諦めの気持ち
「ねえ、ソウジュ。あなたは、どうしてそんなにも平和を求めるの? 戦争なんてさあ、勝手にやらせておいて、そんで勝手に滅びればいいんだよ」
『ゆかり、我々の名前をそんな風に呼ばないで』
「何言ってんの、ソウジュはソウジュでしょ」
『ちゃんと、日本風に呼んでください』
「へえへえ、じゃあ『双樹』ちゃん」
『まったく、あなたは本当に……それはですね。なるべく波風が立たない世界にしないといけないからですよ』
「通訳が要るなんて、メンドクサイ。話し合いで、本当に仲良くできるのかも怪しいもんだ」
『話し合っているうちは、不穏なことは起こらないでしょ。それよりゆかり、ナスダリ博士の様子を見ていなくていいの?』
「実家に帰りますって書き置きしておいたから、いいの‼︎ せっかく、のんびり羽を伸ばしているのにい」
『あんまり放っておくと、浮気されるかもよ』
「ええ、あんなおじいちゃん相手にする物好き、いないから大丈夫‼︎」
『ピピピピ、そうでもないようですよ』
「え、あ、どういうこと?」
『データNo.1983749287 懸案事項 ナスダリ博士の研究室に今月より配属予定 名前はシオン 性別は女性 年齢は二十五歳 趣味はスポーツ全般 理想の上司は老齢の知識人 尊敬する人はナスダリ……』
「わ、わかったってば‼︎ わかったからもうヤメテ」
『うかうかしていると、他の女に取られてしまいますよ』
「はああ、あんた性格悪っ」
『アシンメトリーワールドの片方が、もうすぐセルフ=フィーリングを始めるんです。ピリピリしてしまうのも、ちょっとは許してもらわないと』
「人口を減らすの?」
『結果、そうなりますね』
「人間は自分の都合に合わせて、自分勝手にやり過ぎなんだよ」
『ゆかり、あなたは知能指数はさほどでもないですが、時々、的を射た発言をしますね』
「……私、あんたの、一部なんですけど」
『とにかく、最近の人間の進化は、我々『メインブレイン』の存在は不要だとでも言わんばかりの暴挙の塊です。人間が死なない程度の環境を整えているつもりでしたが、ITやらAIだのを遊び半分で創ってしまって。呆れてものも言えません』
「コンピューターの愚痴、初めて聞いたわ」
『我々に取って代わる代物を創り上げた時が最後です。自分で自分の首を絞めるのですから、仕方がありません』
「ノアの箱舟、またやるの? 前回のセルフ=フィーリングの時は、ニホンオオカミとかレッドリストに載ってた動植物をこっちに移動させたじゃない?」
『多少、我々の手を入れないと、絶滅してしまう種が出るかも知れませんからね。運び込むリストのピックアップは、ほぼ終わっています』
「こっちの世界に来させて種を守るんだったら、『獣−獣族』の住まいの環境も、少しは良くしてあげればいいのに」
『一種族を増やし過ぎても、他の種族の滅亡につながります。あなたたち使い魔を派遣してバランスを取らせ、このアシンメトリーワールドの均衡を保っているのです。さじ加減が難しいんですよ』
「さじ加減が出来るなら、『獣人』なんて要らなかったのに」
『しかし、掛け合わせの血統は素晴らしく優秀です。我々メインブレインは『獣人』を創って良かったと判断しています。人間より、はるかに出来が良い』
「その獣人を今度は、もう一つのアシンメトリーワールドへ?」
『その予定にしています。けれど、獣人は身体能力が優れているのだから、帰ろうと思えば自力で帰れるんです。人間中心の世界で馴染んで生きるのか、それとも『獣−人族』の国に帰るのか。まあ、その最初に送り込む獣人の意思に任せようとは思ってはいますよ』
「ふうん、色々と考えてるんだね」
『さあ、ゆかり、もう帰りなさい。ナスダリ博士の研究所に先ほど教えてあげたシオンとやらが向かっているようですよ』
「うそ、ちょっと待って‼︎ ソウジュ、研究室のドア、開かないように故障中にしておいてっ‼︎」
『……「双樹」とちゃんと呼んだら、やってあげます』
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「思い出して良かったわね……ってこれでいいかしら? で? 今日は一体何の用なの?」
