ」
「私、卑怯な手を使ってる? 平和って、脅してするもんじゃないと思うから。だから、それでいいのか三国会議で、国民投票っていうか、アンケートっていうか、そういうのやって確かめたい。みんながどう思っているか、知りたいの。協力して」
「アンケート???? まあいい、勝手にしろ」
半ば呆れたような口調で、ジャファが顔を左右に振った。ヒゲごと口の周りをペロッとひと舐めすると、そのまま眠ってしまった。
明日香は、ジャファの尻尾をするっと手で撫でると、立ち上がって洞窟を出た。




