宣誓
「なんと一人で乗り込んでくるとはなあ、顔に似合わず、相変わらずの無鉄砲さだ」
ジャファの周りには、取り巻きの獣たちが首を揃えて、明日香とジャファのやり取りを遠巻きに見ている。
皮肉を言われていることは分かったが、明日香は気にせず話を切り出した。
「イアンが亡くなったの」
ふん、と首を振って、前で重ねた両腕の上にあごを乗せた。
「ああ、知っている。イアンのヤツも下手を打ったもんだ。まあ、そう言うオレもこのザマだがな」
後ろ足の付け根のあたりに血の跡が付いている。血痕は乾いてはいるが、大量の血が毛皮を赤黒く染めていた。明日香はそれを見ると、あっと声を上げた。
「だ、大丈夫なの?」
「ふん、まあな」
怪我をしているからだろうか、以前のような覇気を感じられない。それとも、イアンの死が少なからず影響を及ぼしているのだろうか。
「おまえのミックスのお陰で、空気はうまいんだがなあ」
明日香は、ジャファの傍に膝をつくと、怪我の周辺に手を伸ばした。
「痛そうだね」
「オレが恐くないのか?」
そっと手で撫でる。
「怪我をしているから、何もできないと思っているのか」
「そうじゃない、別にあなたのことは恐くないよ」
「首根っこを噛み切ってやろうか」
「そんなことはできないくせに」
明日香は、ふっと笑った。
「イアンがあなたを褒めていたから」
ジャファはもたせかけていた顔を上げて、明日香を見た。
「なんだと?」
「イアンからあなたの話は聞いているの。幼馴染なんでしょ」
「…………」
「頼れる人だって聞いてる」
ざわっと周りが揺れたのを、明日香は背中で感じていた。取り巻き連中はジャファとイアンが敵対関係だと思い込んでいたのだろうか。いや、ジャファがそのように思わせていたのかもしれない。
「だから私、ここに来たの。お願い、協力して欲しいの」
上げていた顔を、前足の上に乗せる。ジャファはそのまま目を瞑った。
「何がだ」
「三国会議をして、皆んなでまた話し合って欲しいの。話し合って、戦わずに平和を求めたい」
「……冗談は顔だけにしろ」
「冗談じゃない‼︎ そこで三国共通の第四言語を創ることに賛成して」
「はあああ? また突拍子もねえことを」
先程から、こそこそと周りが陰口を言っていることには気づいていた。
(こんな時、ロウがいてくれたら)
明日香は、そんな遠巻きの様子を少しだけ不安に思いながら、話を続けていった。
「『獣−人族』はカスガさんに頼んである。『人−人族』はイェンナが説得してくれると思う」
ジャファは目を開けて、鼻に皺を寄せた。
「で、『獣−獣族』はひよっこのオマエが説得に来てるわけだ。はははっ、随分と舐められたもんだ」
ベロっと口元を舌で舐めると、さらに鼻に皺を増やした。
「ああ、そうだったそうだった。オマエはイアンのお気に入りだったもんなあ。イアンなら説得できたものを、残念だったな」
ぐるる、と喉を鳴らす。威嚇されていることは、分かっている。
「ジャファならやってくれる」
「おい‼︎ いい加減にしろよっ‼︎」
ぐわっと立ち上がり、座った明日香の顔へと、大きな口を開ける。
「オマエの言うことをなぜ聞かなければいかんのだ‼︎ 攻めて来たのはアイツらだ‼︎ 人間はいつも自分勝手に他者を握り潰そうとする。こっちはこれでも我慢してきたんだぞ。イアンは不戦を自分たち「獣」を守るためだと言った。けれど、今回はどうだ? 仲間がたくさん殺されたのに、これが黙っていられるか? 同じテーブルにつくだって? 後ろ手に剣を隠してるんじゃ、三国会議など無意味だ。「人」なぞ信じられるかっ‼︎」
「それは、ごめんなさいっ‼︎」
明日香が頭を深く垂れた。
「な、なんだ、それは」
「あんなことになるなんて思ってなかったってのもあるけど、『人−人族』を止められなかった。説得できなかった。もっと話をして、何を考えているかを理解しないといけなかった。こんなんじゃ通訳者失格だよ。だから、本当に、ごめんなさい」
