悲しみの中で
「うそ、でしょ」
「イアンは、いつも三国が一つになることを願っていたの」
イアンの妻であるルリが話し始めた。重苦しい空気で息が止まりそうになり、明日香は深く深呼吸した。
悲しみが後から後から襲ってきて、涙はなかなかやまない雨のように流れ続ける。明日香はイアンの背中に手を伸ばすと、軽く撫でた。その手に体温が移る。その温度で、初めてイアンと出会った日、イアンに寄り添って眠った夜を思い出した。
「こんなのだめ、」
やっとの事で絞り出した言葉は、自分でも意味の分からないようなものだった。一体、何がだめなんだろう、自問自答に近いその言葉。けれど、次に出た言葉も同じものだった。
「こんなの、だめだよう」
イアンの頬へと手を移動させる。少し硬いヒゲの感触。立派なたてがみは、明日香が思ったよりも柔らかくしなやかだ。
けれど、その頬をいくら撫でてももう、その目は二度と開かれない。
「こんなの、だめだよ、ああぁあ」
明日香はイアンの首にしがみついて、泣いた。叫び声に近い、目一杯の声を上げて。慟哭し、イアンの名前を何度も呼んだ。
『双樹』からほど近い、洞窟の中に響き渡った明日香の声。ルリのすすり泣く声と共鳴し、洞窟の中の空気を震わせた。
横たわるイアンの前足を握る。
(明日香)
そう明日香の名前を呼ぶイアンの姿と声が、ありありと頭の中に浮かび上がる。
大切な人を亡くすということ。
明日香にとっては、これが初めてのことだ。身体は震え、涙がとめどなく溢れてくる。言葉が出てこないかわりに、抑えられないほどの嗚咽が上がってくる。
(もう、イアンには会えないんだ)
ルリの後ろには黒豹のジュドや狼のダイチが、頭を垂らしている。
苦痛に顔を歪める、いつもと様子の違う二人を見て、明日香は思った。
(こんな不条理なことってない)
明日香は人の死が、このようにしてダイレクトに近しい人の心に刻み込まれることを知った。
✳︎✳︎✳︎
「明日香はどこにいったんだっ‼︎」
ロウが慌てて洞窟の奥へと入ってきて、ジュドとダイチに声を掛ける。
ジュドもダイチもロウを一瞥しただけで、顔を直ぐに横たわるイアンへと戻した。
「おい、明日香がどこに行ったのか知っているんだろう‼︎」
握った拳に力を入れると、身体が自然に前へと進む。じりじりと焦れながらもロウは返答を待った。
「ジャファノモトダ」
ジャファの名前を訊いて、ぶわっと背中に悪寒が走った。
「どうして一人で行かせたんだっ」
苛立ちがピークに達し、洞窟中に響く声で怒鳴った。すると、ジュドが立ち上がり、ロウへと近づいてくる。
「ナニヲイッテイルノカワカランガ、ココデオオゴエヲアゲルナ」
鼻に皺を寄せて、ウウッと唸る。言葉は理解できないが、言っている意味は分かり、ロウはぐっと口を噤んだ。
「ジャファノイドコロヲオシエテヤッタラ、ヒトリデトビダシテイッタノダ。ココカラスグチカクニアルタカダイダ。オイカケルナラハヤクイケ」
のろのろと洞窟の入り口へと進むと、アゴでしゃくって高台を指す。ロウはそれを見るや否や、直ぐに駈け出した。
(明日香、無事でいてくれ)
実はこうなる予感はしていた。イアンの死に直面してからは、何かを考え込むように、長い間黙り込んでいた。明日香が何を考えているのかは分からなかったが、ロウにはそっと明日香の肩を抱くくらいしかできなかった。
(明日香、おまえはいつも先へと進んでいってしまう。オレを置いていくな、オレを頼ってくれ)
森の中を進む時はいつも、その尻尾で細い枝を折って進むが、今はそんな余裕もなくロウは駆けていく。気が急いて、呼吸も速くなる。息苦しさを感じながら、ロウは先へと急いだ。