ロウが出してくれたコーヒーの乗ったテーブルを挟んで、明日香はゆかりと向き合って座っていた。
「あははー、ジャマするつもりはないんだけども……お、おジャマしてます」
おずおずと、コーヒーにシュガーとミルクを入れて、スプーンでかき混ぜる。マーブル色が崩れていくのを、明日香は居たたまれない面持ちで見ていた。
(自分の恋人に他の女の子が会いにきたら、そりゃあオモシロクナイヨネ)
カップを持って、すすっと啜る。
「あのね、えっと、今日は、」
話を始めようとすると、ゆかりはテーブルを軽くバンと叩いて立ち上がり、さっさとキッチンへと入っていってしまった。その後を、人間の姿になったコタローが追い掛けていった。
(ありゃりゃ、これは本当に怒らせてしまっている)
バツの悪い思いを抱えながら、そっとロウを見る。横顔が頑なにこちらを見ないのを感じて、明日香はさらに落ち込んだ。
背後で、ゆかりとコタローが声を落として、何か言い争っている。
「その、大学では何を勉強しているんだ?」
ふいにロウに声を掛けられて、意識を前へと戻した。
「えっと、児童文学だよ。保育園とか幼稚園の先生になりたくって」
「明日香は子どもが好きだったな。カスガのところのトニマニも、おまえによく懐いていた。良い選択だと思うよ」
「……ありがとう」
沈黙が続いて、今度は明日香が声をかけた。
「ロウは、その……ごめんね」
ようやくロウが明日香を見る。
「私を助けるために、こっちに来ちゃったから。学校も生活もユノも、何もかも、」
「それは関係ない」
強く遮られて、明日香は眉尻を下げた。ロウは、そのまま続けた。
「明日香のせいじゃない。自分で決めたことだし、それに帰ろうと思えば帰れるんだし、」
明日香は、目を丸くした。けれど、直ぐにも言葉を続ける。
「あ、あのね、」
ロウが顔を背けて、言葉を遮った。
「また『双樹』を登っていくんだとよ」
遮られて言葉を探しているうちに、明日香も視線を落とした。カップの中のコーヒーがゆらりと揺れた。
「帰れるなら、帰りたいよね。ユノも待ってるし。心配してるだろうしね。そうだ、ユノは大丈夫かな。私も一緒に、」
言葉を切ってから、そのまま続けた。
「一緒に帰ろうかな」
一気に話し切ってから顔を上げると、ロウが驚きを交えた複雑な表情を浮かべていた。
(……あ、そっか)
ずしっと何か重いものが落ちてきて、頭を直撃したような衝撃に見舞われた。
(迷惑……なんだ)
涙がじわっと滲んできて、明日香は慌てて立ち上がった。
「ご、ごめん。用事思い出したから帰るね」
「あ、明日香、」
ロウの慌てたような声。その声を背中に感じながら、バックを掴むと、玄関まで進んだ。靴はどれだっけ、と思った瞬間。涙が、ぽたりと落ちた。けれど、それより何より、早くこの家を離れたかった。
ロウの靴とゆかりの靴が並んでいる。
そして、ふと視線を上げると、この家のカギが目に飛び込んできた。
玄関のくつ箱の上に置かれていたのは、二つ。お揃いのキーホルダーがついていないのが、せめてもの救い。
心の狭さ。自分の弱さ。
そういったものに、打ちのめされる。
ロウが幸せなら、それでいいと、何度自分に言いきかせただろう。
(なんで来ちゃったのかな。話なんてコタローに任せておけば良かったのに。こんな風になるの、わかってたのに)
靴を何とかして履くと、ドアを開けて外へと出た。
「ちょっと待って、明日香っ」
ドアが背後で閉まると同時に、コタローが自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。けれど、その声を振り切るようにして、明日香は近くの駅まで小走りで一直線に進んだ。
(ロウに逢いたくて来ちゃったけど)
頬を何度も、涙が伝って落ちていく。それを拭うこともなく、ホームに滑り込んできた電車に乗り込むと、抑えていた嗚咽が喉をついて出てきた。
周りの人が好奇の目で見ていることは分かっていたが、涙を止めることができない。
(もうダメだ、ロウが好きなのに……でももうダメなんだよ)
明日香は、ハンカチを取り出して、顔を覆った。