涙が溢れてくる。それは頬を伝ずに、瞳からぽたぽたと落ち、直接地面に染みをつけていった。不甲斐ない自分。その存在をずっとずっと感じてきた。このもう一つのアシンメトリーワールドに降り立った時から、長い間ずっと。
「だから、もうこんな風に誰かが傷ついたり、傷つけたり、嫌なの。話し合おう、それが一番の良識。言葉は人を変えられる。変えられるんだよ」
地面についた両手に力を入れ握る。
その砂のついた拳で、明日香は頬の涙を力強く拭った。
ざっと、痛みが走る。頬に数本の傷が走ったが、明日香は痛みなど気にしなかった。ジャファを真っ直ぐに見る。
「お願い、三国会議に参加して」
ジャファは真っ直ぐに見つめてくる明日香の目を、じっと見つめ返した。
「顔なんかに傷を作りおって。なかなか治らんぞ。オマエのちょっとは可愛いファニーフェイスが台無しだ」
大きな舌で、ミミズ腫れが走る頬をベロっと舐めた。
「それ褒めてないよね……でもまあいいよっ」
明日香が笑って、ジャファの毛皮をまふまふと触った。
✳︎✳︎✳︎
カスガの提案で、明日香とイェンナが同時に通訳することとなり、明日香が『獣−獣族』側に、イェンナが『人−人族』側に座った形で、三国会議が始まった。
カスガが高らかにスタートを告げ、そして先ずはそれぞれの主張を書面にしたものを読み上げる。
『獣−獣族』の決意表明は、ジャファと明日香で考え、その取り巻きの獣たちに確認してもらったものだ。
立ち上がり、書面を掲げる。明日香は、深く息を吸って、声を落ち着かせた。
「まずは先の戦いにおいて、『獣−獣族』『人−人族』双方ともに甚大な被害が出てしまったことを、非常に遺憾に思います。その上で上申します」
前を向く。
「三国共有の財産であるはずの通訳者を、私利私欲のために確保しようとした姿勢をまずは批判させてください。そのような行為は不要な戦いを発生させ、お互いの国民の思いも寄らぬ遺恨となってしまうからです」
息を吐く。
「この世界には、この三国の民、「人」「獣」「獣人」の三種族しか存在しません。というのと同時に、この三種族のみで成り立っているとも言えます。それぞれに家族があり、大切な人がいます。我々はそのかけがえのないものを、自らの手で失くしてしまったのです。相手が悪いのではありません。この世界が悪いのでもありません。あなたの隣に座っている人が悪いのではありません。あなたの向かいに座っている人が悪いのではありません。何かの力に頼ろうとする、自分の中の弱さと向き合ってください。自分自身のことを分かるように話してください。それを、言葉によって表現してください。言葉はあなたというものをこと細かく説明してくれます。自分を知り、相手を知ってください。話し合いは長引くかもしれません。けれど、戦いはもう要らない。大切な誰かを失うのはもうたくさんです。それには言葉が必要なんです‼︎ 皆んなの想いが通じ合う、共通の言葉がっ‼︎」
明日香は、はあっと大きく息を吐いた。
「その共通の言葉の下では、誰もが一人一人、同等の存在なのです」
拍手がぱらぱらっと起こり、けれどそれは大きくならなかった。お互いに殴り合ってできた傷や負の気持ちを変えていくには、まだ時間が掛かるだろう。
明日香は座ってから、深く深呼吸をして、目を瞑った。
イェンナが話している声が、耳に届いてくる。音楽のようなその響きは、人々の心を癒す効果もある。
(この三国会議は、きっと上手くいく)
明日香は、『獣−人族』の席に座っているロウを見た。視線が合ったような気がして、明日香はあごを打った。
すると、ロウも同じようにコクンと頷いた。
それだけで、明日香の心は満たされた。
それは、心から大切な存在。
「またこうやって、話をしましょうっ‼︎」
会議が終わり、手を振りながら最後に明日香が叫んだ言葉が、共通言語の最初の言葉となった。




